見出し画像

コラム 水の道

先月、書くと言っては放置してきた『神話に見る貴重な循環』についてやっと記事にした。糞尿の肥料化の話だ。

さて、では『一般的』な考え方として、いつからそれが行われていたかについてChatGPTに問うてみた。文献で確認できる最初は鎌倉時代である以上、それより前でなければならない。

答え
『古くから』

😂😂😂

ずるい答えだ。ただそこには江戸時代にはシステム化が整っていたとも書かれていた。

実は現在までの考古学上の研究により弥生時代の集落では防御、用水、排水等を兼ねた水路が見つかっている。古墳時代には、建物の屋根から落ちる水を受ける雨落溝が存在した。そして藤原京の時代には、かなり大規模な排水施設が存在していた事がわかっている。藤原京の道路側溝はその総延長が約200kmに及んだらしい。

だからわたしは思ったのだ。
当時の様々な建築技術もさることながら、このような大規模な設備を有する藤原京とそれに続く平城京を構えた王権が、『恥ずかしい単なる滑稽な笑い話』を、国家の成り立ちを記す、威信をかけた国書の中で許容するだろうかと。

確証は無いものの、飛鳥・奈良時代の側溝にわざわざ糞尿を流したりはしていないだろうと推察する。立派な都城に悪臭が蔓延するからだ。
そして平安時代には、糞尿を川に流すための水洗設備の登場が確認されている。

夏場、洗い物や掃除にまで利用した水の最後は打ち水であったと思われる。ただそれでも残る、汚れた水のための排水設備を時代毎に整えていった。

話を進める。
江戸時代初期には排水専用の下水道(道路側溝)だけでなく、上水道もできあがっていたのだ。上水(玉川上水や神田上水等)から流れる水が町中のいたるところにある上水井戸に運ばれる。わずかな高低差を利用したもので、世界的に見てもかなり高い技術が使われていた。
江戸の井戸水の多くは地下水では無く、水道水だったという事だ。

そして当然ながら下水道に糞尿は流さず、汲み取り式のトイレで留め、農家に届ける糞尿リサイクルのシステムが確立した。
正確に言うならば、このシステムとはビジネスシステムの事なのだ。
町人が糞尿の生産者で、農家が消費者。その間に仲買人と運搬業者が介在したビッグ市場であったらしい。

清潔な上水道があり、排便排尿を除く生活排水のみを流す下水道があり、糞尿が商取引される。
この時代に世界で大流行したコレラの被害が比較的少なかったのも頷ける。
一方でこのようなシステムがあったために明治以降、近代的な上下水道の整備が遅れたのでは無いか?という指摘すらある。

日本は森林豊かな山があり、流れの早い川が多く、そして海に囲まれる。幸運な事に水の豊かな土地柄なのだ。

それこそ古代の古代から『水の道』なるものを整え、開始時期こそ確認できないものの、そこに糞尿を混入させずに土の肥やしとした在り方に、わたしは感動する。

戦国の世の中で痩せてしまった土地を、一斉に肥沃なものに変えたのは、膨大な量の糞尿であったとの記録が残っているらしい。
この事を最後に付け加えて終わりにしたい。


#コラム #歴史

スキもコメントもサポートも、いただけたら素直に嬉しいです♡