見出し画像

ガンダーラに触れて

In Gandhara,Gandhara They say it was in India Gandhara,Gandhara~

 タケカワユキヒデさんが愛の国~と唄ったのは何年前か…… ガンダーラが愛の国だったかどうかはよくわからないけれど、倉敷の大原美術館にある東洋館でこれを見たんです。


 ガンダーラで見つかった仏像の頭部です。
 ギリシャ系のお顔に近いんです。これは頭部だけですが、検索して全身の仏像の写真を見ると、衣装にもヘレニズム文化の影響が強く出ています。

 ガンダーラ地方は現在のパキスタン内にあって、インドやアフガニスタンにも通じる古来東西交通の要になる場所だったとのこと。日本の時代にすると、縄文の終わりくらいから、奈良の途中くらいまででしょうか。
 それ以降、ガンダーラという土地名称は無くなりました。
 ギリシャ、ローマ、イランの文化を影響を受けていたと言われるガンダーラ美術。日本の仏像に慣れ親しんだ目では、仏教美術だと言われても「へ~」となりそうなお顔じゃないですか?

『美術品としての出来栄え』的な括りもさることながら、発掘されたものを見るとそれが作られた時代背景に気持ちがいくな~ やっぱりわたしは。

 ガンダーラの王朝は征服と繁栄と衰退とを繰り返し、時の王朝によって仏教、ヒンドゥー教、イスラム教と、宗教も入れ替わる。
 交通の要所であれば、ここを押さえたい勢力は入り乱れていただろうことは想像がつきますよね。

 冒頭に置いた歌詞でも馴染みのある西遊記。事実にフィクションを加えたものですが、玄奘三蔵一行が本当にガンダーラを目指したとすれば、残念ながらその時彼の地の仏教は衰退していた時期に当たるようです。

 国境線は時代と共に不確かなもの。
 それでもそこには人が暮らし、その証は姿形を変えながら、受け継がれるものは受け継がれていくんだろうなと、発掘品を目にする時気持ちが少し泳ぐのはいつものことです。

 遥か昔に生きた人達が、直に手を添え手触りを確かめたであろう多くの名も無き発掘品。遠いようでいて案外近いところで古代の呼吸を聞いたような気がするのは、ロマンを追い過ぎているのでしょうが……。


#歴史 #仏教美術 #ガンダーラ #発掘 #大原美術館 #エッセイ

スキもコメントもサポートも、いただけたら素直に嬉しいです♡