一番美味しい食事について

旅行をする時に、楽しみで外せないものの一つが食事である。ほとんどの人がそうであるように、滞在中に何を食べるか、どんなものを食べるか、またどんな食文化なのか、旅行に行く前から熟考するのが結構楽しい。

最近、角田光代さんの「世界中で迷子になって」というエッセイ集を読んでいて、そのうちの一つに「何がいちばんおいしかったか?」というものがある。旅行で出会った一番美味しかった食事についてのエピソードなのだが、それを読んでいるうちに、私の場合は一体どの食事だろうと、つい考えてしまった。

ニューヨークに行った時はチーズマカロニ(ハンバーガー目当てだったが、残念ながらあまり美味しくなかった)、パリではちょっとモダンなフランス料理、フィレンツェではヒョイっと入ったイタリアンレストラン、ローマではピザやティラミスなど、国を挙げればそこで美味しかったもの・印象に残っているものを答えられるが、あえて一番をあげるとしたら、台湾の鹹豆漿(シェントウジャン)である。

鹹豆漿は、簡単にいうと塩っぽい豆乳スープのことで、ネギや干しエビなどを入れ、お好みで油條と呼ばれる揚げパンを浸して食べる台湾の代表的な朝食メニューである。スープにお酢やラー油が入ることでさらっとしたスープの中に、少しだけフルフルとした豆乳が固くなった所ができるので、食べ応えもある。他の国で食べたものよりも、おそらくはるかに安いだろうこのスープ。値段と材料を考えると、ローマのティラミス、フランスで食べたフレンチ、と言いたくなるところもあるのだが、どう考えても、私はこの鹹豆漿を挙げずにはいられない。

そう考える理由は大きく二つで、まずは何と言っても味だ。台湾に行く前にリサーチもかねて、台湾(台北)に行ったことのある人にこの鹹豆漿のことを聞いてみると、決まってみんな「めちゃくちゃ美味しい」と言う。しかし、どんな味がするのか聞くと、「塩っぽい豆乳」「甘くない豆乳」など、いまいち美味しさを感じられる回答ではなかった。豆乳は好きだったけど、塩っぽいのも甘くないのも、わざわざ台湾で食べるほどの豆乳スープなのか?という疑問をぬぐい去れなかった。しかしガイドブックやブログでも絶賛されているのをみると、試さずにはいられず、半信半疑を「えいや!」で押し通し、試してみた。

私は滞在中、2件ほどのお店に行き、そのうち最初に食べた「阜杭豆漿」というお店のものの方が好みだった。1時間弱行列に並び、やっと目の前にしたスープ!「やっと…」という幸福感と達成感に浸っていたのを差し引いても、一口すすった瞬間思わず目をつぶり、こんなものを毎日食べられる台北の人、羨ましい!と心で叫んだほど、その美味しさに感動した記憶がある。確かにみんなが言うように、塩っぽい豆乳だし、甘くない。記憶は少々曖昧だが、エビやカイなどの他の食材も入っていて、それらが豆乳と合わさることにより、優しさと懐かしさを感じさせる味わいであった。この異国の地で出会った、現地の人が愛するスープに、一口飲んで一目惚れしてしまったのだ。

二つ目は、このスープを食べたことが、すごく大きな達成感になったからだ。台湾(台北)は2回目のひとり旅の場所として訪れ、初めて朝・昼・晩全ての食事をホテル以外の場所で取ることにした旅であった。初めてのひとり旅ではまだ勇気がなかったので、朝食は基本ホテルバイキングにしていたが、台湾の時はとにかくこの鹹豆漿が食べたかったので、朝食なしのプランにしたのだ。

絶対に行きたかった「阜杭豆漿」は、ホテルから1時間弱かかり、朝早くから地元の人や観光客で行列ができるため、前日は早めに寝て6時台にホテルを出発し、行列の最後尾に並んでひたすら順番を待った。6月なのに、8月のような暑さと地元の人が言うくらいの想定外の暑さに体力を奪われながらもようやく自分の番に。大きな現地の人が利用する食堂のような店内で、厨房と客を隔てるガラス沿いに我々は並び、厨房の終わりにあるレジで自分の食べたいものを注文し、食事を受け取ってから席を確保するスタイル。

特に特別でもないスタイルだが、ここで恐れていたことが起きてしまった。ここは有名店とは言え、観光向け、と言うよりは地元の人の食堂のような場所。お店に入った瞬間から、そして前日の夜から薄々と感じていた、「自分の食べたいものを正しく、店員に注文できないかも」という不安が現実のものになってしまったのだ。ガイドブックでは「地元の人に習って注文」「メニューがあるからそれを指差し注文」など、私たち観光客がお店に行くことを躊躇しないように何かしら心の頼りになるものが書いてあった。私はそれをちゃんと実行したはずなのだが、店員との相性が悪かったのか、ガヤガヤとしたお店の雰囲気に負けてしまったのか、一向に注文をわかってもらえなかった。

ちょっと心が折れそうになったのと、焦りがどんどんと出てきて、あたふたしていると、突如後ろにいたおじさま3人組の1人が、私の注文を店員に代わりに伝えてくれたではないか…!突然の助けに、なれない私は弱々しく「シェーシェー」と発するしかできなかったが、おじさまはふと片手を挙げ、「どうってことないよ」と言いたげな笑顔を返してくれた。このおじさまがいなかったら、おそらく私はこの絶品スープを食べることなく、移動時間と行列に並んだ時間を悔やみながらお店を後にしたに違いない…そう思うと、今でもこのおじさまへの感謝が止まらない、と言ったら少々言い過ぎだろうか。

それはそうだとしても、現地の人の混じって、食堂のようなところで現地の定番メニューを、現地の人の助けを借りながら食べる、という体験にはものすごく新しいことにチャレンジした、という達成感があったし、だんだんとひとり旅の経験を重ねたり、度胸がついたりなれてくると味わえない。そう思うと、味はもちろん、鹹豆漿ありつけるまでに経験した出来事が、より「一番美味しかった食べ物」としての地位を築き上げているのだと思う。

旅先で「美味しいものに出会う」のは、情報が十分、というよりどちらかというと嫌という程ある今においては、全く難しいことでない。でも、例えば美味しさレベルが共に10であっても、何の苦労もなく感じたレベル10の美味しさより、特別な体験を伴うレベル10の美味しさの方が、グッと旅らしくて、「一番美味しい食事」に繋がる体験なのだろう。

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