トライアングルとろくでなし
(別のブログより転載。オリジナルは「Triangle」のタイトルで 2018年3月2日投稿。一部修正しています。)
マンションとは名ばかりの、6畳に狭いキッチンがあるだけのアパートの一室、窓際に置かれたベッドに私はTシャツにパンツ一枚という姿で横になり微睡んでいた。暑い夏の昼下がりであったが、開け放した窓からは風が時折りレースのカーテンをわずかに揺らし、私の頬を柔らかく撫でていった。その蒸し暑く重い、だが不快ではない空気と一体となった半覚醒状態の意識が、その微睡みの心地よさとは異なる、こそばゆいような微かな心地よさを捉え、私は目覚めた。ぼんやりとその方向に目をやると、ベッドに横になった私の足元に綾(あや)が座り込み何やらしていた。私の足の爪にマニキュアを塗っていたのである。こそばゆい心地よい感覚の源はそれだった。
「何してるんだよ?」
「だって退屈なんだもん」
そう言って悪戯っぽく笑えば可愛いところであるが、そうせずにぶっきら棒に言うのが綾であった。
「昼休み葡萄屋に行ったらいなくって、それで部屋だと思って一緒にランチしよと思って帰ってきたら寝てるし」
当時、私は二十一か二十二。綾も同じ年であった。その頃私は大学に自宅から通えるにもかかわらず、親父のことが嫌いで家を出てしまい、住み込みで新聞配達をしたり、アルバイトをしながら、臭い汚い共同トイレの安アパートを借りて暮らしたりしていた。その内、いろんなことが面倒臭くなり、大学の授業にも碌すっぽ出ず、仕事もせず毎日ぶらぶら、今では死語であるが、プー太郎になり下がり、挙句の果てに女のところに転がり込んで半ばヒモ同然の暮らしをしていた。というより、そうやって毎日をやり過ごしていた。そして、その女が綾であった。
葡萄屋というのは、綾のアパートのすぐ近くにあり、彼女がアルバイトで店員をしていたブティックのすぐ向かいにある珈琲専門店であった。そこはマスターが大のジャズ好きで、膨大な数のレコードをカウンターの背後に並べ、その時の気分でそのどれかを絶えずプレイヤーにかけて流していた。私は当時その店の常連客の一人であった。常連と言っても、店にとっては、金もなくコーヒー1杯で長時間カウンターに居座り、ジャズ談義やら哲学的で観念的な青臭い屁理屈をマスター相手に並べ立てたり、暇に飽かしてはウエイトレスにちょっかいをかける、あまり儲けにならない好ましからぬ客であったかもしれない。
「その、ろくでなしっぽいところ、好きよ」
「ろくでなしってなんだよ」
「ろくでなしじゃないの。ろくでなしっぽいの」
ろくでなしではなくて、ろくでなしっぽい。そんな、謎めいたことを口にしながら、綾は獣のようにしなやかにベッドによじ登り、寝そべっている私の上に四つん這いにまたがる。そして汗の滴を一滴二滴、私の頬や首筋に垂らしながら、やはり水辺の水を飲む獣のように肩を落とし、そぉっと首を伸ばし、肉感的で柔らかい唇を重ねてくるのだった。
ここで「ろくでなし」を辞書で引いてみると「何の役に立たない者、のらくら者」とある。「碌でなし」と書くことも多いようだが、その場合「碌」は当て字で、正しくは「陸でなし」と書く。「陸」を「ろく」と読むのは呉音で、他に、陸地を「ろくじ」と読んだり、陸屋根、陸墨など、陸の字を「ろく」と読ませる言葉がけっこうあったりする。
漢字の、特に音読みに多様な読みがあるのは、漢字が日本に入ってきた時代と、その当時、中国を支配していた民族または王朝がその漢字にどのような音をあてていたかによるものであることは、ご存知の方も多いであろう。例えば、修行の「ぎょう」(呉音)、旅行の「こう」(漢音)、行燈の「あん」(唐音) などのように。
そのうち、歴史的には呉音が一番古く、当時の中国南北朝時代の南朝(六朝)時代の首都健康(南京)付近で使われていた漢字音を、主に呉と交流のあった百済人が大和時代の日本に伝えたものが呉音であるとされる。別称、百済音、または対馬音とも呼ばれる。それゆえ、先の修行であるとか、経文「きょうもん」、成就「じょうじゅ」、殺生「せっしょう」などの語、または呉音でのみ使われる農業の「のう」、漁網の「もう」、城下町の「じょう」など、仏教にまつわる語や文化歴史的に非常に古い字音に多い。例えば「利益」を「りえき」と読むのは漢音であるが、「ご利益」と書いて「ごりやく」と読むのは呉音、普通の利益ではなく手を合わせて仏様から頂く利益は「りやく」なのである。また、男女を「なんにょ」、自然を「じねん」と読むように、呉音は漢音と比べ、マ行ナ行鼻音濁音が多く、まったりまろやかな感じを与えるため、日本語にもよく溶け込み、遊び人の「にん」などのように「あそび」という大和言葉などともしっくりくるのが特徴である。
その後7、8世紀ごろになり遣唐使などによって大量に日本に持ち込まれた音が漢音で、当時の唐の首都長安辺りの発音であった。漢音は、先の呉音と並んで、またはそれ以上に現在の日本の漢字音の骨格をなすものであるが、江戸時代以前の庶民が知っていた漢字は、古くから定着していた呉音読みのものにほぼ限られていた。漢音が現在のように主流になるのは、明治時代に入り、欧米に追いつけ追い越せとばかりに、時の明治政府が欧米の事物・学問・文化思想・概念・社会制度を大量に輸入し、その訳語の読みにもっぱら漢音を当てたせいである。
その遣唐使は894年に菅原道真により廃止され(受験で「白紙(894)に戻そう遣唐使」と語呂合わせを覚えた人も多いと思う)、以降しばらく日中間の交流は途絶えていたわけだが、鎌倉時代に入り再開され、室町から江戸期には再び盛んになっていく。その過程で禅宗の僧や貿易商人によって日本に持ち込まれたのが唐音である。呉音と漢音がほぼすべての漢字にわたる体系立った普遍的な読みであったのに対し、唐音にはそのような体系性はなく、僧や商人によって持ち込まれた特定の概念や事物を表す語と結びついた、非常に個別的断片的な性格の強いものであった。そのほとんどが、禅宗に関連した語や、商人によって持ち込まれた語であり、特に行燈(あんどん)、椅子(いす)、箪笥(たんす)、炬燵(こたつ)、湯湯婆(ゆたんぽ)、蒲団(ふとん)、吊灯(ちょうちん)、暖簾(のれん)、扇子(せんす)、饅頭(まんじゅう)、瓶(びん)などのように、日本人にとって日常的に非常に馴染み深く、同時に懐かしい気持ちにさせる語が多く、我々の生活の基礎がいかに鎌倉時代以降に中国から伝わった物で成り立っているかが分かり興味深い。
さて、話を戻すと「陸でなし」である。「ろくでなし」の「ろく」の正字が「陸」であり、「ろく」が呉音であるのは分かったが、そもそもなぜ陸という字なのかである。この「陸でなし」の他に、「陸すっぽ(陸に、陸々)勉強もしないで」とか「陸な人間ではない」「陸なことにならない」などのように、陸は後ろに否定語を伴い、物事や人が正常でない、まともでない、満足いかないさまや状態を表すのだが、陸を否定するとなぜそのような意味になるのか、語源としてよく挙げられる最も一般的な説明は非常に分かりやすいものである。つまり、陸は陸地の陸であり、それは地面であり大地であり、それゆえに水平で傾きのない平らなさまを表し、そこから物や性格が歪んでいない真っ直ぐなさま、まともな状態を表すようになり、その否定語が今の「陸でなし」のような語につながったという訳である。うーん、ちょっと分かり易すぎやしないだろうか。そう思い、ネットをあれこれ調べてみると面白い説にぶち当たった。「ろくでなし」の「ろく」は「陸」ではなく、「六尺(ろくしゃく)でなし」が「ろくでなし」になったと言う説である。昔から葬儀の雑務に従事する人を六尺と言い、葬儀自体には何の役にも立っていない参列者は「六尺でない者」、そこから役立たずを「六尺でなし」→「ろくでなし」と呼ぶようになったと言うのである。
しかしながら、その「六尺でなし」説、面白いのだが、そうであればなおのこと「陸でなし」でもいいのではないかと思うのだが。というのは、六尺=陸尺だからである。「陸」は漢音で「りく」、呉音では「ろく」だが、同様に「六」の字も漢音では「りく」、呉音で「ろく」であり、音が同じであれば意味も癒着するのは言語の常で、六=陸であり、だから一を壱、二を弐、三を参と書くように「六」の大字は「陸」なのである。それゆえ「六」も「陸」も同じで、どちらでもいいのである。
元々「六尺/陸尺」とは駕籠担ぎなどの人夫を指す言葉である。その語源は「力仕事をする者」という意味の「力者(りょくしゃ)」が訛ったものであり、そこから、雑用などに使われる下男や下僕の意を表すようになったと言うのが通説だとされている。またそれとは別に、その元々の駕籠担ぎを六尺と言うのは、彼らが一様に六尺褌(ろくしゃくふんどし:六尺の長さの褌)をしていたからだという説もある。だがそれにも反論があり、元々六尺褌は六尺の褌ではなく、駕籠担ぎの六尺がしている褌だから六尺褌になったと言うのである。だったらその駕籠担ぎをそもそもなぜ六尺というのか、それは「力者(りょくしゃ)」が訛ったものであるという最初の話に結局戻る。その真偽のほどは定かではないが、「六尺褌をしていた力者」が「ろくしゃく」になったぐらいが妥当なところだろう。ここで思い出すのが「人力車」で、英語で rickshaw(リクショー)という。英語のリクショーは明らかに日本語の「じんりきしゃ」の「じん」が落ち「りきしゃ」が訛って出来たものである。細かな微妙な発音の違いはあるが、英語であれ日本語であれその他何語であれ、同じ人間が喋る言葉、その発声器官である口や喉の解剖学的な構造は人間ならばほぼ同じで、「リク」が「リキ」になったり「ロク」になったり、または「リョク」が「ロク」になったり「リキ」になったり、その音韻変化は世界のどこでも同じようなものなのであろう。
上記のようにもし「りょくしゃ」が「ろくしゃく」になったのであれば、その「六尺/陸尺」は本来「力があって役に立つ者」の意であり、それゆえ「六」も「陸」もどちらも、ある意味において当て字であると言え、結局やっぱり「六」でも「陸」でもどちらでもいいということになる。以前、ろくでなしを「六でなし」と書くのは全くの誤りであると述べているのを何かで読んだ記憶があるが、ここでの話で行けば、六も陸も碌もすべてある意味当て字であり、碌と陸と六のどれが正しいかという議論など、正真正銘ろくでもない議論だということになる。で、ここで私は高らかに宣言したいのである。ろくでなしの「ろく」は正しくは「碌」でも「陸」でも「六」でもなく、つもりどれもろくでもない説明であり、唯一まともで正しいのは「力」なのである。その語源はもうお分かりであろう。それは「陸でない(ろくでなし)→平らでない→曲がっている→役立たず」でもなければ「六尺/陸尺でない(ろくでなし)→葬儀で何もしない→役立たず」でもなく、「力者(りょくしゃ)でない(ろくでなし)→力がない→非力である→役立たず」なのである。この新説、どこを探してもネットには出てこないが、考えれば考えるほど、この説が尤もらしく思えるのだが、我田引水が過ぎるであろうか?確かに「力」の音読みは「りょく」と「りき」しかなく「ろく」はないのだが、また歴史的に「力」を「ろく」と読ませる例はいくら探しても出てこないのだが、先ほど述べたように、「りょく」も「ろく」も「りく」も「りき」も言語の音韻の経時的変化の点から言えばどれも同じなのである。「りょく」が「ろく」になるのは朝飯前。試しに「りょくしゃ」を出来る限り早口で10回繰り返してみてほしい。最後には必ず「ろくしゃ」になっているはずだ。それに、「力」そのものには「ろく」はないが、肋骨の「肋(ろく)」も、弥勒の「勒(ろく)」も旁(つくり)に「力」を当てるではないか。という訳で「ろくでなし」は正しくは「力でなし」なのである。どうだろうか?無理がある?いやいや「力」だけに、ここは問答無用の力業でねじ伏せておきたい。
「ろくでなしじゃないの。ろくでなしっぽいの」
40年前の綾はそう言った。
私の上にまたがって大きく開いたTシャツの胸元からは、ほっそりとした体から想像もできないほどふくよかな、形のよい白い乳房が葡萄の房のように露わになっている。綾は平素からブラジャーをしない女だった。とにかく拘束というものを嫌う女だった。
ろくでなしが辞書的には「何の役に立たない者、のらくら者」ほどの意味であることは先ほど述べた。だが人が何の役にも立たないというのはどういうことであろうか。ある人に天井の電球を変えさせようとしたが背が低すぎて役に立たなかったとか、固く閉まった瓶のキャップを外してもらおうとしたが、その人は握力がなさすぎてその役には立たなかったとか、そういう意味ではあるまい。先ほどの「ろくでなし」=「力でなし」論で言えば、非力なことを言うわけだから、その状況に当てはまっても良さそうであろうが、それはあくまでも語源の話である。ある語が、語源として使われていた意味合いと別のニュアンスや、より幅広い語義をその後獲得することはよくあることで、先の電球や瓶のキャップで示した状況において「あなたって本当にろくでなしね」と言うのはやはりしっくりこない。ろくでなしとは、そのような個々具体的な状況において、ある特定の目的を果たす能力に劣っているということではなく、常態的に社会や他人にとってまったく役に立たず、自らの意志で何ら生産的なことを少しも行おうとしない怠惰な生活態度、あるいは、そのような傾向にどうしても陥ってしまう気質、性分を指す言葉のように思える。また、「このろくでなしが!」などという使い方にも表れているように、のらくら他人に依存ばかりしていて、それでいて恩を返そうとしない、むしろ仇で返すようなその態度が、常識や社会規範に著しく反し、人に嫌悪感や不快感を引き起こすような場合が多いように思える。「このろくでなし!人間の屑!」と言い添えると非常にしっくりくる。だがその場合「人でなし!」と言うのとは少し違うような気もする。「人でなし」とは、人の道に外れ、もはや普通の人間とは思えないほどの逸脱、ぞっとするほどの異常性を感じさせる人や行動に向けられる言葉だからである。それは「犬畜生にも劣る!」「けだもの!」などともほぼ同義であり、それに対し「ろくでなしは」は「けだもの」ではなく、そのだらしなさが決して社会的に見て好ましいとは言えないが、それも人間の一部であるというような、どこか人間臭さを表す言葉ではないだろうか。とは言うものの、この当たりは非常に主観的なことであり、どの程度の、どのような状況に使うかは人によって大いに議論が分かれるところであろうが。
「ろくでなしってなんだよ」
そう、形だけでも抗ってはみたものの、少なくとも私にはろくでなしの自覚があった。それはそうである。仕事も碌すっぽせず(「力すっぽ」と書きたいところであるが)毎日ぶらぶらして、女の部屋で惰眠を貪っていたりするわけだから、それがろくでなしでなくて一体何であろう。しかし綾はそれを「ろくでなしっぽい」と言うのである。
「だって、ろくでなしじゃないでしょ。ほんとはね。真面目なのよ」
それには何も答えず、私は綾のTシャツをたくし上げ、白い葡萄の房の先の、まだ淡い色をした一粒を口にふくんだ。私がそうしたのではない。私がそうしたくなるように、綾が体をずらし、私の顔の上に自分の胸を持ってきていたのである。少したるんだTシャツが私の視界を覆い、私の顔を撫でた。私は、何も考えず半ば自動的に綾のTシャツをたくし上げていた。
「振りしてるだけ。でも、そんなとこが好きよ」
私はひたすらただ黙々と綾のみずみずしい肌を貪っていた。貪っている振りをしていた。見抜かれていたのである。
確かに私のろくでなしには振りの部分が大いにあった。いわば確信犯的にろくでなしを演じていたと言ってもいい。それは100%意識していたわけではない。私は根っからのろくでなしではなかった。私を表向きだけ知っている人は意外に思うかもしれないが、むしろ生真面目な方かもしれない。だが、どういうわけか、まともでないろくでなしな生き方に強く憧れ惹きつけられるようなところがあった。それが何から生じるのか、はっきりとは分からなかったが、親父を嫌う気持ちと裏腹であることは確かだった。とにかく、いわゆる真面目な人間という種族を毛嫌いしていた。真面目、好青年、爽やか、しっかりしている、頼もしい、つまり「ろくでなし」の対極であるそういった性質はすべて社会の常識的な判断基準に照らして決まるものである。その判断基準のすべてを貫いている尺度はただ一つ、社会にとって有用かどうか。私は、その有用性に潜む欺瞞や偽善といった胡散臭いものに人一倍敏感だったように思う。そして、その最低限の基準をも満たさない「ろくでなし」というものに何か生きる本質的な意味を見出そうと足掻いていたのかもしれない。
「私の方こそろくでなしよね」
「どうしてだい?」
「だって仕事の昼休みにこんなことしてるんだもの。ろくでなしよ。でもいいの。好きよ、あなたとこうしてるの。生きてるって気がする」
蒸し暑く気怠い昼下がり、重く湿った空気、じっとりとした、弾力的で吸い付くような綾の、懐かしいような生暖かい肌を感じながら、あの当時の記憶の中の私はいつもジョー・ボナーのこの "Triangle" を聴いていたような気がする。綾が大好きだったのである。いつもいつもこのレコードをかけていた。少なくとも記憶の中の綾はそうだった。
Joe Bonner ジョー・ボナー:アメリカのジャズピアニスト。1948年4月20日、ノースカロライナ州ロッキーマウントに生まれる。両親はヴァイオリニストと歌手で、小学校時代から音楽を学ぶ。1970〜71年ロイ・ヘインズ、72〜74年ファラオ・サンダース、75年ビリー・ハーパー等のグループで活躍。その後、自己のグループを結成し、15枚ほどアルバムを残し、2014年11月20日コロラド州デンヴァーで心不全のため死去。
かなりのジャズ通でないと知らないかもしれない。2014年死去とあるが、特に、2000年以降は3枚しかアルバムを残しておらず、現代の若いジャズファンの間では存在感の非常に薄い、今では忘れられたピアニストの一人と言っても過言ではないだろう。しかしピアノ好きならば、知らないで済ますにはあまりにも惜しいピアニストであると思う。上記の略歴にファラオ・サンダース、ビリー・ハーパー等と活動と書いたので、スピリチュアル色濃厚な重厚なピアノをイメージする方も多いかもしれない。確かにその側面はあるが、そのピアノを一言で言うなら、ずばり、どこまでも初々しく瑞々しくリリカルなマッコイ・タイナー。ご存知ない方はこの機会にぜひ一度耳を傾けてみてほしいと思う。
特に私のお薦めの一枚は、もちろんこの Triangle である。録音は1975年、ジョー・ボナー27才の作品で、ジャズミュージシャンとしていよいよ油が乗ってきた頃であるが、円熟とはまだまだ程遠く、怖いものを知らない、攻撃的な初々しい若さとエネルギーに溢れたアルバムである。クリント・ヒューストンの重厚かつ軽やかで、心地よいリフの印象的なベース音と、手数は多いが決してうるさくなく、軽やかでテクニカルな変化に富んだビリー・ハートのドラムのリズムを背景に、ジョー・ボナーのピアノはあくまでも清冽でリリカル。アグレッシブかつメロディアス。叩きつけるような重厚さの中にも天使の羽根のような繊細さと軽やかさを秘め、散りばめた宝石のような煌びやかな音色とメロディーはただ美しいだけではなく、スピリチュアルな深さに満ち、聞く者の胸に迫らずにはいられない。ぜひぜひ聴いていただきたい一枚である。特に好きな曲はB面1曲目の、いやCDを求めて聴かれる方は4曲目の VEGA。綾とのことを脳裏に思い描く時には、映画音楽のように必ずこがの曲が頭の中で鳴っている。そして最後の曲に、On Green Dolphin Street でも有名な作曲家ブロニスロウ・ケイパー作曲の、私の大好きな曲 Invitation を取り上げているのも嬉しい。ここでのジョー・ボナーは先ほど述べたジョー・ボナーらしさに加え、繊細な気品にも満ち溢れている。
こちらはYouTubeから。「Triangle」の中の私の好きな曲 Vega。
映画の心に残るワンシーンには必ずその場面の音楽があるように、私が綾を思い出すときにはこのVegaがいつも頭の中で鳴っている。
ある時、いつものようにその Triangle を流しながらベッドで睦み合っていると(いや、年がら年中、何をいたしていたわけではない。6畳に狭いキッチンだけで、とにかく狭いのである。くつろぐのは自然とベッドの上ということになる)、激しくドアを叩く音がした。ぎょっとして体を起こし綾を見ると、真っ青な顔をしている。そして声をひそめて「服を着て。服を」と囁く。「どうして?」と唇の動きと表情だけで尋ねると「あ、と、で」と綾も同じように黙って唇を動かす。私はもうほとんど事情を察してしまっていた。ドアの鍵は閉まっていたので乱入してくる恐れはなかったが、さすがに綾も気まずかったのであろう。二人とも素っ裸だったのである。
ドアを叩く音はなおも止まない。
ドンドンドン「いるんだろ!分かってんだよ!」
ドンドンドン「返事ぐらいしろ!あやっ!」
ドアの向こうの男が彼女のことをあやと呼ぶのを聞き、私の推測は確信に変わった。そして眉をひそめながら非難がましく彼女を睨むと、綾は目の前で手を合わせ「ごめん」と唇を動かした。なおもドアのドンドンは止まない。
「おい!あやっ!出て来れんのかっ?!出て来れんことでもしとるんか?!」
出て行けないことをしているのは確かだった。
ドンドンドン「いるんだろ!トライアングルが聞こえてるぞ!」
男はなおもドンドンをやめない。どうなるのか、どうするつもりなのか、固唾を飲んで見守っていると、綾は「仕方ないわね」とでも言うように投げやりな仕草でのろのろと立ち上がり玄関に向かった。人に服を着ろと言っておきながら自分は丸裸だった。長い黒髪を肩と背中に落とし、この世のものとは思えないほど優美な曲線を描きくびれた腰の、その均整のとれた一糸纏わぬ後ろ姿の立ち姿を私は初めてまじまじと眺めた。そして事態の深刻さも忘れ、その美しさに見惚れていた。彼女が裸だったので男を中に入れる心配はないだろうという計算も、確かに脳裏の片隅にあった。
ドンドンドン!
「うるさいわね。いい加減にしてよ!近所迷惑でしょ!」
ドア越しに彼女は声を上げた。
「やっぱりいるんだな!開けろよ!男でもいるんだろ!」
確かに。
しかし綾はそれには一切答えず、つっけんどんな口調でドアに言った。
「かっこ悪いわね。みっともないでしょ。近所の人が聞いてるでしょ」
「だったらドアを開けて話ぐらいさせろ!」
それも確かに。その男に対する綾の態度はあまりにも理不尽なように私には思えた。
「帰って!いいから帰って!またきちんと話しましょ。急に来られたって無理よ。今日は帰って。ドアをドンドンと叩いて大声を上げる人なんて嫌いよ!」
私はドアの向こうの男がさらに逆上するのを恐れた。その男が怖かったわけではない。いや、今日は事なきを得ても、その男に付け回され、ある日ナイフをぶすっと・・・そういう恐怖もないわけではなかったが、それよりも何よりも、その男がこのまま喚き散らしながらドアを叩き続け、そのうち誰かが警察に通報し、警察官がやってきてあーだこーだ事情聴取をされ連絡先を聞かれ、などと考えるとあまりにも面倒臭く思えたからである。
だが私の予期に反し、ドアを叩く音も男の声も、「ドアをドンドンと叩いて大声を上げる人なんて嫌いよ」という綾の言葉を最後にぴたりと止み、ドアの向こうはしーんと静まり返った。そして耳を澄ませているとその場から立ち去るらしき靴音がかすかに聞こえ、やがてそれも聞こえなくなった。
「帰ったのかな?」
「帰ったと思う」
「その辺で待ち伏せしてたりして」
「そんな人じゃないと思う」
「・・・」
「・・・」
私は黙っている。彼女も黙って立ち尽くしている。相変わらず裸である。私は彼女を見凝め続けた。綾は、私が非難の目を彼女に向けているのだと思っていたのであろう。彼女も何かを言い返した気な顔で私を見続けていた。なんと私はずるい男であろう。先ほどとは違い、真っ直ぐこちらを向き、そのすべてが露わになった綾の裸身を、私は臆面もなく眺め続けた。誰かは知らぬが、その男が執着したくなるのも無理はない。この女は今は俺のものだ、私は悟られないように内心密かにほくそ笑んでいた。やはり私はろくでなしだった。と同時に、先ほどの男があまりにも不憫に思えた。俺も最後にはこんな風に捨てられるのか、という思いが脳裏をよぎった。
「少しひどいんじゃない?」
しかし綾はその言葉を、その男に対してではなく、私に対してだと勘違いしたようだった。
「ごめん。言おうと思ってたの」
さすがに素っ裸で立っているおかしさに気が付いたと見え、パンツをはきTシャツを着ながら綾は事情を話し始めた。事情と言っても何のことはない、前の男と別れないうちに次の男ができてしまった、ただそれだけのことである。その男が嫌になって別れたい気持ちを告げたが、相手はなかなか承知せず、怒ったり泣いたり拗ねたり追いすがってくる。その女々しい未練がましさがさらに彼女の気持ちを遠ざけるのだが、そうかと言って、暴力を振るったり包丁を持って追いかけ回したりするわけでもない。ただひたすら話だけでも聞いてくれと迫ってくる。綾も、心変わりをしたのは自分の方であるという負い目から、少しは誠意を見せなければと、つい情にほだされ話に応じてしまう。そんなこんなしているうちに私と関係を持ってしまった、という訳である。確かに、ろくでなしである。
「あんな人だと思わなかったの。女々しくて、しつこくて、すぐに焼きもち妬くし、やたら拘束してくるし。ごめん。早く白黒つけるつもりだったんだけど、でも根はいい人で、真面目で。だから、すっぱりという訳にもいかなくて。嘘ついてたわけじゃないのよ。ただ、なんかこう、ずるずると。ごめんね。でも、あなたといる間は一度もないから。信じて」
しかし私は信じてはいなかった。というよりも積極的に信じようとも思わなかった。綾という女をよく知っているからである。そもそも私とこうなったのも、何となくこうなってしまったのである。だったらまだ関係の切れていない向こうとも、少なくとも最初の頃は、何となくそうなっていてもおかしくはない。
「やっぱり私のほうがろくでなしね」
どっちもどっちだろう。私は、結果的に知らずに三角関係を続けていたわけだが、おそらく綾に、別れたいが別れられない男がいると告げられていても、たぶん綾とはこうなっていたであろう。綾も向こうを切るに切れず、私もそれを仕方ないと受け入れながら。どっちもどっち、どちらもろくでなしだ。
その後、ご多分に洩れず、こういった茶番にありがちな、やがて収束に向かうゴタゴタがあり、綾は私とも彼ともどちらとも別れ、一人東京に去った。三文小説かメロドラマのような話であるが本当のことである。作詞家になりたいと言っていた。その後すぐ彼女とは二度ほど会ったのだが、それからはまったく消息を聞かない。言葉通り作詞家になったのかどうか、仮になっていたとしてもペンネームを使っているだろうから、元より分かる道理もない。
その彼もその後どうしているのか、知りたくもないし知る由もない。ただ一つだけ私には気になっていることがあった。ドアの向こうで彼は「トライアングルが聞こえてるぞ!」と叫んだ。かつては彼も私と同じように綾の部屋でいつもいつも Triangle を聴いていたのであろうか。そして私同様、それが大好きだったのだろうか?ひょっとすると、そう、ひょっとするとである、あのトライアングルは彼のものだったのではないか?一度、それだけは尋ねてみたいと思っていたのだが、ついぞ聞けずじまいに終わった。いや、それで良かったのだろう。
ちなみに復刻盤には合計6曲収録されている。1 Triangle 2 The Wind And The Rain 3 Mr. P.C. 4 VEGA 5 Miss Greta 6. Invitation である。しかしオリジナル盤は 1 Triangle 2 The Wind And The Rain 3 Mr. P.C. 4 VEGA 5 Invitation の全5曲である。おそらく復刻盤が出された時、5の Miss Greta がボーナストラックとして追加されたのだろう。つまり元々のオリジナル盤は6曲目がない、6がない、ろくでなしだったのである。私たちの関係は元々ろくでなしの三角関係だったのである。
(人名や店名など固有名詞は少し変えてあります。
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