見出し画像

【アーカイブス#24】今こそマルヴィナ・レイノルズの歌 2011年5月

 3月11日の東日本大震災とそれによって引き起こされた東京電力福島第一原子力発電所の大事故の直後から、多くのミュージシャンたちがそれに関する歌を作ったり、被災地や被災者への応援歌を即座に作ったりしている。そしてできあがった歌をすぐに録音して、自分のブログなどで発表し、YouTubeにアップもしている。
 確かに歌が生まれざるを得ないというか、すぐに歌にして歌わずにはいられなくなるような、とてつもないできごとだったと思う。ぼくはみんなの対応の素早さに驚くと同時に、すぐに歌を作ったり、録音して発表できない自分自身に対して、妙なあせりを感じてしまったりしている。それにしても作った歌をインターネットのさまざまな手段を通じて、すぐにみんなに届けられるなんて、すごい時代になったものだとつくづく思う。

 大震災のすぐ後、福島第一原発の事故がどこまでひどいものなのか、政府や保安院、東京電力などの発表はどうしても信じることができず、何か重大なことが隠されているのではないか、東京も危ないのではないかと、東京から遠くへと避難する人がまわりで続々と出始めた。
 その動きに対して、ぼくは過剰反応だとか、自分だけが助かればいいと思っているとか、そんなふうには考えなかったが、しかしなかなか複雑な気持ちになってしまい、「二倍遠くに逃げたなら二倍強く思ってください/五倍遠くに逃げたなら五倍大きく動いてください/残ったぼくらのために/とどまるぼくらのために」という歌詞のフレーズが思い浮かび、それを核にして歌を作り始めた。
 作っている途中で「逃げる」という言葉は適切ではないし、批判的な思いが強く入っていることに気づき、「二倍遠くに離れたら」に改めたが、その後の展開がなかなか難しく、大地震から50日が過ぎた今も完成できないままでいる。でも妙なあせりは禁物だと思うので、じっくりひとつの曲に纏め上げられたらと思っている。

 東日本大震災と福島第一原発の大事故の後、さまざまな事態が展開して行く中で、ぼくの中に強烈に甦ってきた1960年代の古いフォーク・ソングがある。60年代のフォーク・ソングの動きの中で歌われていた歌が2曲甦ったのだが、奇しくもそれらは同じフォーク・シンガーの作ったものだった。
 ひとつは「What Have They Done To The Rain?」で、もう一曲は「It isn’t Nice」。作者はマルヴィナ・レイノルズ(Malvina Reynolds)だ。

 1962年にマルヴィナが書いた「What Have They Done To The Rain?」は、イギリスのマージービートのグループ、ザ・サーチャーズによってレコーディングされ、1964年にイギリスのヒット・チャートで最高13位を記録する大ヒットとなり、翌65年にはアメリカのヒット・チャートでもベスト30入りを果した。ほかにもジョーン・バエズ、マリアンヌ・フェイスフル、メラニー、ザ・シーカーズなどに取り上げられ、広く親しまれる曲となった。もちろん作者のマルヴィナ本人も、『Sing The Truth』や『Ear To The Ground』など、自らのアルバムの中で歌っている。

 当時世界のいろんなところで行なわれていた核実験、そしてそれによって放射能が飛散することに強い抗議の思いを込めてマルヴィナが書いた歌だ。日本でも「雨をよごしたのは誰?」というタイトルで、森山良子さんや吉永小百合さんが歌っていたので、年配の方ならきっと耳にしたことがあると思う。
 確か以前日本語で歌われていた時は、かなりきれいな歌詞になっていたように記憶するので、ぼくは「一人のこども雨にうたれて立つ/雨はいつまでも降り続く/草は枯れてこどもももういない/降り続く雨は涙のよう/雨に何をしたの?」と直訳してみたのだが、メロディが美しく穏やかなものだけに、どう歌ってみてもちょっと感傷的な感じになってしまう。それで新たに日本語の歌詞を作ってはみたものの、ぼくはまだ人前では歌えないままでいる。

 もう一曲は「It Isn’t Nice」。この曲はジュディ・コリンズが『The Judy Collins Concert』という1964年のアルバムの中で歌っているのを聞いて感動し、1967年、ぼくがまだ高校生だった時に日本語の歌詞を作り、「かっこよくはないけれど」というタイトルで歌っていたものだ。1969年にURCレコードから発表したぼくの初めてのレコード『六文鐫/中川五郎』の中でも歌っている。
 40年以上あまり歌うことのなかったこの曲を今一度歌いたくなったのは、4月10日に高円寺で行なわれた「素人の乱」主催の反原発デモが関係している。素人の人たちが呼びかけ、決して組織的ではない、いろんな人たちが自由に参加して行なわれたそのデモには、15000人ほどが集まったと言われている。
 残念ながらぼくはそのデモに参加できなかったのだが、そのデモについて書かれた松沢呉一さんのブログ『松沢呉一の黒子の部屋』の文章を読んで、強く心を揺さぶられた。
 そのブログで松沢さんは次のようなことを書いていた。
「こういう行動に対して、必ず文句をつけてくるのがいます」、「たとえば『あのデモは左翼的でカッコ悪い』『あんなことをしても人は集まらない』『あれでは何も変わらない』といったもの。『カッコ悪い』と思うデモは私にもあります。でも、それって、ピーマンが嫌いという以上の意味はないです。趣味のレベルであっても、『あれ、嫌い』『あれ、だっせえ』と表明していいに決まってますが、それがあたかも普遍性をもつかのように装うと、自分に返ってきてしまいます」
「左翼的なデモがイヤだったらそうではないデモを自分で組織すればいい。人を集めることの意義を感じるのであれば、人が集まるデモをやればいい。デモでは何も変わらないのなら、変わる行動をやればいい」
「オールドスタイルのデモをやれば、『あれでは人は集まらない』と言い、高円寺のデモに対しては『お祭り騒ぎだ』と言い、つまりは何をやっても文句を言う人たちがいるってことです。文句を言っていると、自分が偉くなったように思えるんでしょうね。楽な生き方だなあ」(以上4月11日の文章「高円寺のデモをめぐるさまざま 1」より)
「池田信夫のように、表現を効果や成果、数でしか見られない人たちがいます。そこで人と人がつながったり、情報を得たり、希望を見たりすることがわからない。貧しい想像力で見える『世界』や『世の中』がすべてだと思い込み、他者を愚弄する」
「彼らには見えないものを見た人たちがいます。彼らには得られないものを得た人たちがいます。彼らには表現できないものを表現した人たちがいます」
「怒りや哀しみの声をあげないではいられない。それに対して『何の意味があるのか』『何も変わらない』ということにこそ、いったい何の意味があるのか」
「人は歌わないではいられないことがある。言葉を発しないではいられないことがある。抗議しないではいられないことがある」(以上4月12日の文章「歌と言葉と行動と」より)

 松沢さんのこれらの文章を読んで、ぼくは40数年前によく歌っていたマルヴィナ・レイノルズがバーバラ・ディーンと一緒に60年代前半に作った「かっこよくはないけれど」のことを思い出した。もともとはアメリカの人種差別撤廃運動や公民権運動、ベトナム戦争反対運動の中でよく歌われていた歌で、ぼくも1960年代後半、反戦運動の歌として地下街や路上でのフォーク・ゲリラの集まりなどでしょっちゅう歌っていた。
「座り込みをするのやデモをするのはかっこが悪い/もっとかっこいいやり方がほかにあるかもしれないよ/それはかっこが悪いよときみは何度も言うけれど/平和のためならばかまわない」という歌詞で始まるのだが、ぼくは最後の「平和のためならばかまわない」というのを「行動しなければ変わらない」に変えて、全部で5番まであるこの歌の歌詞を2011年のものに書き変えてみた。新しい歌詞にしたこの歌も「雨をよごしたのは誰?」と同じく、まだ人前では歌っていないが、すぐにも歌ってみたいと思っている。

 1960年代半ば、ぼくがアメリカのフォーク・ソングの影響を受けて歌い始めた頃、強い影響を受けた一人のマルヴィナ・レイノルズは、1900年8月生まれで、カリフォルニア大学バークリー校で英文学の博士号を取り、ずっと学問の世界にいたが、ピート・シーガーやアール・ロビンソンと知り合ったことがきっかけとなって、50歳近くになってフォーク・ソングを作って歌い始めた。
 ぼくがマルヴィナの存在を初めて知ったのは、ピート・シーガーが彼女の代表的な作品のひとつ「小さな箱/Little Boxes」を取り上げて歌っていたからで、そこから興味を抱いてほかの歌にも熱心に耳を傾け始めた。
 その頃は日本の洋楽シーンでもまだフォーク・ソングへの関心が高く、マルヴィナが1967年にCBSから発表したアルバム『Sings The Truth』は、1970年代初め、当時のCBSソニーから日本盤が発売されたし、マルヴィナは70年代には来日公演も行っている。その後マルヴィナはテレビの子供番組『セサミ・ストリート』に歌を提供したりしていたが、1978年の3月に他界してしまった。

 マルヴィナの代表的なアルバムは、『Sings The Truth』を初めとして、スミソニアン・フォークウェイズ・レコードから発表した『Another Country Heard From』や『Ear To The Ground』、それにザ・バーズやザ・ディラーズのメンバーなどがレコーディングに参加している『Malvina Reynolds』など、すべてCD化されていてすぐに手に入るので、ぜひとも聞いてみてほしい。

 「雨をよごしたのは誰」や「小さな箱」、「かっこよくはないけれど」、それにハリー・ベラフォンテが歌った「Turn Around」やザ・シーカーズで大ヒットした「Morningtown Ride」ほど広くは知られていないが、ぼくが大好きなマルヴィナの歌がある。
『Sings The Truth』に収められている「The Quiet」というもので、自分はいろんなことを知らないし、知らないことについては何も言えないから、ふだんはとても静かだけど、叫ばなければならない時は思いきり叫ぶ、と歌われる「静かな」この歌は、「かっこよくはないけれど」と同じく、今のこの日本でこそ歌われるべきではないかとぼくは思う。

 大震災や原発事故の後、作り始めたり訳し直したりした歌は、どれもまだ人前では歌えていないが、一曲だけ原発事故に関連して作った替え歌はすでに自分のライブで歌っている。
 ウディ・ガスリーの代表的な歌「Do Re Mi」を高田渡さんが訳して歌った「銭がなけりゃ」の替え歌で、「デマじゃなけりゃ」というものだ。3月の後半に替え歌を思いついて、これまで三度ほど歌ってみた。
「東から東からいろんな人が毎日家を離れ/必死でガソリン入れた車に乗って、はるばる西まで来ると言う/停電からはい出、放射能を恐れ/我が身を守ろうとするが/ドッコイ! そうは問屋がおろさない/お役人が立ちふさがって言うことにゃ/デマに惑わされるな、ただちに健康に害はない」
「デマじゃなけりゃ/デマじゃなけりゃ/逃げたほうが身のためさ、西のほうへ/東京はいいところさ、放射線量低けりゃ申し分なし/政府を信じて青山に住むさ、デマであればね!」という替え歌で、4月23日に京都の拾得でたくさんのミュージシャンが出演して行なわれた藤村直樹さんの一周忌の追悼コンサートの時にもぼくは歌った。
 ところが古くから原発反対運動に関わり、原発問題にも詳しい歌い手仲間の古川豪さんから、コンサートの後、「あの歌はひどい。20年前の自分だったらあんたをぶっ飛ばしているよ」と、最大級の非難を浴びせられ、チェルノブイリの原発事故の時の住民のことなどを説明し始めたので、「あれは東京に住む者の一人として、政府の発表が信じられず、不安にも駆られているし、回りにも避難している人がいるので、そういったことを諷刺を込めて替え歌にしてみた」と説明すると、「そこがあんたの軽いところや」と決めつけられてしまった。
 この替え歌のどこが古川豪さんの逆鱗に触れ、暴力を奮いたくなるほどの気持ちにさせてしまったのか、ぼくはいまだによくわからず、釈然としない気持ちを持ち続けている。でも「デマじゃなけりゃ」は、これからのライブでも歌おうと思っているので、もし聞かれた方は率直な意見を聞かせてほしい。
 そして何よりも3.11以降の新しい自分の歌を早く完成できるよう、もっともっと真剣に取り組んでいきたいと思っている。

中川五郎(なかがわ・ごろう)
1949年、大阪生まれ。60年代半ばからアメリカのフォーク・ソングの影響を受けて、曲を作ったり歌ったりし始め、68年に「受験生のブルース」や「主婦のブルース」を発表。
70年代に入ってからは音楽に関する文章や歌詞の対訳などが活動も始める。90年代に入ってからは小説の執筆やチャールズ・ブコウスキーの小説などさまざまな翻訳も行っている。
最新アルバムは2017年の『どうぞ裸になって下さい』(コスモス・レコード)。著書にエッセイ集『七十年目の風に吹かれ』(平凡社)、小説『渋谷公園通り』、『ロメオ塾』、訳書にブコウスキーの小説『詩人と女たち』、『くそったれ!少年時代』、ハニフ・クレイシの小説『ぼくは静かに揺れ動く』、『ボブ・ディラン全詩集』などがある。
1990年代の半ば頃から、活動の中心を歌うことに戻し、新しい曲を作りつつ、日本各地でライブを行なっている。

中川五郎HP
https://goronakagawa.com/index.html

midizineは限られたリソースの中で、記事の制作を続けています。よろしければサポートいただけると幸いです。