「パクリ」と「参考」を分けるたった一つの要素〜パクリ肯定論理は鬼滅の「鬼論理」(4)

前回noteで「パクリの心」は「鬼心」、という内容を書いた。
今回は「なぜパクリ又はパクリまで行かないものの【バレないために『先っちょだけ』切り貼りで取り入れる『寸止め』】でも元絵の絵師が困惑するか」についてである。

なぜパクリ又はパクリまで行かないものの【バレないために『先っちょだけ』切り貼りで取り入れる『寸止め』】で元絵の絵師が困惑するのか

今まで書いてきたnoteでも言及しているが、【バレないために『先っちょだけ』切り貼りで取り入れる『寸止め界隈』】レベルの絵師の描く絵は「あんまり実力が伴わない人が、野心でギラギラしてるけど誤魔化せると思ってるとその人のその心境が描いた絵を通してダイレクトにこちらに伝わって来る」絵なんである。

関連note

で、その野心でギラギラしてるけど誤魔化せてると思ってるけど実は誤魔化せてなくモロに野心脂ギッシュ視線でこちらの絵の一挙手一投足を「見てないフリしてるつもりだけど見てるのバレバレ」状態でずーっとどこまでもついてくるわけ。
これを別の例えにすると、バスや地下鉄や電車に乗っていたら、見知らぬ男から舐め回すようなギラギラした視線を受けているようなものである。
かつ、さらに「気のせいかな?」と思ってバス停や駅で降りたらその見知らぬ男も一緒に降り、さらにその先までギラギラ視線のままピッタリ着いてくるようなものである。

女性でこれが嬉しい人、おる?
男性だって見知らぬ女性や男性にこれされたら気味悪くない?
私はこんな視線受けるのはものすごく嫌だし、気持ち悪いし、激しく迷惑だし、恐ろしい。

剥き付けの欲望の視線を他人に当てるのは、まあ有り体に言って迷惑行為だろう。
これに対し「2D絵上だからありえない、気のせいだ!自意識過剰の思い込みだ!」という発言をする人に「クオリア持ちの物理の法則、陰影の法則を習得した上手い、又はインパクトのある絵師は一人もいなかった」。
ので説得力に欠ける。
何故なら【バレないために『先っちょだけ』切り貼りで取り入れる『寸止め界隈』】レベルの絵師が寸止めを続けたいがための自己弁護にしか聞こえないからだ。

もうひとつ言えば「自意識過剰の思い込み」は性加害者側やストーカー定番の言い訳である。

自分の世界を構築しようとする絵師には、他人の絵にギラギラの欲望で血走った剥き付けの視線を向ける暇はない。
自分の中の脳内イメージとの格闘で精一杯だからだ。
そして他人の絵を横目でベンチマーク、キョロ充しながらでは他人にインパクトを与える絵は描けない、ということは既に書いた。

関連note

目的とは正反対に爆走する【バレないために『先っちょだけ』切り貼りで取り入れる『寸止め界隈』】レベルの絵師

「2D絵だからありえない、気のせいだ!自意識過剰の思い込みだ!」という絵師は他人の絵のベンチマークやキョロ充行為に疑問がない人である。
というか本人図星だったのを否定したいだけにしか見えない。
第三者ヅラでなんか言ってたけどキョロ充本人だったよね実際。
前にも書いたが自分の脳内イメージと格闘している絵師は自分で試行錯誤して何万回も引いたラインを必然性込みで熟知しており、身近なキョロ充行為者に一部でも持って行かれたら感知できる。
「必然性込み」とはそういうものなのである。

関連note

それを相手に指摘するかどうかはともかくとして、である。
まず人間関係を壊さないために指摘しないだろうとは思う(よほど我慢ならなくなるか、根っからの戦闘民族以外は)
そして指摘されなかったら「バレてないのだ!」と悦に入るのが【バレないために『先っちょだけ』切り貼りで取り入れる『寸止め界隈』】レベルの絵師である。
もしくはそのレベルの絵師は「バレてもどうせみんなやってるから」と開き直るかのいずれか
である。

しかし「みんなやってる」ならなんで「やってる他の同類のみんなではなく、やってない(自分の脳内イメージと格闘してる)絵師の絵にわざわざ目をつける」のか?
自分の脳内イメージと格闘して、自分の世界を模索しようとしている絵師の絵の方が「映える」と思わなければ、わざわざ【バレないために『先っちょだけ』切り貼りで取り入れて『寸止め』】してまで取り入れようと思わないのでは?
でもそれはわざわざ【バレないために『先っちょだけ』切り貼りで取り入れて『寸止め』】してまで取り入れるという安易な手法に逃げるからこそ「自分の脳内イメージと格闘して、自分の世界を模索しようとしている絵師」による「自分自身と格闘しながら手に入れようとしている独自の世界」とは真逆の方向に爆走する羽目になるのでは?
つまり、目的と手段が完全に矛盾している、ということである。

【バレないために『先っちょだけ』切り貼りで取り入れる『寸止め界隈』】レベルの絵師は敬意を表さない

【バレないために『先っちょだけ』切り貼りで取り入れる『寸止め界隈』】レベルの絵師は、相手の絵に対して敬意を表さない。というか敬意がない。
【『先っちょだけ』切り貼りで取り入れる】行為が正当ではないことを潜在意識では感知しているからであろうか。

本人の潜在意識はともかく、そういう絵師が相手に敬意がないと言える根拠は
【『先っちょだけ』切り貼りで取り入れる】行為とは、「自分の脳内イメージと格闘して、自分の世界を模索し独自の世界しようとしている絵師」の【努力、格闘の軌跡をまるっと無視して、相手絵師の努力の結晶の上澄みだけを自助努力無しで安易に奪おうという行為】
だから
である。

この行為に「敬意」が存在する、と言える絵師がいるのならば根拠を添えて反論してほしい。
感情論ではなく、「自分の脳内イメージと格闘して、自分の世界を模索し独自の世界を構築しようとしている絵師」の誰もが納得できる根拠を添えて、である。

「みんなやってる」
これはどの程度なのか?数字を出せるのか?
やってない絵師の存在は無視か?
赤信号もみんなで渡れば正義なのか?
そのみんなやってる【『先っちょだけ』切り貼りで取り入れる】行為で元の絵師のような「独自の世界観」が自分も作れたと本気で思えるのか?
誠に疑問である。

【バレないために『先っちょだけ』切り貼りで取り入れる『寸止め界隈』】レベルの絵師は相手の存在を抹殺する

【バレないために『先っちょだけ』切り貼りで取り入れる『寸止め界隈』】レベルの絵師が、「これは自分の自助努力で脳内イメージと格闘して構築した自分の世界だ!」という設定を『先っちょだけ』の切り貼りで成立させるためには、【相手絵師の存在を抹殺しなければならない】

つまりこれは、【バレないために『先っちょだけ』切り貼りで取り入れる『寸止め界隈』】レベルの絵師は寸止め切り貼りの上でドヤる時点で【相手絵師を心の中で殺さなければ成立しない小芝居】を打っている、ということである。

もっと短く言うと「『相手絵師の抹殺前提』でなければ成立しない小芝居」を打っているのが寸止めレベルの絵師、ということである。

相手の存在を認めたら【バレないために『先っちょだけ』切り貼りで『寸止め』】(というチート技)で構築した(という設定の)「自分の自助努力で確立した(つもりの)自分独自の世界」設定が瓦解するからである。

そこで抹殺されるのは相手絵師の存在そのもの及び、相手絵師のそれまでの努力の過程全てである。

相手絵師の抹殺前提の行為が「相手への敬意ある行為」と言えるだろうか?

勿論【バレないために『先っちょだけ』切り貼り『寸止め』した】絵師にその自覚があるとは限らない。
「みんなやってる」という自分の感覚を麻痺させる便利な麻酔薬があるからである。

そしてそもそも「自分の幽けき脳内イメージ」に気づかない、又は無視できるほどに感覚が鈍麻しているからこそできる行為だからである。

「人に与えない者はいずれ他人から何も貰えなくなる 欲しがるばかりの奴は結局何も持ってないのと同じ 自分では何も生み出せないから」(鬼滅の刃17巻、愈史郎)

まあ【バレないために『先っちょだけ』切り貼り『寸止め』した】絵師は「与えない」どころか元絵の絵師から「奪い、その上相手を心の中で抹殺する」わけですがね。


なんか今回で終わらせるつもりだったのに更に長くなってしまったので今回はここまで。

(続)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?