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『たんたん拍子vol.6』の感想

たんたん拍子が発足して5周年!
毎回、連作と連作評を合わせて読めることがとても楽しく、そして勉強になります。
今回も、短歌も企画も興味深かったのですが、その中でも気になった歌を1首ずつひかせていただきます。

花屋の前を通れば花の匂い このさみしさとまだ長く付き合う/小俵鱚太

「自選三首」『たんたん拍子vol.6』

花屋の前を通ったときに花の匂いがすることは当たり前のことだが、そのことがことさら強調されるのは、当たり前のこと、いつもと同じことに主体の心が動いたからだろう。下の句から、主体がずっと「さみしさ」を抱えて生きてきたことが明かされ、さらにその「さみしさ」がずっと続くことを覚悟している。「この・・さみしさ」と特定されることで、一般的なさみしさではなく、主体自身に固有のさみしさがあることが感じられる。

たましいにだって脂肪はつくものでこれはいずれ凪ぐ方のかなしみ/toron*

「自選三首」『たんたん拍子vol.6』

「かなしみ」は人の心を動かし、乱れさせる。この歌の対象となっている「かなしみ」について、主体は「凪ぐ方」という判断をしており、心の乱れがずっと続くタイプの深い悲しみではないことが示唆されている。一方、上の句で読まれている「たましいに」「脂肪がつく」という言葉には、たましいを外界から守るようなクッションとしての脂肪が浮かんだ。しかし、「脂肪」という一般的にはポジティブなものではないものを比喩にすることで、思いがけずついてしまった、生活の中で意図せず身に着けてしまった処世術的なものをイメージした。かなしみの性質を見極められること、悲しみから魂が守られることは、ある種のピュアさから離れていくことでもある。

アド街を通して見たら好きだった店があんまり好きじゃなかった/榎本ユミ

「嫌ってくれて構わない」『たんたん拍子vol.6』

東京での暮らしをテーマにした連作の一首。一読したとき、アド街でいい感じに取り上げられていた店が、行ってみたら、イメージと違ってちょっと嫌な気持ちになったというあるあるとしておもしろく感じた。一方、連作全体を読んだとき、都市における生活、建物やものや情報にあふれ、人々はどこか無機質な東京、において、アド街は一つの象徴で、ものの本質的な価値以上にお化粧された情報があふれる中、その情報に踊り切れない主体の少し冷めた目線を感じた。

石畳、灰皿がわり この国の犬は炎を恐れていない/草薙

「cigizni?」※「cigizni」には「吸う」のルビ『たんたん拍子vol.6』

ブタペストに留学中の作者による異国の地、そこでの生活がテーマになった連作の一首。観光客からすると、美しく感じる石畳の道だが、生活者からすると、ただの道でしかなく、かつ、タバコの燃えカスや吸い殻が捨てられているようだ。その事実だけでも興味深いが、目線が犬に移ることがさらに興味深い。犬が炎をおそれない理由が、タバコが捨てられている道を普段歩いているということにたどり着いたことに謎解きのおもしろさがある。「石畳(datami)」「灰皿がわり(gawari)」の韻も気持ちいい。

皆様におかれましては末永く猫の下僕で居られますよう/中嶋港人

「As-Nas」『たんたん拍子vol.6』

「皆様におかれましては」という政治家の演説のような、丁寧すぎるものいいの不穏さから、人々が末永く猫の下僕でいられますようにというやはり不穏なことが願われている。「下僕」という強い言葉には、コミカルに猫かわいい勢の幸せな暮らしを祈っているようにも、「皆様」という言葉で「主体自身」と「皆様」を断絶させ、自分は「皆様」のような下僕の暮らしはしていない(し、望まない)という冷ややかな目線とも感じられた。

企画書に赤を入れれば伝わりはしない言葉のほうが愛しい/若枝あらう

「デクレッシェンド」『たんたん拍子vol.6』

わかる。めちゃくちゃわかる。主体は上司やアドバイザーの立場のようで、企画書を修正していて、修正後の企画書を見ながら、伝わらないとして削った言葉に愛しさを感じている。それは、経験や立場上、修正することで読みやすくプレゼンを通りやすいものにしたものの、作成者のパッションや気持ちの入った言葉にこそ本当の心が込められていたことを感じたからだろう。私自身、若い人や経験の浅い人の文書を直すことが仕事上多いのだが、なんかどっかで読んだことのあるようなつまらなすぎる文章に仕上がっていて絶望することが多い。そういった愛すべきとがりを残せないのは、主体自身が決定権を持っている立場でもないということでもあり、そこにも中間管理職の哀愁がある。

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