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「みぞの鏡」に映る私

「じゃあヒントをあげるとしよう。この世で一番幸せな人には、この鏡は普通の鏡になる。その人が鏡を見ると、そのまんまの姿が映るのじゃ。これでなにかわかったかね」
ハリーは考えてからゆっくりと答えた。
「なにか欲しいものを見せてくれる…なんでも自分の欲しいものを…」
「当たりでもあるし、はずれでもある」
ダンブルドアが静かに言った。
「鏡が見せてくれるのは、心の一番奥底にある一番強い『のぞみ』じゃ。それ以上でも以下でもない」

ー『ハリー・ポッターと賢者の石』J.K.ローリング作
松岡佑子訳
静山社

突然ですが、「みぞの鏡」をご存知でしょうか。

今なお全く色褪せない傑作魔法ファンタジー、『ハリー・ポッター』シリーズの第一巻『ハリー・ポッターと賢者の石』に初登場する、魔法の姿見のことです。

赤ん坊の頃に両親を亡くし、おじの家で冷遇されて育ったハリーには、温かい家族に囲まれた自分の姿が映ります。
一方、常日頃から優秀な兄弟たちに劣等感を感じている親友のロンには、主席やクィディッチのキャプテンになった自分が誰よりも輝いているのが見えるのです。

もし、私がこの鏡の前に立ったとしたら?

ハリー・ポッターを初めて読んだ小学生の頃から何度となく考えてきたことですが、この歳になって、「これが映るだろうな」という結論に達しました。

ー私は昔から自己肯定感が低く、自己否定的な性格の子どもでした。

元々の性質でもあるのでしょうが、幼少期、母親がヒステリーを起こすたびに「子どもなんか産まなければよかった」「あんた達がいるから離婚できない」などと繰り返し言われてきたことは、おそらく全くの無関係ではないでしょう。

学校では、勉強に関しては基本いつも偏差値50以上はクリアしている、という感じだったので、それほど強い劣等感を覚えることはありませんでしたが、問題は体育や家庭科等の実技でした。

運動神経はゼロに等しく、球技や運動会では周りに迷惑をかけまくり、かなり顰蹙を買っていました。
家庭科や技術等でも、先生の説明を一言一句漏らさず聞いてはいるのですが、いざ「じゃあやってみましょう」となると、不器用でとにかく要領が悪いため、何一つ上手くこなすことができません。

数学や英語がどんなに苦手でもみんなの前でテストの点を晒されることなどまずありませんが、実技に関しては、毎時間が公開処刑のようなものです。いやいや出席はしていたので「1」を取ることこそありませんでしたが、中学・高校の6年間、体育の成績はずっと「2」でした。

大学卒業後に就職してからも、基本的な私の自己肯定感の低さは変わっていません。

リーマンショック・震災後の就職氷河期の中で、私にしては結構良いところに就職ができたように思います。
しかし、実際に仕事を始めると、「やはり私はみんなより劣っているのだ」と感じる場面が多くありました。

例えば、大人数が集まる会議、飲み会での振る舞いなど、なんというか、「言葉でうまく説明はできないがその場で良い感じに立ち回る」ということが全くできません。会議等でも、一人で的外れのトンチンカンな発言をしてしまうことが多く、その度に心底落ち込みます。

その場に応じた臨機応変な行動が苦手なわりに他人の感情の起伏には敏感なので、上司などと話していても目の動きや話し方で「ああ、使えない職員だと思われているんだろうな」ということを読み取ってしまい、非常に落ち込みますし疲れます。

昨今、YouTubeやSNS等で「有能・無能の特徴〇〇」などといった内容の投稿をよく見かける気がします。もちろん、有能な人は素晴らしいです。いてくれなければ世の中が回りません。

しかし、気分が下がっている時などは、「有能ではない私には何の価値もないんだろうし、この世に生きている資格があるのかな…」と思うまでに落ち込んだりします。

縁があって結婚し、娘を産みましたが、そのことで自己肯定感に変化があったわけではありません。
家族とはいえ、夫も娘も別の人間ですから、この問題に彼らを巻き添えにするべきではないと考えています。そもそも二人とも私の自己肯定感を上げるための道具ではありませんし、結局は全てが自分の問題なのです。

さて、前置きが随分長くなりましたが、「みぞの鏡」の話です。

これに映るのは、「お金持ちになって贅沢しまくる私」でもなければ、「美しい顔のスタイル抜群の私」でもありません。
「自分に自信がある、自己肯定感の高い私」の姿で間違いないでしょう。

もちろん、できればお金はたくさん欲しいですし、今の自分の顔にもスタイルにも不満はあります。
しかし、仮にそれらを何の苦もなく手に入れたところで、真の意味で幸せだとは思えないであろうことを私は知っています。

何不自由なく大学まで出してもらい、定職に就き、結婚・出産を経験し、大きな病気をすることもなく、共働きをしながらマイホームに住んでいる。

この現状を聞くと、もしかすると、「一通り手に入れていいご身分ですね。何の不満があるんですか」という感じかもしれませんし、おそらくかなり贅沢な悩みなのだと思います。

私の自己肯定感の低さは、幼少期の家庭環境から生じている部分はあるでしょうが、それだけが原因とも思えません。それに、10代の頃などならともかく、30を過ぎて親の育て方が悪かったから…などと言っているのはダサいなぁ…とも感じます。

なんというか、「自分はちゃんとやれている」と、自分に自信を持てるような有能エピソードがないのです。
自信を持とう、自己肯定感をあげよう、と思っても、その根拠となる体験がなければ、それはなかなか難しいことです。

…とはいえ、自分は何の取り柄もないダメな無能人間だ、と思い続けながら生きているのもなんだか疲れてきました。
今更根本的な性格を変えるのは困難ですが、少しでも改善して楽に生きていくために取り組めそうなことをいくつか具体的に考えてみました。


①地上波のテレビ番組、SNSを基本的に見ない
(ふとした話題に落ち込むことが多いため)
②家の物を大幅に減らし、暮らしやすくする
(家の中が乱雑なことが、家庭内のイライラや揉め事の原因な気がしています)
③週に一回程度で良いので、新聞を読んで世の中の流れを掴む
(テレビを見ない分、ニュースを知る必要はあるかなと…)
④飲み会には行かないを徹底する
(結局うまく振る舞えずにションボリするだけなので)
⑤今の仕事とは全く別の方向性の仕事について勉強してみる
(今の仕事で、有能な人間になることはないだろうと確信しています…)


…とりあえずはこんなところでしょうか。

繰り返しになりますが、自己肯定感の低さは私個人の問題ですから、自分でなんとかしていかなければいけません。
一筋縄ではいきませんが、少しずつ、取り組んでいきたいと思います。顔を上げて真っ直ぐに前を見つめる、「みぞの鏡」の中の私に少しでも近づくことができるように。

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