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「〇〇さんは俺昔から知ってるから、直接言ってもいいんだけどさ」用心棒@東大前(東京ラーメン短歌散歩その2)

殴ったら俺が加害者になるのだろう電動カートにあおられる歩道
麺野菜スープ混じって地殻変動重力変化漏れ出す頭脳
学歴を洗い変えてもいいじゃないか お前の嫉妬の心を洗え

「〇〇さんは俺昔から知ってるから、直接言ってもいいんだけどさ」

真っ当な人間として生きていこうと思ったときに、自分自身を評価する見積もりが、他人の評価より、あまりに高すぎても、あまりに低すぎてもよくなくて、ちょうどバランスが取れていると、自分も周囲の人も精神衛生をクリーンに保つことができます。

自分はとにかく自己肯定感が低い性格なので、自分の見積もりを下に下げすぎて、できることまでできないと思い込んだり、過剰に予防線をはったりしてコストをかさませてしまったりする傾向があるので、メンタル不調の兆候があるときは、信頼する先輩に相談に行って、客観的な意見をもらうようにしています。

世の中には、私と全く逆で、自分の見積もりが異様に高い人というのも多くいらっしゃいます。

多いのは、過去の栄光にすがる形で見積もりが高い人です。

令和とはいえ、やっぱり「俺の若いころは」おじさんは常々お会いさせていただきますし、若い人でも「学生時代は」とか「俺が入ったばかりのころは」と、え、懐古厨になるの早くないっすか、という御大とお話させていただくこともあります。

過去の武勇伝が正しいのかどうかは、事実確認をしている暇が残念ながらないのですが、総じて「今の」仕事ぶりは残念だったりして、そんな方々を反面教師にして、自分自身を省み、どうせ自分も老害にはなるんだけど、「弱老害」とか「微老害」とかぐらいになるよう、なるべく新しい仕事に若い人と一緒に参加して、一緒に年下のクライアントに頭を下げたりしながら、労働にいそしんでおります。

自己見積もりが高い方で最も厄介なのは、「今は偉くなった人と昔同じ部署にいただけなのに、自分はその人にコネがあると思い込んでる系」の方々です。

大体文句ばっかり言って、仕事をしないのですが、挙句、仕事の指示の大元である役員の名前を挙げて、「〇〇さんは俺昔から知ってるから、直接言ってもいいんだけどさ」とか言い出します。

事務系職場で、年下のヤンキーに地元の先輩の名前出して脅すみたいなことを同じ組織で働いている50代男性がしていると思うと、絶句します。

〇〇さんは、あんたのことなんて覚えてないだろうし、そもそもあんたがなんで今の部署の閑職についているか考えろよ、タコ、という言葉は心に押し込んで、「いやー、〇〇さんとお知り合いなんですか。私なんて話したこともないですよ。色々大変ですけど、私の方でもできるだけサポートさせていただきますので、なんとかよろしくお願いしますね」と大人の対応をして、御満足げに先方が電話を切ると同時に、そういえば、〇〇さんと話したことあったし、今度の打ち合わせでご一緒して俺がスピーカーで話すのか、とか思い出してしまい、立て板に水を流すように嘘をついていた自分に嫌気がさします。

緻密に計算された中毒性の高い二郎系まぜそば

奔放に人に迷惑をかけてそのことをなんとも思わない迷惑系サラリーマンとご一緒する中で、自らの言葉も軽くなってしまい、丁寧な仕事ができていない自己嫌悪を抱えているときに、心を取り戻すのに有効なのは、瞑想です。

家で一人で取り組みたいのですが、心の雑念がうるさいだけでなく、妻に酒を作れ、飯を作れと命令され、飼い犬は相手をしてほしくて膝からおろすとわんと吠えるという物理的にもうるさい環境なので、とても瞑想はできません。

そして私は、仕事帰りに、現代の仏閣と呼んでも過言ではないラーメン屋さんに足を運びます。

ラーメンを食べている間は、ラーメンだけに向き合い、ラーメンのことだけを考え、ラーメンと一体化していき、マインドフルネスで重要視される「いま」「ここ」にだけ注意が向きます。

そして、今日は仕事帰りに地下鉄南北線東大前駅に降り立ちました。

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改札を出てすぐにあるエレベーターで地上に上がります。

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エレベーターを降りて左手に1分ほど歩くと、「用心棒」の提灯が出迎えてくれます。

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まぜそば普通(300g)の食券を購入し、席が空くのを待ちます。
店内で並んでいると、店員さんから注文を聞かれるので、「まぜそば普通」と食券の文字を読み上げます。
トッピングは、提供の直前に聞かれるので、まだ答えなくて大丈夫です。

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セルフサービスの水を汲み、レンゲを取り、紙エプロンを装着して、瞑想が開始します。
静寂を支配するTOKYO FM。
仕事帰りに立ち寄ると時間帯的に「マイメロディのマイメロセラピー(毎週月~木19:48~19:51)」が流れていて、より涅槃を近くに感じられます。

「〇番のまぜそば普通の方、ニンニク入れますか?」
「ニンニク以外全部の辛たまで」

過去に2日に1回は用心棒さんに通っていた時期があり、ニンニクを含めた全トッピングを毎回食べていたら、寝室があまりにも臭くなり、朝目が覚めたら、妻が包丁を持って立っていたことがありました。
もちろん用心棒さんもニンニクさんも悪くない、悪いのはニンニクの匂いを消すことのできないお部屋の消臭剤です。

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真っ赤なテーブルの上に置かれた白い器の中に山がそびえたつ。
古来より山は信仰の対象であったが、現代の山は信仰の対象であるとともに、胃に収めることができる。
ガリマヨがうつくしく添えられた大量のもやしを力強く咀嚼していく。
ときに入ってくる鰹節、ねぎ、キャベツの味を感じながら、自然の恵みへの感謝が体からあふれてくる。

麺がお目見えしたら、器の全ての具材を一気に混ぜていく。
創造と破壊。
私たちは、それを繰り返しながら、すべては空であるという真実にたどり着くことができる。
もちもちの太麺は、しょうゆダレをまとって噛めば噛むほど旨みを感じられ、生卵とまじるとまろやかな旨みに変貌する。
トッピングのショウガと辛たま(タマネギの辛和え)も心を豊かにしてくれる。
ダイレクトに摂取するショウガは、ダイレクトに体を整えてくれる。
そして、肉厚なのに、箸だけで崩れるチャーシューは絶品の一言。
無心に食べすすめると、山は胃に吸い込まれていき、私の胃が山となっていく。
そして、器が真っ白になったとき、私の心も真っ白になるのである。

信仰心が高まり過ぎて、感情がオーバーフローしてしまいましたが、ただ一つ間違いがないのは、食べている間はまぜそばにすべての五感が奪われていて、その味は頭が爆発するくらい美味しいということです。

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完食して店を後にします。
店の外に自動販売機があり、缶コーヒーを買って、少し夜風でクールダウンするため、散歩します。

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「東大前駅」という駅名のとおり、目の前は東京大学です。
用心棒のお客さんも東大生の方が多く、本当にゴリゴリの分厚い学術書を持って待っているときに読んでいる方を見たことも何度もあります。

東大については、若干苦い思い出があります。

当方が社会人4年目くらいのときに東大卒の元気のいい男性が後輩で着任しました。

まあなかなか元気がよく、業務フローの説明中に「これって無駄じゃないですか」とかおっしゃるようなタイプの方で、私のような心を押し殺すタイプとは真逆でしたので、丁寧に対応しながらも、んー、とか思っていました。

また、なぜかことあるごとに、「大学で勉強したときに」と付け加える人で、残念ながら、当方も含め、東大を卒業した人はいなかったので、何とも言えない微妙な空気を何度も作っていました。

ただ、学歴もあるんだから、優秀な人なんだろうということで、割と皆さん丁寧に接してました。

そうしたところ、あるとき、「某私立大学学部卒、東京大学大学院卒」であることがわかりました。

「学歴ロンダリング」とか「学歴コンプレックス」とか身も蓋もない陰口が叩かれるようになり、それを知ってか知らずか、入社1年目の冬に退職されました。

人間的に難があったのは確かであるものの、もうちょっと寄り添ってあげることができなかったかなと、退職を聞いたときからモヤモヤはしていて、でも心理的に寄り添えなかったのは、きっと嫉妬してたんだと思います。

当方は、大学院にせよ東大に入るような知能はなく、さらに奨学金で大学に通っていて、1年前まで返済していたような人間なんで、大学院なんてとても考えられなかったという、非常に身勝手な劣等コンプレックスに苛まされていたのだと思います。

あと、4年目なんで自分のことで手一杯で仕事の余裕もなかったんでしょうね。

そういったことを踏まえても、もうちょっとなんかしてあげれなかったかなと、暗い東大の門を見ながらコーヒーを飲み終え、東大前駅のエレベーターに向かいます。

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自分の抱えている問題で目が曇らないように生きていきたいものです。

次回、11月8日(月)更新予定。
「太ってるのに体弱いのね」麺や金時@江古田です。

良い一日をお過ごしください。

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