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Netflix韓国オリジナルドラマ「今日もあなたに太陽を~精神科ナースのダイアリー~」というドラマを見ました。

私自身、うつ病を抱えながら看護師として働いていました。共感出来るようなことが多く、見て感じたことを少しずつ書いていこうと思います。


Netflix韓国オリジナルドラマ「今日もあなたに太陽を~精神科ナースのダイアリー~」

〈あらすじ〉
精神科で働き始めた心やさしい看護師が、さまざまな困難にも負けず、受け持ちの患者たちの毎日を明るく照らすため全力で仕事に取り組む姿を描く。

気になって1話だけ見てみようかなと思ったら、意外とおもしろく一気見してしまいました。韓国のドラマですが、同じアジアだからか病院や病棟の雰囲気は少し違いますが割と似ているな~という印象でした。

3年目の看護師の主人公が大学病院の内科から精神科病棟に配属になったところからでした。仕事内容も日本の精神科病院とほぼ変わらない感じでした。

第1話 「夜が明ける前が一番暗い」69分
〈あらすじ〉
新たに精神科に配属されたチョン・ダウンは、さっそくオ・リナという患者の担当を任される。その言動はしっかりしていて、一見何の問題もなさそうに見えたが・・・。

韓国の名前にあまりなじみがなくて、名前だけだと女性か男性か分かりにくいですね。オさんは40代女性の患者さんで、双極性障害と診断されて保護病棟に入院してきました。

保護病棟とは日本で言うところの閉鎖病棟みたいです。本人の意思ではなく、家族の同意のもと医師が入院必要と判断した方が入院となります。

ダウンさんのポロっとした一言がオさんの琴線に触れてしまい、ダウンさんに掴みかかったり、全裸になって病棟の中をくるくると踊ったりしてしまうことになりました。

「何がそうさせてしまったのだろう?」

ダウンさんはオさんとの対話で小さいころからの母親との関りにヒントがあるのではないかと思いいたりました。

オさんの両親は裕福で何不自由ない生活をしていました。オさんの母親はオさんに「幸せになって欲しい」という思いは人一倍強いようでしたが、行く学校や仕事など、全て母親が引いたレールの上を歩かせていました。

おかげで何不自由ない生活をしながらも、母親の顔色を伺い、自分自身の気持ちを押し殺していくようになりました。なんでも母親がやるため、電車の切符の買い方も分からないとか。

ご家族、特に母親との関りについて悩む精神疾患の人は多いように感じます。私自身もそうでした。

人は全て、母から生まれる

3人の娘を持つ知人から聞いた話で、1人目は仕事も忙しく、初めての出産と子育てでずっとキーキー(本人の表現です笑)していたそうです。すると長女ちゃんは少し気性の激しい子に育ったらしいです。

2人目は仕事もほどほどで、出産・子育ても「こんなもんか」と分かっていて長女の時よりは落ち着いていられたそうです。次女ちゃんは長女ちゃんよりは少しおっとりとしたしっかり者に育ったとか。

3人目ともなれば、出産・子育ての「こんなもんか」がさらに強化されたみたいです。三女ちゃんはマイペースののんびり屋さんだとか。

産んだ時の心理状況と子供達の性格はリンクしている気がするという話を聞いて、おもしろいなーと思いました。

データや統計を取れるわけではなく科学的には証明出来ないことかもしれませんが、母親の状態が関係しているのはそうかもしれないなと思います。

私自身、長子の長女です。そして16時間の陣痛でも生まれず、心音が下がったため帝王切開に切り替えて生まれたのが私です。へその緒が首に巻き付いて、決断が遅ければ死んでいたと大人になってから聞きました。

そんな母親は初めての出産で帝王切開するという大変な状況でした。大変だったと思います。自我が強かった私を育てるのも苦労したと思います。

私の人生でレールを敷いたのはどちらかと言うと父親でした。むしろ母親はある時期から無関心だったような気がします。

母親からの裏切り

小学校5年生の時に、思春期を迎えた私は母親と温泉に入るのが気恥ずかしくてイヤに思っていました。

町から離れたところに温泉施設がありました。雪の降っていたある日の13時頃、母と弟とその温泉施設に行くことになりました。

母親と入りたくないため、母親が上がってきたら入ると伝えていました。
母親はそんなの良いから入ってきなさいと。

母親が上がってきて「15分で入ってくるね」と伝えて、なんとか15分で上がって母親が待っているであろう待合のところへ向かいました。

母親と弟はそこにいませんでした。

当時、キッズ携帯を持っていましたが運の悪いことに車の中に置きっぱなしでした。

まだ小学生で「トイレかな?」と座って待っていました。時計をちらちら見て、「まさか」「親がそんなことするわけない」「でもどうして」とぐるぐる考えて、1時間経って、「そんなはずないけど、私は置いて行かれたかもしれない」と思えて館内を探し始めました。

同じところを何回も見ました。一応、一度出ると再入場は出来ないシステムの温泉施設でした。外の車を確認して、もしいなかったらこの冬空の下で待たなきゃいけないのか・・と思い、なかなか外に確認へ行けませんでした。

意を決して外に出て確認しに行くと、母親の車はありませんでした。
涙が溢れました。

「私は置いて行かれたんだ」と。

どうして。
15分で出るって言ったのに。
どうして。
こんな時に限って、携帯を車の中に忘れたんだろう。

さらに父親は用事があり夜まで不在でした。
泣きながら温泉施設の入り口まで戻りました。

今考えると、施設の人に事情を話して、家に電話させてもらうなり、警察に連絡するなりすれば良かったのだと思います。

当時の私はショックが大きすぎて、「再入場出来ないって書いてあるから、ここで母親を待つしかないんだ」と思い込んでしまいました。

髪の毛を濡らした子供が入口に1人いるわけですから、訝しげに見てくる人もいました。話しかけられるのがイヤで私は俯いて、ただひたすら母親を待っていました。

1時間。
2時間。
3時間。

外は真っ暗になっていきました。

田舎の町はずれの温泉施設で街頭もなく、周りに明かりはなく歩いて帰るという選択肢もありませんでした。

暗くなる前に、母親のことなんか信じていないで歩いて帰れば良かったのかな。

どこかで母親を信じていたんだと思います。
迎えに来てほしかった。
迎えに来た時、私がいなきゃガッカリするかもしれない。

母親が迎えに来たのは夜の20時でした。
私は6時間ほど、待っていました。

母親は普段と変わらない様子で迎えにきました。
今、振り返ると母親も無理して笑っていたんだろうなとは思います。

それでも小学5年生の私には関係ありません。

どうして私を置いていったの。
15分で出るって約束したのに。

声が出せないくらい、泣いて泣きました。

家に着くと母親は車から降りずにどっかへ行ってしまいました。
母親もクールダウンの時間が必要だったみたいです。

家に父親から何があったか聞きました。かっとなった母親はすぐに弟を連れて帰って来ていたようでした。父親に叱られて、私を迎えに来たようです。

大人ってそういうことするんだ。
母親ってそういうことするんだ。

その時から、母親は私に無関心になっていきました。

自分自身の女性性の否定

この出来事は私の中での、かなりのインパクトのあることでした。母親との付き合い方が分からなくなり、母親と同世代の女性と関わることも苦手になっていきました。そして自分自身が母親と同じ女性であるという嫌悪感が心と身体を蝕んでいったように思います。

これから少しずつ、自分の奥底にあるものを向き合っていきたいなと思っています。

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