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「自分が正しい」「あなたが間違っている」の次元を超える

コミュニケーションって難しいですよね。ちょっとしたことで齟齬が生まれ、時には対立や争いなどのもめ事が起こることはないでしょうか。

ダブルケアという状態は家族から、職場の人、医療従事者や行政などの支援者など様々な人が関わってきます。

その中で、ちょっとしたコミュニケーションエラーが起こることがあります。

皆さんはその時、どう行動しますか?

「私が正しい」「私が間違っている」
「あなたが正しい」「あなたが間違っている」
「私はこう言った」「私はそう言ってない」
「あなたこう言った」「あなたはそう言ってない」
「私はこう聞いた」「私はそう聞いていない」

正しい、間違っている。
言った、言わない。
聞いた、聞いていない。

正しさを主張したり、間違いを指摘したら戦いのコングが鳴る

自分自身の正しさをお互いに主張し始めたら、「どっちが正しいのか?」という争いが始まります。

「私の方が正しい」
「いやいや。私の方が正しい。」

勝者、つまり正しい人が決まるまでこの問答の応酬は続きます。

物理的に戦っているわけではありませんが、精神的にはとても疲弊していきます。

結果的に「どうありたいか」

自分の正しさを主張し、相手に認めさせた先に何をしたいのか。どんなことを得たいのか。

考えたことはありますか?

「自分が正しい」とした先には何があるのか。

それは人によるかもしれません。
もしかしたら承認欲求かもしれません。
自分を守れたという達成感かもしれません。

本当に欲しい状況はそういう状況でしょうか?

「正しい」「間違っている」という争いが繰り広げられると、人間関係はギスギスすることがあります。心のうちにモヤモヤやイライラが溜まっていくかもしれません。

皆さんはそう言ったギスギスした人間関係と楽しい人間関係であればどちらの方が良いでしょうか?

楽しい人間関係を築きたいなら「正しい」「間違っている」論争の時は自分の間違いを認め、早々に自分から謝ってしまう。

相手が悪いと思っているとしたら、様々な感情から自分から謝ることなんて辛すぎると思います。

もちろん、必要な時は戦った方が良いと思います。

ただトラブルが起こっている人間関係を客観的に見た時、争って自分自身の正しさを主張し、相手を否定することがベストなのか、それとも自分に原因を置いて「自分が蒔いた種だったな」と振り返って謝罪をすることがベストなのか。

中には「自分が悪かったかも」と早めに謝罪して関係を修復する方に力を注いだ方が良い時もあるかもしれません。

疲弊せずに楽に生きる

楽に生きる=諦めるではありません。

自分自身の正しさをいったん横に置いて、相手に対して謝るということは味方によっては、諦めているという状態に見えるかもしれません。

たしかに、その時の「正しさを主張する」ということは諦めているかもしれません。しかしそれ以上に手に入れたいものがあるからです。

周りの人間関係が円滑で、日々が楽しい

正しさ正しさを主張することをやめ、受け入れることでギスギスした人間関係ではなく楽しい人間関係を手に入れることが出来ます。

そうすることがベストだと感じたからです。

そもそも戦ってないのだから目の前の「正しさ論争」のことで謝罪しても、負けることはありません。そして負けていないため、精神的にもあまり疲弊することはありません。

本当に自分自身の正しさを主張した方が良いのか。
相手の間違いを認めさせた方が良いのか。

自分自身、どうしたいのか。
問いかけてみてください。

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