「不惑」を目指して。
なにかあったときに「これこそ〇〇だなぁ」なんて思うことがあります。それもだんだん増えてきて、年齢を重ねてきたのだと実感して嬉しいやら悲しいやら複雑な気持ちです。教養ある大人になりたいと常々思っているので、悪いことではないんだと思ってはいます。ここで、最近思ったことをちょっとお話させてください。
もちろんやりがいはあるし、誇りを持って仕事しているのですが、教員なんて仕事をしていると、「辞めたい」と思うことがままあります。「30歳までに結婚」という根拠のないボーダーラインが世間ではあるように、私も例にもれず「40歳までに身の振り方を考えたい」と根拠もなく思うようになりました。仕事をして10年を超え、世代的には担任を外れ、主任になっていてもおかしくない。しかも私たちは団塊の世代が抜け、上の世代の層が薄いので、もっとその時が来るのは早いかもしれません。そこで、「40歳までには」という気持ちが出来たのかもしれません。
上記は論語為政編の有名な章句です。書き下し文だとわかりにくいので、現代語訳したものが下になります。
今はあまり言われなくなったかもしれませんが、40歳のことを「不惑」と言いますね。15歳で学問は志しているかは微妙です。高校・大学には通いましたが。30歳で自立しているかはともかく、何とか生活は成り立っています。論語のようになっていますかね?
現状のわが身を振り返ってみると、とても悩んでいます。様々な社会情勢を鑑みると、どんな指導が正しいかが分からなくなり、新人とは言えない年になって仕事を振られて、仕事量に追われる毎日……。そうはいっても自己研鑽したいと始めたnoteです。こういった悩みの答えも見えてくると良いと思っているのです。精神的成熟を目指していきたいですね。
論語のいうところの「不惑」までいくかわかりませんが、40歳を境に、なにか私なりの答えを見つけ出したいものです。そんな自分と論語の言葉がリンクしたのでした。今後もゆるく長く頑張ります。
それにしても何千年も前の文章とリンクするなんてやっぱり「論語」とはすごい文章ですね。時代を超える文章はそれだけ力を持っているのでしょうね。こういった言葉の勉強も少しずつしていきますね。
では、また。