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孤独のティラミス

2023年のクリスマスイブは、ひとりで過ごした。
仕事は休み。恋人はいない。コロナの後遺症で咳が絶えない中、実家に帰ることもできない私は、ひとりM-1を見ながら聖なる夜を過ごした。

キリスト教じゃないし、クリスマスに特別思い入れないし、という強がりをするものの、ピザハットやケンタッキーのサイトを閲覧している人がどこにいるだろう。私である。咳き込みながら、洟を啜りながら、のど飴を口に放り込みながら、様々なファーストフード店のサイトを見比べる。12月24日のことである。宗教や恋人の有無や年齢なんて関係なしに、人類がクリスマスに考えることなんて同じである。クリスマスイブ、クリスマスは予約の方のみの販売です。そりゃそうだよねえ。私の考えが甘かったよねえ。どうしても肉汁溢れるチキンやこってりしたクリームにまみれたケーキが食べたい私は、コンビニで済ませるかと妥協案を出したものの、もう少し特別感が欲しい、と欲張ってしまう。
地元のスーパーでは、『コストコフェア』という、コストコの商品を販売するフェアが定期的に行われている。お昼の情報番組でよく取り上げられる、そんなに食べられる?といった量のプルコギや、プラスチックの容器に美しく、大量に敷き詰められたチョコクロワッサンなど。どれも魅力的だが、いざ買おう、となるとアメリカンで存在感抜群な彼らの前で脚がすくんでしまう。『別に、こんなにいらないな』という夢も希望もない、冷めた意見に辿り着き、今まで、コストコフェアで買い物をしたことがなかった。
そんな中見つけた、両手で抱える程の大きさのティラミス。容量を再度調べたところ、1.5キロあるそうだ。持ち上げた瞬間、重いなあと率直に思ったが、ティラミスで1.5キロは聞いたことがない。
頭が悪い私は、これくらい余裕で食べられる、と思った。イタリアンのレストランでよくある、デザートのティラミスは、皿の中央にちまっとお上品に盛られており、スプーンで数回掬っただけですぐなくなってしまう。ティラミスはケーキの部類なのだろうが、スポンジ部分よりマスカルポーネクリームの存在感が強いため、口に入れたらすぐ溶ける。実質飲み物である。
そして私、あまり公にしていないが、大のティラミス好きである。小学校3年か4年のとき、学校の廊下に掲示する自己紹介プロフィールに、《好きな食べ物 ティラミス》と書いたほどである。ティラミスがいちばん好きな食べ物な小学生は可愛げないが、当時からそれくらい好きなのだ。
ティラミスはケーキ界隈の中でも異彩を放つ。ココアパウダーの茶色。我々から見える面はそれだけ。いちごも生クリームもない。ただ、こいつがどれだけ美味しいか、私は知っているし、そんな信頼できる彼を聖なる夜の相手に捧げたい。
迷った挙句、彼をお買い上げすることにした。もちろん、今晩中に食べ終えなくても良い。消費期限を守れば。言い訳を頭の中で並べる。クリスマスだから、いいもん。彼を赤ちゃんのように優しく抱き、レジまで運ぶ。腕の中で眠る姿もなお、愛おしい。

正直なレビューをここに書こう。文句なしに美味しい。しかし、ティラミスは飲み物という説は撤回したい。クリームの威力を舐めてはいけなかった。『食べても食べても無くならない』というティラミスを食す上での夢は叶ったものの、『いつになったら無くなるんだ』と飽きた感情が湧き出るのも割と早かった。
オープニングで披露された、昨年優勝したウエストランドの寒空の下での漫才から、令和ロマンの優勝が決まり、審査員が番組終了に合わせて早口で次々に感想を述べていくエンディングまで、濃いめに淹れたコーヒーとティラミスをお供に、M-1をぶっ通しで鑑賞した。
私、お笑い好きだわ、と強く思った。ひとつの大会のために懸命に努力し、芸を磨く姿が眩しかった。
そして、ティラミスはしばらくいいや、とも思った。数日は、朝ごはんにもティラミスを食すなど、贅沢の度が過ぎて、バチが当たりそうな日々を送った。

去年は、彼お手製の手作りショートケーキを食べて過ごしたのだ。彼は、クリスマス当日のために調理器具を揃え、ケーキ作りを練習していた。ぬくぬくしたこたつで、好きな時に好きなように好きなだけ食べる夜だった。今年はひとりだった。彼は元気だろうか。ケーキ、食べたかな。

年末、彼から連絡があり、久しぶりに会うことになった。年末のびっくりドンキーは家族連れで賑わっていた。互いの近況報告で盛り上がる。仕事の話、甥っ子の話、クリスマスの過ごし方。彼は仕事で、クリスマスとは無縁の1日を過ごしたと言う。
『見て、こんなでかいティラミス食べたの』彼に写真を見せる。『どうしてもクリスマス感出したくて』
すげー、と感動する彼。『みどちゃんは、イベントを大事にするよね』
言われるまで気が付かなかった。確かに、ミーハーな性格であるが。
クリスマスに、ケーキを食べること。ひとりで過ごすのだから、そんな贅沢しなくても、と思うが、この儀式が1年をかけ抜く上で、自分にとって必要なのだ。
息を吐くように一瞬で過ぎ去る1年。スタンプラリーのように、これとこれとこれを必ず達成する、とまでは意気込まなくても、叶えられそうな小さな願いを実現したい。ティラミスと共に過ごしたイブが印象的であるように、振り返った時に可笑しくなるような思い出が欲しい。ひとりだからといって、寂しくなることない。むしろ心強くなるような思い出。
2023年のクリスマスイブは、甘い甘い夜だった。そして、こんな夜を過ごしたのは、私しかいないんじゃないか、と自負するのはやはり可愛げがないだろうか。

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