Tin pan alleyティンパンアレー

ジャズを聴き始めて間もない方は「ティンパンアレー」という言葉を初めて目にしたかもしれません。

ティンパンアレーは細野晴臣さんが活動をされていたバンド名と同じですが、、、、、そっちの方ではなくて。

Tin pan alley

ニューヨーク28丁目界隈(ブロードウェイと5番街の間の辺り)の呼び名の事です。

アメリカのポピュラー音楽発祥の地です。

日本語で表すと〇〇丁目〇〇界隈となってしまうから、ダサいですね。
直訳するとTin の panの alleyですわ。
金物(ブリキか錫か?)の鍋(を叩いたようにカンカン賑やかな)の通り

West 28th street です。

はるか昔、1800年の終わりごろから存在していた模様。
まだこの時代はレコードもラジオも無くて、
ミュージカルのような芝居用に作曲や試奏をするもんだから、にぎやかで、
この通りで鍋(panフライパンなどのパン)を叩いてるようだ、、、、というところから名付けられたようです。

この楽譜に書いてある曲は、こういう感じの曲ですよ! 
と弾いて聞かせるお仕事(試奏)も存在しました。
レコードが無いんだから 、実際に弾いて聞かせるしかないですね。

作詞、作曲家チームのオフィスや、楽譜を出版する会社がこの辺りに集まったのでした。

「作詞、作曲し、楽譜にして販売する」 という仕事は今では当たり前ですが、当時は存在していなかったのだから画期的ですよね。

市民戦争後にピアノを買う人が増えたことと、
ジャズの前身のミンストレルショウ、ケイクウォーク、ラグタイムを聴いて
「自分も同じ曲を弾きたい!」という一般市民が増えた為、楽譜が売れるようになりました。

ニューヨークの旅行中、この目で見たくてティンパンアレイのあった辺りに行ってみましたが、
「え?ここ?」
という感じで、、、、、
しかし、せっかく来たのだし、ジャズの楽譜集を売っているお店をはしごしました。

アイラ&ジョージガーシュインなど大御所先生達が、この辺りで仕事をしていたんだなあ。

ブルースをルーツとし、ラグタイムも経験し、ジャズは作詞、作曲家先生達の手でどんどん華麗になっていったのでした。

しかし、1929年の大恐慌でブロードウェイも資金難な上に、仕事も無くなり、先生達は映画製作が始まったハリウッドへと移動して行ったのでした。

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