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ジェネレーションギャップを感じた時は諦める

ダブルケアをしていると、意見の食い違いは多々起きるのではないでしょうか?

もしかしたら、意見の食い違いの中にはジェネレーションギャップが隠れているかもしれません。ジェネレーションギャップを感じた時は『諦める』ことが心を軽くする近道です。

ジェネレーションギャップ

皆さんは『水曜どうでしょう』という番組をご存知でしょうか?

北海道テレビ制作の深夜バラエティー番組です。北海道出身の俳優大泉洋さんがレギュラーを務められていまして、おもしろいからと知人から勧められました。

最初のシリーズは1996年で、約30年前に始まったようです。

流し見していたら、あることに気が付きました。2泊3日で北海道の212市町村(放送当時)を周るという企画の時、車の助手席に座っている人が大きめの地図の本を持って、「今、自分がどこにいるのか?どの道を曲がればいいのか?」地図とにらめっこしながら、運転している人の指示をしていました。

また10日間でヨーロッパ21か国をレンタカーで周るという企画をしていた際は、数か国分の本とにらめっこしていました。標識の文字を間違えて読んで、道を間違えてしまった時は、自分達はどこにいるのか全く分からず、「今、どこにいるんだい?」と途方に暮れた様子でした。

ふと私は、「スマホ使えばいいのに」と口に出していました。

そこでハッと気が付きました。
30年前にはスマホはまだありません。
そしてカーナビすらありません。

カーナビって、よくよく考えればリアルタイムで地図が更新されていくというもので画期的ですね。私も仕事で車を運転しますが、カーナビやスマホが無ければ仕事になりません。

当たり前が世代によって当たり前ではない

30年前はカーナビもスマホも無かった世界です。昔、父から「助手席に座る人は誰よりも気を使える人ではないといけないよ」と言われたことがあります。私は言われて全くピンと来ませんでした。

それが20年越しでやっと意味が分かりました。カーナビやスマホもない時代、初めて行く場所や不慣れな場所はナビをしてくれる人が必要です。運転手さんには運転に集中してもらいたいですしね。

私自身、子どもの頃にはカーナビやスマホが無かったものの、大学生頃になるとカーナビやスマホが一般的になったくらいです。

今生まれて来る子ども達はスマホが当たり前で、AIを使いこなしていくことが当たり前になっていくかもしれません。

「当たり前」は世代によって変わっていきます。それ自体が悪いわけでもありません。ただ知らないと人間関係でトラブルが起きてしまうかもしれません。もし相手と20~30歳以上離れていたら、「当たり前」なことは違っているはずです。

相手に対して、「なんで?!」と思ってイライラしてしまうこともあるかもしません。一歩引いてみて、コミュニケーションを客観的に俯瞰して眺めてみてください。そこにジェネレーションギャップはありませんか?

もしあったとしたら、それは時代のことなので仕方のないことです。「そういうものか~」と諦めてしまった方が心は軽くなります。

「今の時代、こっちの方が正しい」と正しさで相手を打ち負かそうとすると争いが起こります。

人は誰でも、『正しさ』の自分の物差しを持っています。そして、その『正しさ』を持って行動していきます。

自分自身の正しさが打ち負かされるかもしれない時、人は基本的に反発します。「へー、そうなんだ」と表面上は受け入れているように見えても、実際は自分の正しさに従って行動しています。

ジェネレーションギャップを感じた時は、諦めてしまった方が楽です。諦めるというよりも、相手の考えを尊重し、受け入れるという方がニュアンス的には合っているかもしれません。


ダブルケアは複数のケアが同時進行している状態です。『子育て×介護』かもしれません。『ダブル介護』かもしれません。またその他の形のケアかもしれません。

祖父母、子、孫。

世代はそれぞれ違います。

そこにはおそらくジェネレーションギャップは存在していると思います。

世代毎に違う『当たり前』があります。それがすれ違ってしまったものがジェネレーションギャップだと思います。ジェネレーションギャップがあったとしても『そういうもの』と受け入れてしまいましょう。

そうすることが心を軽くして関われるコツです🌟

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