豊冨瑞歩著「展開」の感想(#文学フリマで買った本の感想 #8)
塔短歌会・外大短歌会所属、短歌同人「ねこくるよ」で活動する豊冨瑞歩さんの短歌集。
豊冨さんが2020年4月~2022年5月に制作した短歌234首を収録。
おしゃべりポップコーンマシンは、テーマパークなどにあって、お金を入れてボタンを押すと、キャラクターの声が流れて自動でポップコーンを作ってくれる機械。機械の音声は元気いっぱいでたくさんのセリフを言うが、決められた言葉だけが一方的に発せられる。人間的なやり取りはしたくないけれど、静寂も嫌なとき、おしゃべりポップコーンマシンは孤独を癒やしてくれる。
友達との居心地のいい関係性。相手を気遣って笑うことはできるくらいの微妙な疲れがあるときでも、愛想笑いをしなくていいという関係性はお互いを信頼しているからだろう。「疲れ道」という造語を大胆に初句に置いているのも印象的。
同じ一連『人生設計』から。歌集全体に生きることに前向きな歌が並ぶ。しかし、その前向きさは、いわゆる意識高い系やパリピ陽キャ系の盲目的にテンションが高いものではなく、地に足のついた感覚から生まれている自然なもの。だからこそ、同じような落ち着きのある人々がSNSなどで「死にたい」と軽く発していることに違和感があるのだろう。「あたしたち」と複数になっていることで、主体の感覚を持つ人が周囲にもいることを示していて、世の中がやや病むことに許容的すぎるようになってしまったことに異議を唱えているようでもある。
新しい郵便番号をあたしのものにする、という感覚がユーモラス。主体の感情は直接的には詠まれていないが、「顔」の体言止めにより、新しい郵便番号に対してなんらかの心の動きが垣間見える。まだ慣れない郵便番号に戸惑う顔、新しい居住地にテンションが上がってにやりとする顔、逆に何も変わらなくて無表情、様々な顔が浮かぶ、もしくはそれらの顔が入り混じったような複雑な顔かもしれない。
明日会える人に今会いたいという感情は、それだけ強く思いを寄せる人のことを思う強い気持ちだろう。そうした感情の高ぶりから、空気や群衆というやや抽象的で特別な意味を持たないものに対しても感情が豊かになっているようである。
「あなたから離れる」に恋人や友人など近しい人との別離が想起され、「ためのあたらしい町」からは、そんな別離を意図的に行っている主体の覚悟も透ける。一方、1字空けで並んでいる「ねこくるよ」「ねこはこないよ」にゆらぎもある。花占いをしているような言葉遣いで、あたらしい町でうまくいくかどうかを、猫が寄ってくるかどうかで占っているようでもある。
ある特定の対象に対して感じていた印象が時間の経過とともに変化していくことがある。主体にとって、この「犬」は怖い印象だったのだろうが、だんだんと怖くなくなり、もう会えない、となると、「美しい」まで形容詞が変わっている。小題に『美しい犬』が採用されていることから、主体にとって、感情の変化が象徴的な出来事だったものかもしれない。
「冬が真面目にはじまりそうで」という予感に対して、「思いつく旅のすべてをやっていきたい」という意思表明で応えているのがとても自由で魅力的な一首。「やってみたい」ではなく、「やっていきたい」という言葉に主体の強い意志が感じられておもしろい。
「さくさく」はインターネット回線の通信状況が順調な時のオノマトペ。そのオノマトペが動画で踊っているアイドルにかかっているところに実感がある。寝る前にスマホをさわっている主体は横になっているだろう。動画を見ていて動きのない主体と万全の通信環境でいつまでも動画内で踊っているアイドルが対照的。3句目と4句目が句またがりがあることで、不穏さが感じられる。
生きることを独特な視点から肯定的に詠っている。試験前の独特な高揚感。それまでの勉強にかかった時間やお金が合格するかどうかで意味のあるもになるか、水泡に帰すかという状況にアドレナリンが出ている。その状態を比喩として「人生がいつでも試験前」と言い切っているところに圧倒的な生への肯定感を感じる。主体の豊かな感受性は、他の人にとっては何の変哲のないようなことだとしても、心が動くものとなっている。
著者略歴によると著者は筑波大学の学生。大学が終わって帰るときのつくば駅のアナウンスが想起される。生活は確かなものだけで構成されているわけではない。事故や災害に遭う可能性や、友達の感情の動きなど、自分にとって不確かなものはたくさんあるが、それをいちいち気にしていたら生きていけない。やや投げやりに「信じる」という行為を自然と行って人間は生きている。「今日も無事終わったよ」に、そうしたリスクがある中で、主体がなんとかサバイブしていることに意識的であることが示されている。
ボールが卓球台の角に当たってぎりぎり得点になる。その光景に「ぎりぎり会えない」というネガティブなイメージが重なる。確かにボールがぎりぎりコートに入るとき、見ようによっては、しっかりとコートに入っていないという見方もできる。「おもしろい」「そういう感じ」というやや投げやりな言葉遣いに、得点が入ってテンションが上がっている人たちに対して、主体が一歩引いた目線を持っているようでもある。
下の句の「あなた」は人間だろう。家族や友人、恋人には、理解してもらえない感情を猫に聞いてもらっている。一方、「あなた」は、自分を理解してくれない苦手な人とも、親しみがあって仲がいいけど価値観が違うところもある人とも考えられる。後者の場合、猫にたくさん話を聞いてもらって、また「あなた」と良好な関係を築いていくのだろう。
歌集全体を通して、生を肯定し、友人や恋人を大事にしている歌が多い。一方で、どこか揺らぐ気持ちや孤独感も抱えていて、そうしたときに猫が印象的に登場する。
また、人間はさまざまな属性を複雑に持っていたり、感情もわかりやすい1つのものだけでなく、様々に入り混じったものがあったりする。そうしたわかりにくいものを歌に昇華することで主体の感情が見え隠れしている。
大学生という社会に出る一歩手前で揺れ動く感情がぐっと詰め込まれた濃度の濃い短歌集だった。
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