やっぱりクリエイター目線だと「セクシー田中さん」ドラマ製作陣は雑魚モブ似非クリエイタームーブ

ネットニュース見てたら前回の私のnoteとほぼ同趣旨の記事発見。
フリーで活動するベテラン脚本家兼漫画原作者の方へのインタビュー記事です。

「浅ましい嫉妬」改変・修正無視の日テレ『セクシー田中さん』根源は"エゴ"の闇

「芦原さんは自身の作品に当然こだわりはありますが、"漫画とドラマは別物"ということを理解し、改変などは相談してくださいという姿勢を最初から示していたことが小学館側の報告書から明らか。
しかしながら、日テレ側のドラマ制作陣は相談なく改変する、その箇所に修正依頼が入っても応じないなどの対応を続け、両者の亀裂がどんどん大きくなっていった」
(略)
《尺、撮影、実写化するにあたり必要なこと、スポンサーの意向、1話ごとの盛り上げ等のため脚本でアレンジは必ず発生する》(日テレ側)
「芦原さんや小学館側もそれを理解し、歩み寄っています。相手を慮ったゆえの"妥協"といえるほど」

「浅ましい嫉妬」改変・修正無視の日テレ『セクシー田中さん』根源は"エゴ"の闇

一方前回の私のnoteは以下。

(日テレ製作陣コアメンバーは)「可視化されづらい(小学館側が柔らかく強制にならないように伝えていたことや、芦原先生が何度も脚本に手直しを入れた=コアメンバーがダメ出しされた)ことに気づいてない、どころか(半ば意識的に?)無視してる」

ドラマ「セクシー田中さん」製作陣はクリエイティビティがプアーなのに芦原先生と同等のクリエイターヅラしてたのが間違いの元

そして記事では上に続けて

一方、日テレ側の対応は、
「できないことへの言い訳、もしくはエゴにしか読めなかった。実写化のために"無理"というなら、それをすべて具体的に説明できるのか。《飼っていたハムスターの逃走範囲に関するセリフについて、原作漫画の100M以内との吹き出しの記載を200M以内に変更》と変える意図をきちんと説明できるのか」

「浅ましい嫉妬」改変・修正無視の日テレ『セクシー田中さん』根源は"エゴ"の闇

こちらの指摘はマジでその通りで、芦原先生の修正要求には逐一どういう意図でそういう設定になるのかきちんと理由も書いてあった。
ねのに、対する日テレ製作陣コアメンバーのは特別説得力のある理由はなくただなんとなくとか無批判なメジャー志向なだけなのよね。

この指摘部分の小見出しが実は

「改変の根元にある"エゴ"」


となっていて(めっちゃその通り過ぎてまた高速赤べこになる私であった)、上記に続いて

「今回の件に限りませんが、原作を変えることでマウントを取りたい、オリジナルを作った原作者への嫉妬、変えることで自我を出すエゴ……脚本家や担当プロデューサーなどによる改変の根源はこのようなところにあることが多いと思います」

「浅ましい嫉妬」改変・修正無視の日テレ『セクシー田中さん』根源は"エゴ"の闇

一方前回の私のnoteほこちら。

この脚本家がつらいのはさあ、先生の『口調』じゃなくて、先生のきめ細やかで具体性と確固たる裏付けのある指摘によって自分のヌルさや浅さや荒さや至らなさを否応なしに自覚させられたからじゃあないの?
『口調』じゃないよね。
中身だよね。
自分のヌルいぼんやり視点とレベチの精緻で深い人間観察力の違いを否応なしに自覚させられたからだよね。
(略)
結局のところ、私から見た今回の悲劇の根本原因は、以下になると考える。
本件の当該脚本家が平面的にしか物事を認識できずコトの軽重や道理の順番を勘違いしたまま、自己が芦原先生並みまたはそれ以上のクリエイターでありその権利も同等以上にあると傲慢にも誤認していたことであると。
当該脚本家がその間違った認識を自己の当然の権利としてゴリ押しするためにネット(SNS)リンチという究極の心得違いの横車を押したのだ。

ドラマ「セクシー田中さん」製作陣はクリエイティビティがプアーなのに芦原先生と同等のクリエイターヅラしてたのが間違いの元

表現は違えど、大体類似ポイントを突いていると言えないだろうか。

まてこんなツッコミも。

日テレは制作にあたって真摯に取り組んできたと主張。

「《キャラクターについて制作サイドで3日間かけて議論したこともあった》と、わざわざ注釈で書いてあって。複数の人数でダラダラ時間をかけたことが努力だと思っているのもいかがなものか。責任の所在がハッキリしないものが多い」

「浅ましい嫉妬」改変・修正無視の日テレ『セクシー田中さん』根源は"エゴ"の闇

キレッキレの火の玉ストレートの豪速球である。
一方私のコアメンバー評はこちら。

でさあ、コアメンバーってそんだけ雁首揃えてアレな改変案しか思いついてなかったみたいだし。
メンバー全員紙みたいに浅いんだね。
本当にクリエイティブなメンバーなら、多分芦原先生の要求水準でも指摘されたらパツッと秒で意図を理解して打てば響いてそれを具体的に映像化する案を出せたと思うよ。
少なくともフォーマットが「ほっこりラブコメディ」でもその層の下に生きづらさや自己肯定感の低さとどう向き合っていくかっていうストーリーに立体的な厚みを持たせるにはありきたりの設定ではダメなことが理解できたはず。

ドラマ「セクシー田中さん」製作陣はクリエイティビティがプアーなのに芦原先生と同等のクリエイターヅラしてたのが間違いの元

というわけで、やっぱり私と同じように捉えたクリエイターの方もいたんだなあとちょっと胸を撫で下ろした私だった。
(思いっきり言いたいことを書いてしまったので、炎上覚悟だった)

とりあえず、ほぼ同意見のベテランクリエイターさんがいらっしゃった、ということでひとまず私のnoteも完全な的はずれではなかったらしいとほっとした、という話。

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