詩は詩歌に含まれるか?の話
恐らく殆ど需要の無いと思われる話をしてみようと思う。←
「わたし達が普段書いている詩って【詩歌】に入るのか?」←だ〜れが知りたいのじゃそんなもん。
これ、実はずっと疑問で、ついに仲間内で問いかけてしまった。ほらほらまた始まったよ、みたいな…… 応じてくれる優しさがありがたい。
さてさて辞書で詩歌を調べると、こうなる。
1 漢詩と和歌。
2 詩・和歌・俳句など韻文の総称。
これをストレートに読むと、答えは否となる。わたし達が普段書いている詩は、自由詩だからだ。韻文ではない。でも『詩』ってなってるよ?ここからあーでもないこーでもないと、検証が始まった。
古来より単純に『詩』といえば、漢詩をさしていた。中国から入ってきた、五言、七言に四行、八行の形式を持ち、尚且つ基本的に押韻のある詩だ。
日本由来のものは『詩』と言う言葉ではなく『歌』と言われてきた。和歌だ。これは古代歌謡から始まったもので、声に出して詠む。もしくは旋律を持って歌われる前提があったからだ。そして母音文化の日本語では押韻は意識されず、律で韻を構成する韻文として発展してきた。
日本で表現された『詩』に関して、漢詩の流れと、実際には歌わずに、詩的表現をする短歌や俳句の流れと、古代歌謡と和歌から始まった後、文字通り歌われた流れの三方向の歴史があるのだが、ちょっとまとめてみた。
あくまでもざっくりで、尚且つなんとなくだ。経典や物語を語る琵琶楽 や、浄瑠璃も物語の語り側の常磐津はいれていない。←細かいところはつっこまないでよ。
流行歌の後は歌謡曲、J-POPと続く。こちらの流れは、謡曲を除き『歌詞』と言う言葉が適切だと思う。
漢詩の流れと、和歌から短歌への流れが『詩のジャンルに入る文芸』と捉えられるが、図の全体を通して、口語自由詩以外の多くが『定型』『五七調・七五調』『五音七音を中心に構成』このいずれかに収まりそうだ。(流行歌は微妙)
日本語は五音、七音でリズムを取りやすいので、自然とそうなるのだろう。
『歌』は旋律を伴う。頭韻、脚韻といった押韻ではなく、専ら律による韻で構成された日本のいわゆる『詩のジャンルに入る文芸』が、和歌という言葉で表現されるのはもっともな気がする。
詩と言う名称の最初は漢詩だ。ただ読み方は、訓読みを取り入れた日本語読みで、内容的には和歌の世界観と重なる。
詩吟は、主に漢詩を吟詠したものだ。
そこに明治以降西洋詩が入ってきた事で新詩体が生まれたようだ。
花鳥風月等の四季・風景描写を捨て、自己の内面に深く切り込み、思想や哲学を押し出した。但し、リズムはここでも七五調とされていた。
これは、漢詩に対する新しい詩の在り方ではあるが、伝統的な和歌からの脱却という意識も強くあったようだ。
そのため、新詩体として書かれたものを、短歌に対して長詩と呼んでいた時期が存在する。
「萩原朔太郎が何をしようとしたかだと思う」
一緒に検証した仲間のひとりがそう言った。
アホなわたしは
「凄いこと!」
と、返したが、仲間の発言は、なるほどその通りかも知れない。
さすが矢口さん←🙄
新詩体が生まれて暫くたってから、川路柳虹という詩人が、初めて口語自由詩を発表した。この口語自由詩を完成形に持っていき、現代詩の基盤を確立させたのが、萩原朔太郎だ。
彼は一体何をしようとしたのか。
参考にと見せてくれた書籍にあった。
『日本の伝統文化よりもハイカラを好む彼は、伝統的な歌のようなリズムを廃し、言葉の持つ力を多方面から引き出そうとした』
要約したものだが、四季詠みを敢えて遠ざけ、自身の内面や思想、哲学を押し出した内容の新詩体に、リズムまでも打破した場所に詩を立たせたと言える。
この段階で、いわゆる『詩』は、詩歌からは除外されるのではないかとの結論になった。
内容的、構成的に、詩歌を否定するところから始まっているからだ。
ただその後現代詩は衰退していったと言われているようだ。
以下、Wikipedia「現代詩」からの引用だ。
しかし、これら現代詩の手法もまた、形式化、固定化してしまい、現代人の心情からかけ離れたものになってしまった。詩作というものは、気軽に行えるものでも、ありのままにでもなく、奇怪で独善的な「詩的境地」に自己を落とし込まないと書けないという詩の矮小化が生じてしまったのである。
詩人の小池昌代さんが、同様の理由を挙げ、公演で「わかりやすい言葉を使い、だれかに捧げるようなパブリックな詩がもっと増えて欲しい」というような内容の発言をしている。そしてこれは、伝統的な詩歌の世界に触れて感じたとも言っている。
新詩体から進んだ口語自由詩は『自由』と言いながら、日本に居ながらにして『四季』『風情』と言った和歌の世界観を意図的に排してしまった。自由であるならば、排除する事もない。
わたしは情景の中に心情を滑り込ませるような詩を書きたいと思ってやってきた。骨の髄まで日本人なのかな←昭和のな( ˙-˙ )
捨てた和歌の世界観を再び拾い上げ、懐にしまったり出したりしながら、自由詩はどこをえがいても自由なのだとなった時に(今はそうなりつつあると思う)現代の『詩』も『詩歌』の中に含まれるようになるのかも知れない。
そしてわたしは詩歌のような詩を書きたい。
いや言い換えよう。
わたしは詩歌と呼べる詩を詠めるようになりたいと思っている。
長々と書いてしまった。
以上で需要は無いが、自分にとって大切だった話をお開きにする(^◇^)
(需要が無いとか言いながら、扉絵をお借りしました。ごめんなさいkaerucoさん)
※尚、今回記載した「自由詩は詩歌に含まれるか?」の問いかけの答えとしたものは、あくまでも個人的な見解であり、様々な考え方があるという事を書き加えておきます。
スキもコメントもサポートも、いただけたら素直に嬉しいです♡