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【アーカイブス#49】トム・パクストン *2013年6月

 すでにいろんなところで何度も書いているが、中学生の頃にアメリカのフォーク・ソングに心を奪われたぼくが、アメリカのフォーク・ソングのような曲を自分でも作って歌ってみたい、つまり日本のフォーク・シンガーを目指したいと強く思うようになったのは、ピート・シーガーのアルバム『We Shall Overcome Pete Seeger Recorded Live at His Historic Carnegie Hall Concert June 8, 1963』を高校生になってから聞いたことによってだった。このアルバムと出会ったからこそ、ぼくは単に趣味でフォーク・ソングを歌うのではなく、生きる目的として、自分の歌を作って人前で歌おうと決意したと言っても決して過言ではない。つまりぼくの人生を変えたとても重要な一枚のアルバムということだ。

 タイトルからもわかるようにピート・シーガーのこのアルバムは、1963年6月8日にニューヨークのカーネギー・ホールで開かれた彼のコンサートの模様が収められている。もちろん当時はLPレコードで、A面に8曲、B面に5曲の全部で13曲が収録されていた(後になって1989年にはこの時のコンサートのすべての演奏曲39曲が収められた二枚組CD『We Shall Overcome The Complete Carnegie Hall Concert』が発売された)。アメリカではコンサートが開かれたのと同じ年、1963年の秋頃に発売されたと思うが、『ピート・シーガー・カーネギー・ホール・コンサート』と題された日本盤が当時の日本コロムビアから発売されたのは、64年か、もしかすると65年になってからのことだったように思う。ぼくは発売と同時に手に入れたのだが、まだペナペナの薄いジャケットで、裏面のライナー・ノーツは中村とうようさんが書かれていた。
 このアルバムをぼくは何度も何度も繰り返し聞き続けた。まさにボロボロになるまでという感じで、実際にレコード盤は擦り切れてしまったし(ブチブチ音がするようになった)、ジャケットも歌詞カードもあまりにも何度も見るものだからくしゃくしゃになってしまった。そして自分のフォーク・ソングを作って歌うには、まずはこのアルバムを徹底的に学ぶことから始めようと、辞書を片手に歌詞カードと取り組み、収められているほとんどの曲を日本語に訳して歌うべく大奮闘した。
 アルバムのタイトルでこの時のピート・シーガーのカーネギー・ホールでのコンサートは「歴史的」と形容されているが、当時アメリカは黒人たちが選挙権や正当な権利を獲得するための公民権運動で熱く燃え上がっていて、このコンサートでピートが歌っているのもそうした運動の闘争歌やアメリカの現実を鋭く暴いたり諷刺したメッセージ・ソングやトピカル・ソングが中心だった。歌が時代や社会と強く結びつき、運動とも手を携え、実際に世の中を変えて行く力を発揮した、まさに「歴史的」なコンサートだったのだ。

 このアルバムというか、コンサートでピート・シーガーが曲を取り上げていたことでぼくがその存在を知るようになったのが、トム・パクストンとマルヴィナ・レイノルズだった。ピートが取り上げたトムの曲は「What Did You Learn In School Today?」、マルヴィナの曲は「Little Boxes」で、どちらの曲もめちゃくちゃ面白いと興奮したぼくは、必死になって日本語の歌詞を作って自分一人で歌っていたのだが、高校二年生の冬頃にラジオを聞いていると、高石ともやさん(当時はまだ尻石友也という名前だったかも知れない)が番組に出ていて、この2曲を「学校で何を習ったの?」、「小さな箱」という見事な日本語の歌にして歌っていて、「やられた!!」、「うますぎる」と愕然とさせられたことをよく覚えている。とても悔しかった。その後高石さんと知り合い、話をしてみると、高石さんもピート・シーガーの『We Shall Overcome』のアルバムを繰り返し聴き込んでいて、大きな影響を受けていたのだ。

 ほどなくトム・パクストンやボブ・ディランなど当時の新しい世代のフォーク・シンガーたちが、アメリカのフォーク・シンガーの父、ウディ・ガスリーの志を受け継ぐ歌い手たちということでウディズ・チルドレンと呼ばれていることを知り、ぼくの興味はフィル・オクスやエリック・アンダースンといったそのほかの「子供たち」にも広がっていった。マルヴィナ・レイノルズは1900年生まれ、ウディは1912年生まれでウディの方が12歳年下だが、その登場の仕方や活動の仕方、それにほかのミュージシャンたちとの繋がり具合など、彼女もまたウディズ・チルドレンの一人と呼んでもおかしくないと思う(それにしても12歳年下の子供とは!!)。

 まだ高校生だったぼくは、自分のフォーク・ソングを探究して行く上で、このウディズ・チルドレンたち、とりわけトム・バクストン、フィル・オクス、エリック・アンダースンの三人に多大な影響を受けたのだが、今回の連載ではこのうちの一人、トム・パクストンのことを書いてみようと思う。
 というのも最近トム・パクストンの初期のアルバム5枚がセットになった『Tom Paxton Original Album Series』を1000円以下の安価で買い求め(一枚あたり200円以下とは価格破壊もはなはだしいではないか)、改めてその歌に耳を傾け、一枚一枚LP盤でそれらのアルバムを手に入れては胸をときめかせながら聴いていた当時のことを懐かしく思い出すと共に、40数年後の今聴いてもそれらの歌は新鮮で少しも色褪せていないことに気づいたからだ。何と言えばいいのか、古典の新しさと言うか、不動の魅力のようなものを感じさせられてしまったのだ。

 トム・パクストンの『Original Album Series』には、1964年のエレクトラ・レコードからのデビュー・アルバム『Ramblin’ Boy』から1970年の6作目のアルバム『6』まで5枚のアルバムが収められている。1作目から6作目までで5枚とは計算が合わないが、どういうわけかこのセットには1965年のトムの2作目のアルバム『Ain’t That News!』が収められていないのだ。これはどういうことなのだろうか。
 実はぼくが最も熱心に耳を傾けていたトム・パクストンのアルバムが1作目の『Ramblin’ Boy』と2作目の『Ain’t That News!』の二枚だった。1966年の3作目の『Outward Bound』あたりから、トムは諷刺の効いたトピカル・ソングやまさにウディ・ガスリーの志を継ぐさすらい人の歌をあまり歌わなくなってしまい、アレンジも弦楽器や管楽器などを使った豪華なものになってしまった。今聴けばそんなオーケストラの入ったトムの曲にも心を動かされるが、発売当時ぼくはフォークといえばやはり生ギターやバンジョーだけのアレンジに限ると思っていたようなところがあり、オーケストレーションへの抵抗感が少なからずあったように思う。
 それにしてもトム・パクストンの初期のアルバムを網羅する『Original Album Series』から、それこそ最もトム・パクストンらしい曲がいちばん多く収められているとも言える『Ain’t That News!』がすっぽり抜け落ちてしまっているのは、ほんとうに不可解だ。アルバムに収録されているのは、「The Willing Conscript」、「Lyndon Johnson Told The Nation」、「Goodman, Schwemer, and Chaney」、「We Didn’t Know」、「Buy A Gun For Your Son」といった曲で、諷刺の効いたトムならではのトピカル・ソングが満載なのだが、逆に言えばこのあまりにものトム・パクストンらしさ、すなわち1960年代後半のアメリカの現実にズバリと切り込む歌の数々が、今改めて聞くと何だか浮いてしまっていると、本人、あるいは制作に携わった誰かが判断して『Original Album Series』は2作目抜きという奇妙なかたちになってしまったのだろうか。
 しかしそれもあまり合点がいかない。些細なことかも知れないが、当時『Ain’t That News!』を夢中になって聞いていたぼくとしては、このアルバムが外された理由がやたらと気になってしまう。何とかして真相を突き止めたいと思っている(そして『Ain’t That News!』へのこだわりが断ち切れなくなってしまったぼくは、結局トムの1作目の『Ramblin’ Boy』と2作目の『Ain’t That News!』が一枚のCDになったものを、これまた1000円以下と安い値段だったが、改めて買い求めるはめになってしまった)。

 もしかするとぼくはトム・パクストンのデビュー・アルバム『Ramblin’ Boy』を手に入れる前に、『RAMBLIN’ BOY and other songs by TOM PAXTON』というOak Publicationsから1965年に出版された彼のソングブックを、確か心斎橋か神戸のヤマハの楽譜売場で買い求めていたのかもしれない。
 トムが1964年にデビュー・アルバムを発表する前に、彼の歌はピート・シーガーをはじめ、チャッド・ミッチェル・トリオ(ミッチェル・トリオ)、キングストン・トリオ、フィーニックス・シンガーズ、ジュディ・コリンズ、キャロリン・へスターなどに取り上げられ、それらのカバー・バージョンは日本でも聞くことができた。ぼくはトムの曲が取り上げられているのを知ると、それらを探し求めて耳を傾け、ソングブックを開いてそれらの曲に日本語の歌詞をつけ、自分なりに歌ったりしていた。
「Topical & Protest Songs」、「Children’s Songs」、「Story Songs」、「You’ve Got To Feel Bad Sometimes」、「Further Pills To Purge Melancholy」、「Love Songs」の6つのセクションに分けられ、全部で41曲が収められたトム・パクストンのそのソングブックを久しぶりに棚の奥から引っ張り出してみると、ほんとうにぼろぼろになってしまっていて、裏表紙もちぎれてなくなっている。高校生の頃、ことあるごとにぼくはこのソングブックを取り出し、ギターを抱えてトムの曲を歌っていたのだ。
 このソングブックの中でぼくが日本語の歌詞をつけたものは、「When Morning Breaks」、「There Was A Time」、「What Did You Learn in School Today?」、「Going To The Zoo」、「The Last Thing On My Mind」など何曲もあり、前述したように高石ともやさんも「 What Did You Learn in School Today?」や「I’m The Man That Build The Bridges」に見事な日本語歌詞を付けて歌っていたし、「Ramblin’ Boy」は中山容さんが作った日本語歌詞をみんなが気に入ってよく歌っていた。
 トム・パクストンのソングブックは、楽譜と歌詞、トム自身による前書きや曲目解説、そしてアグネス・フリーゼンの素晴らしい絵がどの曲にもつけられていて、あの頃のぼくにとってはまさにバイブルのような存在だった。そして高校三年生の時だったか、ぼくはトム・パクストンのこのソングブックを真似て、その頃作っていた自分の曲を集め、それに絵も描いて『Goro Nakagawa Songbook』を作ったこともよく覚えている。たった一冊しかないすべて手書きのそのソングブックは、高校三年生の時に仲が良かったガールフレンドにプレゼントしてしまったが、もちろん今はもうこの世には存在していないと思う。

 トム・パクストンの初期のアルバムの5枚組CDセット『Original Album Series』と、それを追いかけるようにして2作目の『Ain’t That News!』のCDも手に入れ、ぼくは改めてトムの今も眩しく輝いている初期の歌の数々を聞き返し、ボロボロになったトムのソングブックも引っ張り出して、久しぶりに自分のフォーク・ソングの「原点」を辿り直してしまった。
 もちろんトム・パクストンはに75歳なった今も現役で、新しいアルバムも出し続けていて、最近の作品としては2008年の『Comedians and Angels』や2002年の『Looking For The Moon』などがある。

 ぼくは今もトムの多くのアルバムを手に入れて聞き続けているが、正直言って最近の作品を聞いても、初期のアルバムを初めて聞いた時のときめきや驚きを感じることはなくなってしまっている。2012年の夏にはニューヨークのクリアウォーター・フォーク・フェスティバルでトムのライブを見ることもできたが、「The Last Thing On My Mind」を替え歌にして歌ったり、あんなに上手だったフィンガー・ピッキングのギターの腕もちょっとたどたどしいものになってしまっていたりして、アルバムにしてもライブにしても、落ち着いてしまった、安定している、円熟味が増した、ベテランの味わい、といった言い方もできるのかもしれないが、ぼくとしては何かもっと熱くて鋭いものがあればいいなと、自分の師に対してあまりにも失礼で偉そうではあるが、ついそんなことを思ってしまう。しかしそれはほんとうに大変なことなのだ。
 歳をどんどん重ねても歌い続けていくことのすごさ、難しさ、そしてどうすれば永遠の輝きと瑞々しさを持ち続けられるのか。ぼくの原点のひとつと言えるトム・パクストンの古典を改めて聞き直し、そして今のトムの姿にも思いを馳せ、ぼくは自分の今後に向けてへの大きな課題を突き付けられたような気持ちになっている。75歳のトム・パクストン、94歳のピート・シーガー。もうすぐ64歳になるぼくはまだまだひよっこだ。

中川五郎(なかがわ・ごろう)
1949年、大阪生まれ。60年代半ばからアメリカのフォーク・ソングの影響を受けて、曲を作ったり歌ったりし始め、68年に「受験生のブルース」や「主婦のブルース」を発表。
70年代に入ってからは音楽に関する文章や歌詞の対訳などが活動も始める。90年代に入ってからは小説の執筆やチャールズ・ブコウスキーの小説などさまざまな翻訳も行っている。
最新アルバムは2017年の『どうぞ裸になって下さい』(コスモス・レコード)。著書にエッセイ集『七十年目の風に吹かれ』(平凡社)、小説『渋谷公園通り』、『ロメオ塾』、訳書にブコウスキーの小説『詩人と女たち』、『くそったれ!少年時代』、ハニフ・クレイシの小説『ぼくは静かに揺れ動く』、『ボブ・ディラン全詩集』などがある。
1990年代の半ば頃から、活動の中心を歌うことに戻し、新しい曲を作りつつ、日本各地でライブを行なっている。

中川五郎HP
https://goronakagawa.com/index.html

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