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ジャズエイジ

前回はアールデコとジャズについてでした。

第一次世界大戦が終わった後
1918年から, 1929年の世界大恐慌を迎えるまでの約10年は、
アールデコが発展し、ジャズのみならず、映画、ダンス、ファッションなど随分新しくなりました。

1920年代はいわゆる「ジャズエイジ」と呼ばれる時代です。
狂騒の20年代」 と表されたりもします。
華麗なるギャッツビーの作者:フィッツジェラルドが名付けました。

学生の頃、華麗なるギャッツビーを読んだけど、理解できなかったなあ。
当時のアメリカの時代背景も文化も知らないから、金持ちの男女がパーティ三昧で堕落していく内容が面白いとは思えませんでした。
こういう作品は、丁度その時代の空気を一緒に感じながら読むから面白いんですよね。

ジャズエイジのジャズは、勿論Jazzの事であり
この時代に最も流行した、最新のおしゃれな音楽はジャズです !!

「アールデコ」の影響を受けた装飾品やおしゃれな服を身に着け、インテリアに囲まれ、自由恋愛をし、ダンスホールでダンスを踊る。

ダンスが盛んになったということは、踊りのBGMにジャズの演奏が必要だったという事です。

アールデコのムーヴメントで様々なものが新しく、キラキラ、おしゃれになり、同じく新しい音楽であるジャズも一緒に発展しました。
まだ「ロック」というジャンルが生まれる前ですから、音楽市場を奪われる事も無かった上に、ラジオが発達して、余計広まりました。


ティンパンアレイの作詞、作曲家達の活躍もジャズのスタンダードナンバーの発展に重要な役割を果たしました。
(ティンパンアレイの事は近いうちに書きます)


第一次世界大戦で男性は戦場へ駆り出され、その労働力を埋めるかのように女性は職業を持ち、動きやすい服装が大流行。

ヨーロッパの文化は女性のウエストをコルセットでギュっと絞る事を良しとしていたのに、ココ・シャネルのスーツは女性を解放したのでアメリカで流行しました。
ジャージの伸びる素材でワンピースを作るのも画期的。
(先日京都の映画館でシャネルの伝記映画を見てきました)

今でこそ、アメリカは自由の国、
女性はバリバリ働いて、キャリアを積んで、恋愛だって自由だし、
一昔前はベトナム戦争反対、ヒッピーだ、平和活動だ、
なんてイメージがありますが、
国土が広すぎて田舎と都会の差が激しいし、アイルランドの移民も多く、
厳格で、保守的なキリスト教です。
16世紀から度々、禁酒法を繰り返すような戒律の厳しさがある国です。
(元々のアメリカの原住インディアンでなく、あくまで移民のアイルランドなどヨーロッパ系の人々ですが。。。。)

アールヌーヴォーの時代のヨーロッパは勿論、アールデコの時代のアメリカだって、
〇〇の娘、〇〇の妻、〇〇の愛人という所属、縛りがありました。
皮肉なことに戦争をきっかけに女性は職業を得て自由に生きれるようにもなったのです。
とはいえ、そんなに職業の業種も幅広くはないし、自由に選べるわけでもなかったでしょうけど。
シャネルだって最初は孤児院(修道院)から、家政婦のような使用人、歌手(声がガラガラで上手くなかったらしい)、そこから愛人になり、融資を受けて店を持ちました。

表面のきらびやかな文化とは逆に、黒人は相変わらずの扱い。
ダンスホールの伴奏者は黒人ミュージシャンで、お客は全員白人。
裏の世界はどうなっていたのでしょうか??

シャネルの伝記と華麗なるギャッツビーの参考動画をリンクしておきますので興味がある方はご覧になってください。

今日は結局シャネルの話で終わってしまった。。。。。

次回は禁酒法とジャズの関係についてです。

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