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突然現れるマグマくん

 ベランダにつながる窓辺に腰かけて文章を書いている。今日は久しぶりに温度が高くなり、真っ青な空が広がっている。熱を持った空気が足元をくすぐる。アイスコーヒーを飲みながらこうやって外の風にあたるのは本当に気持ちがいい。この解放感、無職の醍醐味である。

 年を重ねると、なぜか自分の出来ないと思うことばかり目についてしまう。社会の波に揉まれ等身大の自分を知ったからなのか。はたまた大人になっていく同年代たちについていけなくなったのか。

 前にテレビでパリコレモデルのインタビューをみかけた。彼女は「自分のできることに目を向けると世界が変わる」と言っていた。たしかにそうなんだろう。
 ちょっと不安になったときに一時的に元気付けてくれる言葉はネットやテレビからいくつも出てくるけれど、私の抱えるこの気持ちはマグマのように恒久的に佇んでいるように感じる。腕を組み、足を広げ、ちょっと不機嫌そうな顔をしてドスンと仁王立ちしているのだ。(今日はこの感情をマグマくんと呼ぶことにする。)表面上をカサブタで閉じたと思っていても、ふとした拍子にどばっとあふれ出てくるものなのだ。

 社会に出てもう何年も経った。人生の先輩に言わせてみれば、私はまだまだこれからという年齢なのかもしれない。だけどどうしようもなく足元がすくわれる、ような時がある。これがマグマくんだ。彼は人によってさまざまな特性を持っており、お金や結婚、社会的ステータスで治まる場合もあれば、人の心の奥底にべったりとくっついて治まらないときもある。ちなみに私は後者である。このマグマくんの成り立ちは、きっとその人の生い立ちや育った環境にも影響を受けているのだと思われる。

 彼とはきっと苦楽をともにしながら、一生わたしの体のなかに居続けるのだろう。彼が噴火したときのために防災訓練をしておくなり、日々噴火しないように自分をケアしておくのが吉だろう。もう彼を受け入れるしか、方法はないのだ。


 こうやって、どこからともなくやってくる不安は解決の対象外として、今日でいえばマグマくんとして、この青空のなか宙を舞って葬られたのである。めでたしめでたし。

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