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SNSでモノを言うことにもう一度挑戦するために、SNS発信の何がしんどくなってしまったのか考えてみた。

SNSでモノを言うことが年々怖くなっている自分がいる。けれど今年は、それを乗り越えて、もう少し感じていること、考えていることを言葉にして外に出していこうと思う。 と言うのも、自分が今最も力を入れてやっているSchool Voice Projectの影響力を高めたいと思ったときに、理事で呼びかけ人である私自身の発信力を高めることが、そのためのわりと大きな要素であろうと思ったから。

昔は、特に学生時代なんかは、頭の中の整理をするための場所としてSNSを使っていた。特にTwitterは、文字数が少なくて断片的な発想や思索をアウトプットするにはちょうどよくて、結構重要な思考ツールでもあった。(私の特性に合っている)
今後発信するためにもなぜ億劫になってしまったのか、少し考えてみたい。

1つは、多少なりともフォロワーが増えて、それなりに反応が来るようになったからというのがあると思う。私は一つ一つのコメントやはリプライに全部丁寧に反応できるタイプではなく、しかも返信できないことが気になってしまう。特に自分の書いたことへの批判がきたり、説明を求められたときに、対応するのにすごくエネルギーがいる。
SNS上での議論は不毛であることが多いと思っているので、正直なところあまりやりとりする気になれないのだが(相手が匿名の面識がない人の場合はなおさら)、かと言ってスルーするのもなんだか自分の良心が咎める。なので疲れる。

もう一つは、30代に入って「新たな人とつながりたい」「ネットワークを広げたい」という欲求がなくなったというのもある。人とのつながりはもう量的には充分で、質的にも満足している。必要な人はすでにそばにいるという感覚。(まだ出会っていない素敵な人が世の中には沢山いるのも分かっているけれど)

それから、自己顕示欲みたいなものがほぼなくなったというのもある。
バズることの社会的価値?が高まっていく中で、SNSの世界の中での評価と、本当の値打ち?価値?みたいなものの乖離を強く感じるようになった。本質的なことに取り組んでいる人の多くは、バズることとは無縁だ。でもその人たちも、その人たちの仕事も、素晴らしい。

ときどきSNSでバズっている投稿の軽薄さや、透けて見える自己顕示欲、攻撃的なやりとり、みたいなものに当てられて、ドーーンとしんどくなってしまうんだよな・・・
※インフルエンサー全般を否定したいとかではありません。私が心からリスペクトしている友人たちの中にもSNSでの発信力が高い人たちはいる。

何かに対してモノをいう時には、できるだけちゃんと学んで、考えを整理して、影響を考えて、外に出したいと思ってきた。それは、誠実な発信者でありたいという気持ちもあるけど、やっぱり批判が怖いというのが、奥底には強くあると思う。

丁寧に発信したいというのは正しい態度であるとは思うものの、そうやって自分の中で発信のハードルをあげてしまうと、私の場合は結局「発信しない」ということになってしまう。「考え中」のことは書けなくなる。
でも明確な結論を持てる案件なんて実はないし、いつも「学びながら」「考え続けながら」発信する方が大事なはず。ましてや私は、他者とのやりとりの中で自分の思考を深めていくタイプなのだから。

批判はあってフツウ。恐れる気持ちはあるし、無理になくすものではないけれど、批判を避けようとしないこと。応答する覚悟だけ持っておけば、渦中の案件でも、過程の考えでも、思い切って発信していい。・・・と自分に言いたい。
これは、何もSNSでの発信に限ったことではなく、School Voice Projectの活動は記者会見をするなどしてテレビや新聞等メディア向けに発信するという要素を含んでいるため、いずれにせよ、いつか腹を括らねばならないことでもあったと思う。なので、今年はそこに覚悟を決めたい。
「批判に応答する」。今年の抱負にしようと思う。
(誹謗中傷やクソリプはスルー/ブロックします。それとこれとは別。笑)

書いてみて、発信できなくなったことには、いろんな要因があるんだなと思った。とは言え、今年はもう一度発信してみる。
「がんばる」のではなく、楽しみながら、オープンマインドな感じでやっていける方法を模索したい。


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