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カナロアという海の神様


ハワイと言えば美しい海。わたしの中ではそうなる。

クムリポと言う壮大な叙事詩がハワイにある。
これは創世から始まり王に至り、その業績にも掛かる伝承を集めた神話で、18世紀の頭に編纂、口承で伝えられたと言う。そしてカラカウア王によって、ハワイ語の書き起こしがおこなわれたらしい。
天の神ワケアと地の女神パパの交わりによってハワイの島々が生まれる。(余談だが、ホノルルのあるオアフ島は、先に浮気したワケアに当て付けでパパが不倫相手との間に生した子だ😆)
実に神話らしい神話だ。

一方で、カネ、クー、カナロア、ノロと言う四大神による創世話も伝承として存在する。
こちらは、海から拾ったひょうたんを投げて空と島々を作ったお話。

あと他には、半神半人のマウイが海から吊り上げた島々がハワイ諸島だと言うお話もある。

四大神やマウイ神の話では、海と言う存在があっての島々だ。母体は限りなく海。
やっぱ海だよ😍美しい海。

ところがだ、四大神でもある海の神カナロアは、輝くような存在では無いのが痛い。

ハワイの神々は化身とも言われるが、カナロアは「ヘエ」と言われるこいつらだ。

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しかも頭に「臭い」がつくではないか( ̄∇ ̄)
北欧のクラーケンみたいだな。

「臭いイカ・タコ」
なんでも旅の途中で騙されておしっこの入った水を飲まされて、激オコになった話もある。

そして海と共に「冥界神」でもあるらしい。

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おーい!
まぁ、仕方ない。
因みにこれがカナロア様。

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画像はWikipediaより。Public domain表記有り。
…… ちょっとさー(-.-;)y-~~~

古くは文字ではなくフラとメレによって伝承されてきたハワイ神話。きっともっと複雑で奥が深いに違いない…… とは実は思わない。

ここからは、わたしの個人的な考えだ。
世界の神話全体に言える事だが、原型(あくまで原型)には、後世の人の頭によって深読みされてしまうような複雑さはないだろうと言う事。文明の発達度合いによって違いが出てくるが、原則として成立時期が古いほど意味はシンプルだろう。

その当時の不思議だと思う事、恐れる事、どうにも力が及ばない事を「神」なる存在に委ね、物語で語ったのが神話の原型だと思っている。
地域それぞれの文明の成熟度が変化する中で、まだそういった素朴な思考が一般的だった時代に、ぽつりぽつりと神話ができ始めたのではないだろうか。だからこそ快楽を享受することの正当性を示すかと思えば、生贄も存在してしまう。
そうでないとしたら、あまりにも作為的だ。

語り始めた時の倫理観がせいぜいで、良くも悪くも素朴なのだ。だからこそ非常に人の世に近く、神自体が人間臭く描かれている。

深い意味は、後からいくらでも付けられる。後世の宗教や哲学、政治の影響もあるだろう。

実際ハワイには19世紀になってから成立した、キリスト教の説話が入り込んでしまったもっと重々しい伝承もあると言う。

原神話に支えられる場合もある原信仰は、大体において畏怖と祈りのシンプルなものだったと個人的に考えている。その畏怖と祈りを道連れに、歴史の中で神話自体も変化、成長していったのだろう。
芸術的であり、ダイナミックであり、不可侵であり、そしてその時々の生活に根付くものとして。



食べ物がとれるが、嵐にもなる。きっと海への畏怖が、純粋にカネロアのこの形だったに違いない。それがきちんと表され残ったということだ。(説得力ゼロとは承知の助)

それでもハワイと言えば美しい海。わたしの中ではそうなのだ。ずっといつまでも。


わたしに歴史を語らせると大抵言われているようなロマンを剥ぎとってしまう。正しく言えば、結果そうなってしまう文献に興味を持つということだ。

わたしという人間は、その剥ぎとられた裸体と、変容過程にこそロマンを感じてしまうへそ曲がりなのだ。


※神話の内容部分はネット上のあれこれを読んでまとめたため、いつものように参考文献の記載はできない。申し訳ない。

※コメント欄で考えを追加しています。ご覧いただけると嬉しいです😆

※こちらはnote神話部への投稿記事です。


#note神話部 #コラム #エッセイ

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