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【アーカイブス#60】ウィリアム・フィッシモンズ *2014年7月

 未知のミュージシャンの音楽と出会うきっかけはさまざまだ。まずは今年2014年の5月に湘南の藤沢を拠点とするインディーズ・レーベルのサンドフィッシュ・レコードからアメリカはメリーランド州女性シンガー・ソングライター・ギタリスト・エンジニアのコリーン・クラーク(Colleen Clark)のアルバム『As The Crow Flies』がリリースされ、そのアルバムがぼくのもとに送られて来た。ぼくは彼女のことをまったく知らなかったが、アルバムを聞いてその音楽に強く心を揺さぶられた。もちろんこのコラムでコリーン・クラークのことも取り上げてぜひ書いてみたいのだが、それはまたの機会に譲るとして、サンドフィッシュからの日本盤に付けられていたサンドフィッシュ代表の宮井章裕さんによる解説文を読んでいると、彼女のお気に入りのミュージャンとして何人かの名前が挙げられていて、その中に一人、ぼくの全然知らない人物がいた。それがウィリアム・フィッツシモンズ(William Fitzsimmons)で、こんな素敵な音楽を作り出すコリーン・クラークが気に入っているミュージシャンなら、その人物の音楽も絶対に素敵に違いないと、今度は早速その未知のミュージシャンのアルバムを買い求めてみた。

 ウィリアム・フィッツシモンズのアルバムの中からぼくはまず今年の2月にリリースされた最新アルバムの『Lions』を聞いてみた。ウィリアムはギターやピアノを弾きながら簡潔な歌詞を囁くように歌い、レコーディングにはほかにもドラマーやギタリスト、ピアニストなどが参加しているが、加えられている音は必要最小限で、彼が心の中に抱え込んでいる暗くて重い闇のような情念が静謐な風景画として浮かび上がってくるような、実に独特で不思議な音楽世界を味わうことができた。
 インターネットに登場しているウィリアムのレビューを読んでみると、その音楽はエリオット・スミスやアイアン&ワインのサミュエル・ビームなどと比較されたりしているが、ぼくはそれよりもサン・キル・ムーンのマーク・コゼレックに通じるものがあるように思えた。
 ウィリアムのホームページを見てみると、彼は2005年1月のデビュー・アルバム『Until When We Are Ghosts』から最新作の『Lions』まで、2009年のライブ・アルバム一枚を含めて、全部で7枚のアルバムを発表している。ぼくは『Lions』から遡って次々と彼のアルバムを手に入れていった。彼のホームページの「ストア」ではCDだけでなくTシャツも販売していて、ぼくはアルバムと一緒にTシャツまで買い求めてしまった。どうやらぼくは気に入ったミュージシャンができるとミーハーになってしまう傾向があるようだ。

 ウィリアム・フィッツシモンズとはどういう人物なのか。アメリカのウィキペディアを参考にして、彼の経歴について書いてみよう。
 ウィリアムは1978年に盲目の両親のもと、末っ子として生まれ、ピッツバーグで育った。父も母も音楽に秀で、さまざまな楽器を演奏し、家の中には父の手作りのパイプ・オルガンもあった。音楽に囲まれて育ったウィリアムは、小学生の時にピアノやトロンボーンを習い、中学生になると独学でギターを覚え、バンジョーやマンドリン、ウクレレも弾きこなせるようになった。
 カレッジではカウンセリングを学び、心の病いに向き合うセラピストとして仕事をしたこともあったが、それと同じ頃に音楽活動にも真剣に取り組むようになり、自宅でひとりでこつこつと録音した作品がやがてはアルバムとして世に出るようになった。最初の二枚のアルバム、2005年の『Until When We Are Ghosts』と2006年の『Goodnight』では、ウィリアムはアルバムのプロデューサーやエンジニアとしてもクレジットされている。

 ぼくがコレクションしたウィリアム・フィッツシモンズのアルバムの中で、最も強いインパクトを受けたのは、2006年の『Goodnight』とその続編となる2008年の『The Sparrow And The Crow』の二枚のアルバムだった。『Goodnight』は、ウィリアムがまだ少年の頃に体験した両親の離婚がテーマになっているアルバムで、父親に対する許し難い思い、母親に対する抑えきれない愛情、そして親の離婚によって少年の自分がどれほど傷ついたのかなど、親の離婚を前にした子どもの気持が正直に歌われた曲が多く収められている。アルバム全体を貫くトーンはどこまでも暗くて陰気で救いようがなく、聞いているとすさまじく気持が落ち込んでくるが、よくぞこれだけの作品に仕上げたと感心もさせられる。
 そして『The Sparrow And The Crow』の方は、今度はウィリアム自身が体験した離婚のことがテーマになっている。我がことだけにその世界はより強烈で、妻に対する断ち切れない未練や未だ抱き続けている愛情、自分がしでかしたことに対する懺悔や反省、どこまでも許しを乞う気持などが綿々と歌われている。
「Further From You」という曲で、ウィリアムは「わたしたちは友だちよってきみは言うけど/きみのベッドでほかの男が眠っているのに何が友だちなんだ」と歌い、「Find Me To Forgive」という曲では「きみとはもう一年以上会っていないけど/結婚して子どももできたんだってね/もうぼくの名字を名乗っていないんだろうね/ぼくが愛する人じゃなくなったんだから当然さ/あの世で会ってもきみは変わりないんだろうか/ どうかぼくの名前を忘れないでおくれ/
ぼくに気づいて許しておくれ」と歌っている。
 涙なしには聞けないではないか。特に同じような経験をした者にはとてもきつい。しかも曲によってウィリアムは妻役のような感じで女性シンガー(プリシラ・アーンやケイトリン・クロスビー)を起用してデュエットをしたりしている。これはリアルさが増すというものだ。アルバム・タイトルのSparrow(スズメ)とは別れた妻のことで、Crow(カラス)とは夫の自分のことなのだろう。アルバムの中には、「I Don’t Feel It Anymore(Song Of The Sparrow)」、「Please Forgive Me(Song Of The Crow)」という曲もそれぞれ収められている。

 ぼくも2006年に出したアルバム『そしてぼくはひとりになる』で、離婚をテーマにしたというか、別れることになった男と女、壊れてしまった家庭を歌った歌ばかりを集めたが、ここまで暗くはならなかったし、ぼくなりにユーモアもちりばめたつもりだ。『The Sparrow And The Crow』は、救いようのない暗さと後悔と懺悔と必死で許しを乞う気持とが全体に溢れていて、それでCDの盤そのものが爆発しそうになっている。
 ここまで強い思いがこもった作品はほかにはちょっとないのではないだろうか。恐いもの見たさというか恐いもの聞きたさというのも変だが、かなり落ち込むことを覚悟で、ぜひとも耳を傾けてみてほしい。

 コリーン・クラークの日本盤のアルバムの解説文でお目にかかるまでぼくはウィリアム・フィッツシモンズのことをまったく知らなかったが、確かに日本の音楽シーンでは彼はまだまだ無名の存在だと言える。しかしアメリカではよく知られているようで、それは彼の曲が全米ネットワークのABCのドラマ『Grey’s Anatomy』や『Brothers & Sisters』、MTVの『Life Of Ryan』や『Teen Wolf』などで流れたりしていることも関係しているようだ。ぼくはその辺の事情、すなわちアメリカであれ日本であれテレビの事情にはまったく疎いのでよくわからないのだが、『Until When We Are Ghosts』の中の「Passion Play」や『Goodnight』の中の「Please Don’t Go」といったウィリアム・フィッツシモンズの「静か」で「暗い」曲が全米ネットワークのドラマの中で流れているなんて、ちょっと見当がつかない。いったいどんな感じなんだろう。

中川五郎(なかがわ・ごろう)
1949年、大阪生まれ。60年代半ばからアメリカのフォーク・ソングの影響を受けて、曲を作ったり歌ったりし始め、68年に「受験生のブルース」や「主婦のブルース」を発表。
70年代に入ってからは音楽に関する文章や歌詞の対訳などが活動も始める。90年代に入ってからは小説の執筆やチャールズ・ブコウスキーの小説などさまざまな翻訳も行っている。
最新アルバムは2017年の『どうぞ裸になって下さい』(コスモス・レコード)。著書にエッセイ集『七十年目の風に吹かれ』(平凡社)、小説『渋谷公園通り』、『ロメオ塾』、訳書にブコウスキーの小説『詩人と女たち』、『くそったれ!少年時代』、ハニフ・クレイシの小説『ぼくは静かに揺れ動く』、『ボブ・ディラン全詩集』などがある。
1990年代の半ば頃から、活動の中心を歌うことに戻し、新しい曲を作りつつ、日本各地でライブを行なっている。

中川五郎HP
https://goronakagawa.com/index.html


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