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琥珀の海に抱かれたい ②

仕事終わり20時。あいつに会いに、焼肉「ヤマト」へ足を運ぶ。

平日であるにも関わらず、駐車場はほとんど埋まっており、店内入ってすぐの待合室には、2組ほど待機していた。それもそのはず、この日は「冷麺祭り」真っ只中であった。冷麺祭りとは、ヤマトが定期的に開催しているイベントであり、通常780円の冷麺が450円で食べられるのだ。そのため、冷麺祭りの時期は、親子連れや部活帰りの高校生グループがヤマトへ祭りへと繰り出す。誰にでも平等に楽しめる祭りは、並んででも参加したくなるってわけだ。

整理券を発行し、ベンチに腰掛け、待つこと約5分。おひとりさまの私は、テーブル席へと案内された。意外と早く案内されたな。この祭り、回転が早い。網に火はつけますか?と店員さんの質問に、結構です、と返す。焼肉屋で肉を焼かないなんてことあるか、とつっこまれるだろうが、岩手県民はこの祭りのメインはあくまでも「冷麺」なわけで、冷麺のみ食して帰る人も決して少なくはない。私も、そのひとりだ。

しかし、正直なところ、肉も食べたくなる。そこで、冷麺ともう1品、石焼きビビンバのミニを席にあるタッチパネルで注文する。ジュウ、と香ばしい音、カリカリのおこげ、甘辛いコチュジャンのタレ、チーズと卵に絡まった具材たちは、お店では味わえない。

冷麺とビビンバが届くのを待っている間、推しと初めて出会った日のことを思い返す。厳密に言えば、推しの存在を知った日のことを。

推しの所属しているグループのYouTubeを視聴した時。この人たちは、クラスの人気者の集まりだな、と思った。明るくて、お調子者で、友達が多くて、先生とも仲がいい。そして、クラスの人気者と今まで接点がなかった私は、人気者が教室で喋っている姿を、こっそり覗いているような気分になった。新しい世界が見えたようだった。

推しの第一印象は、「シルバーリングをたくさんつけていて、鋭い目つきをした、ちょっと怖いお兄さん」だった。私は、今までこのようなタイプの男性を好きになったことがない。しかし、推しに惹かれてしまったのは、何か決定的なきっかけがあったというより、動画を見ていくうちに、推しのことを知った気になって、じんわり、魅力を感じていったのだ。十字架という名の罰ゲームで変な格好をさせられた時、本気で嫌がる姿。即興で洋画の寸劇を始めるノリの良さ。喜怒哀楽が激しいところ。全て、可愛いなあと思うようになった。

そんなことを思い浮かべていると、冷麺が運ばれてきた。私は辛いものが苦手なため、冷麺を頼む際は、必ずカクテキを抜きにしている。冷麺を食べたのは、いつぶりだろうか。父と別の焼肉屋に2か月ほど前に行ってきたが、その時は冷麺を食べず肉と米に全集中していたから、記憶上では、今年入ってから初めてになるかもしれない。

 ヤマトの冷麺は、スタンダードなタイプだ。中央に乗せてある、硬めに茹でられたゆで卵、その上に白胡麻、薄くスライスされた牛肉、きゅうり、ネギ。存在感溢れるスイカ。スイカは、最後の口直しとして食べるためにあるのだと聞いたことがある。りんごや梨が添えてある冷麺もあるが、スイカこそ王道スタイルなのだ。そして。もちもち、というか、つるつる、というべきか、独特の食感の、半透明の麺。その麺は、琥珀色の美しいスープの海に沈められている。そうそう、このスープが、恋しかったんだよ。牛肉で出汁をとった、これこそ冷麺でしか味わえないスープ。

 まず、スープからいただく。湿気でジメジメした体内に、冷たいスープに流れて、染み渡っていく。暖かい飲み物を飲むときによく使われる「染み渡る」という表現は、冷たいものでも当てはまるように思う。推しの結婚とか、推しが結婚して寂しいとか、周りの友人も結婚する年になってきたのに、自分はいつになったら結婚できるのかとか、そもそも今いちばんやりたいことは結婚ではないなとか、でもいつかは結婚したいな、とか、でも誰が私を好きになってくれるんだとか、そもそも私は誰と出会えるんだとか、そんなことより、今は自分の面倒を見ることで精一杯だとか、そんな思考でいっぱいになり、長時間使い続けたiphoneのように熱くなっていた脳内にまで、ひんやりとしたスープが流れていく。実際、スープは脳にではなく心に行き届いているのだが。

 スープを飲んでシャキッとし、麺を啜り、卵を頬張る。慣れ親しんだ味、わかり切っている味、やっぱりこれだ、と唸る味。これが450円で食べられるなんて、いい時代に生まれてきたな、と思う。

 冷麺を半分以上食べ進めたところで、ビビンバが運ばれてくる。石焼の器にご飯を押し当てて、ジュウジュウとおこげを作る音が響く。中央に盛られた生卵をレンゲで絡ませて、口へ運ぶ。熱い。うまい、より熱い、が先に来る。でも、うまい、が次に来ることを知っている信頼の、熱い。熱いはうまい。冷たいものと、熱いものを交互に食べるなんて、贅沢がすぎる。

 お腹と心が満たされていきながら、推しが結婚したから、推しにどんな変化があるんだ、とふと思う。彼はどこにも、行かないんじゃないかな。もちろん、結婚して、家庭を持ったら、生活スタイルは変わっていく。しかし、それは私には関係のないことだ。推しは、結婚するからと言って、引退するわけではない。子どもが生まれたら、育休を取るとか、あるかもしれないが、しばらく動画をお休みするくらいで、私は離れないのだ。というのも、推しのグループは数か月活動を休止していたのだが、私は復帰を願い、飽きることなく待ち続けた。嫌いになんて、なれないよな。そう心の中で呟いたタイミングで、冷麺とビビンバを平らげた。

 会計を済ませ、店員さんから、ちっちゃな飴をもらう。焼肉屋さんでは、大人も飴をもらえる店が多いが、お口直しにどうぞ、という意味合いなのか。外に出ると同時に、飴を放り込む。人工的な甘さ。元気出せよ、と茶化すような甘さ。もう元気だよ。変わらないものがあるってわかったから。


 推しが、この文を読んでくれているのなら、最後に伝えないといけないことがある。おめでとうございます。どうか、変わりながら、でも変わらない部分もありながら、そこにいてください。

 長電話に付き合ってくれたRちゃん、あの後電話してくれた元彼、心配のLINEを送ってくれたれいちゃん、もえちゃん、ありがとう。いい人に恵まれました。


 実は私、サザンオールスターズが大好きである。ユニクロのCMソングの影響?ミーハーだなあ、と鼻で笑った人へ。ちょっと待ってほしい。中学生時代から好きなのだ。

 数ある好きな曲のひとつに「涙の海で抱かれたい」がある。夏、海、渚・・・とサザンらしい歌詞がこれでもかと詰め込まれてある。名曲だ。明るい曲調に反して、失恋ソングであり、愛する人との別れ、未練たらたらな心情を描いている。失恋ソングだけど、清々しい印象を抱くのは、この曲が、このように締め括られているからだ。


振り向きもせず 夏は去くけど また太陽は 空に 燃えるだろう
さよなら僕の いとしのAngel 我が身は枯れても 愛は死なない

涙の海に抱かれたい より

 推しが結婚した。しかし、推しが結婚しても、愛は死なない。

 帰り道、車の窓を開け、生ぬるい夜風を浴びながら、そんな決意を固めた。

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