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ホールのまま食べさせたクリスマスケーキ


  クリスマスイブの夜、息子にサンタがやってきた。その人は、ブロック塀を作る職人さんだった。

  主人の任期を考えると二人目の子供は、ひと足早く帰国して日本で出産した方が良かろうということになり、その当時イギリスから帰って来たわたしは、東京の下町にある実家で暮らしていた。息子は一歳の誕生日少し前から、役一年と四ヶ月程度をその町で暮らした。

  とにかく外遊びが好きだった息子は、近所の路地という路地で遊びまわり、すぐ目と鼻の先で作業をしていた、五十がらみの左官職人さんの知るとところとなった。

  秋口、日がな息子は塀を作る作業途中の、通称「ブロックのおじさん」の側で遊んでいた。
  おじさんに大層可愛がられ、邪魔になるのではないかとわたしは冷や冷やしていたが、息子はセメントをこねる真似事までさせてもらっていた。
「良ちゃんはおじちゃんのお弟子さんだな~」そう言って、いつも優しい顔で息子を見ていてくれた。

  休憩時間になると息子を近所の菓子屋まで連れて行き、駄菓子のひとつを買い与えてくれたりもした。「勝手なことしちゃって大丈夫だったかな」とわたしに頭を下げるおじさんに、「とんでもない。いつもすみません」と恐縮する毎日。

  実を言えば一番最初息子を連れて行くと言われた時は、不安を感じないでも無かった。相手はたまたま近くで作業をしていた言ってみれば見知らぬ男性だ。
  けれどもおじさんの腕の中で笑う息子の姿を見て、その時チクリと心が痛み、恥ずかしくなった。

  甘いのかも知れない。けれど楽しそうにしているふたりを見ていると、嘘の無い何かを感じた。きっとそれは大それた事では無い。互いに言葉の無い、時々の心の交流があったと言うことなのだろう。

  秋も深まった頃に塀が完成するとブロックのおじさんは違う現場へと移っていった。「ある日からぱったりと姿を見せなくなったおじさん」息子からすればそうなる。
  まだ良く回らない口で「ブオックのじちゃんは?」と息子がわたしに聞く。「おじちゃんお仕事で遠くに行っちゃったね」
  息子は幼いながらにひとつの別れを経験した。

  そのブロックのおじさんが、クリスマスイブにケーキを届けてくれたのだった。
「良平君にどうしてもあげたくて。ほんとに可愛い坊やだし、いい歳して楽しかったから」そう言ってくれた。
  相変わらず外を走り回る息子の夜は早い。残念なことにその時はもう既に眠ってしまっていて、おじさんは息子に会うこともなく、「起こさないでよ、いいのいいの、明日にでも食べさせてあげて」そう言って急いでいるからと、家を後にした。

  おじさん、ありがとう。会わせてあげたかった。わたしは心からそう思った。

  翌朝、わたしは目を覚ました息子に、ブロックのおじさんが良ちゃんにどうぞって持ってきてくれたよ、そう言ってケーキを食べさせた。
  どかんとホールのまま目の前に置かれたケーキに目を輝かせる息子。

「ブオックのじちゃん!」息子は大きな声でそう言った。
  しつけを考えれば良いとは言えないが、お構いなしにフォークを出し、カットすることなくケーキを食べさせた。伝えたかったのはおじさんの気持ちだ。

  わたしの妹達が二階から降りてくると、口々に「良ちゃんすご~い。良かったね~いっぱい食べな~」と笑った。
  すると息子は「ね~ねもいっしょ」と、確かそんなことを言ったので、そこからはみんなでホールケーキにフォークをさしていった。
  なんだかんだで息子は、おじさんの気持ちを三分の一位は食べることができたのではないか、そう思った。

  二歳になる少し前に遊んでもらった「ブロックのおじさん」とクリスマスケーキの話。息子の記憶に残るには、少し小さすぎる年齢だったけれど、それはそれでわたしが覚えていればいいことだった。

 この季節になると、わたしはこの事を思い出す。
年月が過ぎ、やがて大きくなった息子に「ブロックのおじさんの話」を何度か聞かせてあげた。またおじさんが来ると思った?そう聞いてもわかんないよと、息子は我関せずだった。それはそうだろう。

  ただ、もっと大人になった時息子は、
「そうかもね」そう言って笑った。


※息子の名前は仮名です。笑

#散文 #ノンフィクション #エッセイ

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