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【アーカイブス#101】ワンダーどころかワンダー・フルなボニー・ライト・ホースマン。*2020年2月

「This album is a wonder」
きっかけとなったのはぼくの大好きなアイルランドのシンガー・ソングライターのリサ・ハリガン(Lisa Hannigan)が今年 2020 年の 1 月 27 日にツイッターにツィートしたこの一行の文章だった。
彼女はボニー・ライト・ホースマン(Bonny Light Horseman)の「親愛なる友だちのみなさん、いよいよ今日がその日です! わたしたちのアルバムが 37d03d レコードからいたるところでリリースされます! すべての人にありがとう、わたしたちの心からあなたたちの心へ、ボニー・ライト・ホースマン登場です」という 1 月 25 日のツイートを、その一行のコメントをしてリツイートしていたのだ。
大好きなリサ・ハリガンが「驚異の素晴らしさ」と絶賛するアルバム。それは何としても聞かなければならない。そこでぼくはすぐにボニー・ライト・ホースマンのデビュー・アルバム『Bonny Light Horseman』を手に入れ、リサの言葉がまったく間違っていないことを確かめたのだ。ほんとうに素晴らしい奇跡のようなアルバムだ。手に入れてからというもの、ぼくはほとんど毎日ボニー・ライト・ホースマンのアルバムを何度も繰り返し聞いている。

 ボニー・ライト・ホースマンは、アナイス・ミッチェル(Anäis Mitchell/ヴォーカル、アコースティック・ギター)、エリック・D・ジョンソン(Eric D. Johnson/ヴォーカル、アコースティック・ギター、12 弦エレクトリック・ギター、バンジョー、ハーモニカ、ピアノ)、ジョッシュ・カウフマン(Josh Kaufman/ヴォーカル、アコースティック&エレクトリック・ギター、ピアノ)の三人組。
 アナイスは 2000 年代の初め、20 代になってすぐに本格的に音楽活動をするようになったシンガー・ソングライターで、2002 年の自主制作デビュー・アルバム『The Song They Sang…When Rome Fell』以来、2014 年の最新作『Xoa』まで 7 枚のアルバムを発表していて(そのうちの一枚『Child Ballads』はジェファースン・ハマー Jefferson Hamer と二人でチャイルド・バラッズを取り上げたもの)、彼女が 2010 年に発表したアルバム『Hadestown』は、ドイツの作曲家グルックのオペラ『オルフェウスとエウリディーチェ』の舞台を世界大恐慌後のアメリカに置きかえて書かれた「フォーク・オペラ」で、舞台化もされていて 2016 年から 19 年にかけてニューヨークやカナダのエドモントン、ロンドンなどで上演されて大好評を博している。
エリックは 1976 年シカゴ生まれで、1990 年代の後半から、フルート・バッツ(Fruit Bats)、ザ・シンズ(The Sins)、キャリフォン(Califone)などのバンドで活動し、ヴェティヴァー(Vetiver)のアルバムにも参加したり、さまざまな映画音楽を手がけたりしている。
そしてエリックとは 10 年来の友人だったのが、ジョッシュ・リッター(Josh Rotter)やボブ・ワイアー(Bob Weir)、デヴッド・ワックス・ミュージアム(David Wax Museum)、ザ・ナショナル(The National)などのプロデューサーやミュージシャンとして知られるジョッシュ・カウフマンで、ジョッシュはアナイスともすでに知り合いで、アナイスとエリックの二人はツイッターを通じて何年か前に知り合ったということだ。
2018 年、ウィスコンシン州のオークレア(Eaux Clairs)でヴォン・イヴェール(Bon Iver)のジャスティン・ヴァーノン(Justin Vernon)とザ・ナショナルのアーロン・デスナー(Aaron Dessner)が始めたオークレア・ミュージック&アーツ・フェスティバルへの出演が直接のきっかけとなって三人は一緒に演奏を始めるようになった。どんな音楽をどんなスタイルで演奏をしようかとそれぞれがアイディアを持ち寄って、リハーサルを重ねるうち、イギリスやアメリカのトラディショナルミュージック、フォーク・ソングを自分たちなりの新しいやり方で取り組もうというはっきりとした方向性が定まった。
「わたしたちはみんなそれぞれ違ったかたちでトラディショナル・ミュージックにインスパイアされていた」というアナイスの言葉が、ボニー・ライト・ホースマンのホームページで紹介されている。「わたしたちは古い歌の数々に手を加えてやり直してみたかったけど、リサーチ・プロジェクトのようなことはしたくなかった。うずまく感情、由々しい感覚、率直さなど、何もかもすべてをわたしたちは包み隠さず広げたままにしておきたかった。大昔から語り継がれてきた物語やイメージを掘り下げているうちどんどん癒されていくの」
ウィスコンシンのオークレアで好評を博した三人はジャスティンとアーロンのレコード・レーベル、37d03d に招かれて、ベルリンのファンクハウス(Funkhaus)というアーティスト・イン・レジデンスのヴェニューで一週間にわたって演奏をすることになった。その時に同時にレコーディングも行われ、それがもとになったのがボニー・ライト・ホースマンの今回のデビュー・アルバムだ。
レコーディングは三人だけでなく、ドラマーやベーシスト、それにジャスティンやアーロン、リサ・ハニガンなどたくさんのミュージシャンも参加して行われ、6 割が完成した段階でアメリカに持ち帰り、ウッドストックのドリームランド・スタジオで残りのレコーディングが行われた。
アルバムのジャケットのクレジットには「All Songs based on traditional material, arranged and/or co-written by Bonny Light Horseman」と書かれていて、アルバムの 10 曲はすべてイギリス(イングランド、スコットランド、アイルランド)やアメリカの古いフォーク・ソングばかりだ。それらをボニー・ライト・ホースマンが鮮やかで見事なアレンジで今の時代に響く新しい歌にしている。

ここで話は自分のことになってしまうが、ぼくが最初にいちばん影響を受けた音楽は、1960年代半ば、中学生から高校生になる頃に聞いていたアメリカやイギリスのフォーク・ソングで、当時はモダン・フォーク・リバイバルと呼ばれ、キングストン・トリオやブラザーズ・フォア、ピーター・ポール&マリーなどのモダン・フォーク・コーラス・グループ、あるいはジョーン・バエズやジュディ・コリンズといったフォーク・シンガーたちがイギリスやアメリカの古いフォーク・ソングを取り上げ、モダンなアレンジやコーラス、新しい解釈で歌っていた。
ボニー・ライト・ホースマンがデビュー・アルバムで取り上げているのは、まさにそういったフォーク・ソングで、ぼくにとっては聞き親しんでいたり、聞き覚えがあるものが多い。
たとえば「Jane Jane」という曲は、ピーター・ポール&マリーのレパートリーとしてよく聞いていた曲だし(ボニー・ライト・ホースマンは 1970 年代初めに活動していたアメリカのフォーク・シンガーで、パリで暮らしていたこともあるティア・ブレイク Tia Blake のアルバム『Folk Songs and Ballads』を聞いて知ったと語っている)、「10.000 Miles」は「Fare Thee Well」というタイトルで当時いろんなフォーク・シンガーたちが歌っていた曲だ。また彼らがバンド名にしている「Bonny Light Horseman」もアイルランドのフォーク・グループ、プランクシティ(Planxty)が演奏しているフォーク・ソングとしてよく知られていて、もちろんボニー・ライト・ホースマンもアルバムのオープニング・ナンバーとしてこの曲を取り上げ、自分たち独自のアレンジで演奏して歌っている。

ボニー・ライト・ホースマンのデビュー・アルバムのジャケットには、ヒス・ゴールデン・メッセンジャー(Hiss Golden Messenger)というユニット名で活躍するノース・カロライナのシンガー・ソングライター、M.C.テイラーがまさに詩と呼べる素晴らしいライナー・ノーツの文章を寄せている(彼はアルバム収録曲の「Mountain Rain」の曲作り/アレンジにも参加している)。
その中で彼はこう書いている。「1967 年、ダニー・ライアン(1960 年代前半からアメリカの真実を撮り続けるドキュメンタリー写真家/中川・註)はハンツヴィル刑務所に入れられている二人の男の写真を撮った。真上から撮られた写真だ。二人の収容者の間にはくっつけられたドミノの牌がある。永遠の写真で人間の歴史のすべてがそこに写し込まれている。二人の人間とその間にあるもの。ボニー・ライト・ホースマンはこの写真のようだ: すべての悲しみと絶望、檻に入れられるということ、別れ; 自由への渇望、希望とあがないとあまりにも鋭すぎて言葉を焼きつくすほどの美。すべてがそこにあり、信じようにもあまりにもシンプルすぎて複雑すぎる。三人の声。それさえあればいいことが明らかにされる。三人の声。それ以上何がいる。もはや十分すぎるではないか」

昔の歌はただ古いのではない。それを昔のまま演奏するのではなく、そこに時代の魂や新しい感覚が吹き込まれればいちばん新しい歌になる。大昔のイギリスやアメリカのフォーク・ソングを取り上げて、そのことを鮮やかに証明してくれるボニー・ライト・ホースマン。今ぼくが最も聞きたくて、最も刺激を受ける音楽だ。

中川五郎(なかがわ・ごろう)
1949年、大阪生まれ。60年代半ばからアメリカのフォーク・ソングの影響を受けて、曲を作ったり歌ったりし始め、68年に「受験生のブルース」や「主婦のブルース」を発表。
70年代に入ってからは音楽に関する文章や歌詞の対訳などが活動も始める。90年代に入ってからは小説の執筆やチャールズ・ブコウスキーの小説などさまざまな翻訳も行っている。
最新アルバムは2017年の『どうぞ裸になって下さい』(コスモス・レコード)。著書にエッセイ集『七十年目の風に吹かれ』(平凡社)、小説『渋谷公園通り』、『ロメオ塾』、訳書にブコウスキーの小説『詩人と女たち』、『くそったれ!少年時代』、ハニフ・クレイシの小説『ぼくは静かに揺れ動く』、『ボブ・ディラン全詩集』などがある。
1990年代の半ば頃から、活動の中心を歌うことに戻し、新しい曲を作りつつ、日本各地でライブを行なっている。

中川五郎HP
https://goronakagawa.com/index.html

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