見出し画像

祭 彼方に

☆神話と遠い記憶の祭り


声ー頂きより

足元の村ではぎっしりと実の詰まった稲穂が、陽の光を受けて輝いている。これを見ると、渡る風の匂いすら違うように思うのだから不思議だ。

収穫が済めば、かつては火を噴いた畝傍の麓あたりで、装束を纏った者達が織りなす、厳かで重々しい祭りが見られるのだろう。


水を張った土に苗を植え付けてより刈り入れまで、およそ稲を育てる人間の働きは変わらない。変わったのは祭りだろうか。


新しい神々なるものが、ぽつりぽつりと姿を見せるようになってから、随分と時も経つ。かつては鐘を鳴らして地に祈りを捧げていた老若男女。敵に備え濠を巡らせたムラの結束と、米のたわわに実るを邪魔するものは、容赦なく打ち払ってきた。

稲をそだてる大地こそが、精霊に守られた偉大なる主と呼ばれた。祭りに始まり祭りに終わる暮らしの中で、雨を降らせ光を注ぐ天にも主を見出した時に、あの青銅の鐘は音が低く鈍った。


やがて戦に明け暮れた大地。そこに埋められたままの鐘と剣を、人間どもが放置した時に現れた小高い丘。王なる者が眠ると言う。

丘を見上げればその先は遥かな天。

闘いの果てに、天の主が地の主を凌駕したらしい。
村の祭りはすっかり様変わりをしたように、青銅の鐘は鳴らず、精霊達は新しく各々の神なる存在を担ぐようになった。
いや、主の中には、ただ形を変えて神になったものもおるのだろう。


しかし、その昔の古き主とやらですら知らぬ祭りが、かつてはあったのだ。
掟のままに歯を抜き、美しい縄の紋様を扱った人間達。
猿の骨でできた耳飾りと土の面を付けた、呪術を扱う者がおさめた祭りだ。火を焚き、酒を飲み、力を誇示する男と、着飾った女が欲情のままに戯れる事もあった。快楽を求めた交わりが、子をなす事に繋がると知った者がどの程度おったのか。

野蛮と眉をひそめるな。通った道だ。

時は移る。
鳥が木々に休むのも束の間か。
人を生かし、闘いを招いた。頭を垂れる稲にいかなる罪があろうか。
世の必然と知恵は、新しい祭りと、花鳥風月に血の通った心を託す、歌をも作り上げようとしていると聞く。

万の昔からここを動かずにいたわたしは、いつからか、三輪山と呼ばれるようになった。 

人間とはおもしろきものだ。
どうやらわたしも、いつの時からか、神とやらになったらしい。


三輪山
箸墓を始めとする纒向古墳群のある、奈良県桜井市にある山。山そのものを御神体とする。

青銅で作られた銅鐸や祭祀用の剣は、あたかも奉納するかのように、土の中で保管されてきた。民俗学では、大地を崇める習性は、空へのそれよりも先にあったとする意見があるようだ。
また、縄文で記載した抜歯の風習は、強調のために挙げたもので、正しくは弥生に入ってからも残っていた。

世界各地に伝わる神話は、その多くが戦無しに語る事が難しい。日本神話も最初の混沌をかき回して大地を生み出した道具は「矛」だ。
「国譲り」は武力をもってなされ、「国ゆすり」と表現する学者もいる←😬
戦をもって是とするのは、人類が通った当たり前の思考だと言う事なのだろう。

共同体でシンボライズされてきた銅鐸や剣は、戦いを経て、力ある首長率いる世の中に移った時に不必要とされ、代わりに新しい「神の物語」が必要になったのかもしれない。

こちらに参加してます。


#note神話部 #書き散らし #随想 #散文

スキもコメントもサポートも、いただけたら素直に嬉しいです♡