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【アーカイブス#63】レナード・コーエン『ポピュラー・プロブレムス』 *2014年10月

 レナード・コーエンの新しいアルバム『Popular Problems/ポピュラー・プロブレムズ』が9月23日に発売された(日本盤はソニー・ミュージックエンタテインメントから10月22日に発売)。新しいアルバムの発売日の二日前、9月21日はレナード・コーエンの誕生日で、彼は1934年の生まれなので、この作品は彼が80歳を迎えると同時に発売されたということになる。
 ブックレットのクレジットにはレコーディングされた月日は明記されていないが、恐らくレナードの70代最後の時期に行われ、収められている曲も最近作られた曲(“Recent Songs”)が中心なのだろうが、日本盤の菅野ヘッケルさんの解説によると、「ボーン・イン・チェインズ」という曲は、もともとは「テイクン・アウト・オブ・エジプト」というタイトルで書き始められ、1985年のサウンド・チェックで歌詞の一部が「アイ・キャント・フォーゲット」という別の曲の中で歌われ(1988年のアルバム『I’m Your Man』に収められている曲)、「ボーン・イン・チェインズ」という曲として初披露されたのは2010年7月のことで、アンジャニ・トーマスと共作の「ア・ストリート」も、2001年9月11日のニューヨークの同時多発テロの直後に書き始められ、2006年のアンジャニのコンサートで初めて歌ったと書かれている。

 80歳を迎えるにあたって作ったアルバムということで、ぼくはレナード・コーエンの新作『ポピュラー・プロブレムズ』に耳を傾ける前、このアルバムは彼が「死」と向き合い、自らの「最期」を考える、重く厳しいものになっているのではないだろうかと考えていた。
 ぼく自身65歳になって(いわゆる高齢者だ!)、自らの死のことが絶えず頭から離れなくなってきたのはもちろんのこと、これから先自分がいつまで歌っていけるのだろうか、何をどう歌えるのだろうかということをしょっちゅう考えるようになって来たし、ここ数年自分と同じ世代の、あるいは自分よりも若い人たちとの悲しい別れがどんどん多くなって来て、まだ生かされている自分がしなければならないことはいったい何なのかと、おこがましいこともはなはだしいが、自分はいったい何を託されているのかと、それこそとても厳粛な思いにも襲われていた。
 そんな中、80歳を迎える、生きることに関しては大先達のレナード・コーエンが何を思い、何を考え、何を歌おうとしているのか、彼の新しいアルバムの新しい歌に大きな答えが見つけられるような気がしていた。
 
 しかしレナード・コーエンの80歳のアルバム『ポピュラー・プロブレムズ』は、じゅうぶん歳を重ねた彼が、だんだんと近づいてくる死と向き合って作った重苦しい作品では決してなかったし、簡単に悟りを開いているような軽い作品でも決してなかった(それは当然と言えば当然だが…)。
 オープニング・ナンバーの「スロー」こそ、「私は生きる速度を落としている/速いのが好きだったことは一度もない/あなたはそこへ早く着きたい/私はそこへ最後に着きたい」「歳をとったからではない/死が近いからでもない/昔から遅いのが好きだった/それは生まれつき血の中に流れている」(三浦久さん対訳)と、どこか「死」が意識されているような印象を受けるが、アルバムを聞き進めていくにつれ、死と向き合っている雰囲気はどんどん希薄になり、むしろ生きることについて、これから生きることについて、レナードはとてもポジティブに歌っているように思えてくる。
 そして直接的にはっきりと歌われているわけではないが、まだまだこれからも女性に恋をしようとしている、そして性欲はもちろんのこと、さまざまな欲望を捨てきれずにいる、永遠のレディーズ・マンのレナードの姿も伝わってくる。80歳のレナード・コーエンは、実にみずみずしく、エロチックで、生々しく、そしてなまぐさくもあり、死の扉の前で決して静粛に座っていたりはしていない。

 というよりも、ぼくが『ポピュラー・プロブレムズ』を聞いて強く思ったのは、レナードは「死」などとっくに超越しているのではないかということだった。このアルバムは今年7月27日に107歳でこの世を去った、レナードがそのもとで長く修行した臨済宗の禅僧の佐々木承周老師(Kyozan Joshu Sasaki Roshi)に捧げられていて、もちろんその禅の教えということもあるのだろうが、レナードは若くから死と向き合い、それについてずっと考え続け、死とは何かということを彼なりにとっくに把握していたのではないだろうか。
 だからこそレナードは年老いて来たからと初めて死と重苦しく向き合うこともしなければ、敢えて死から目をそらせて、そこから逃げ出すようなこともせず、まさに死は「ありふれた問題(ポピュラー・プロブレムズ)」の中のひとつとでも言いたいかのように、ぼくにとってはそれこそ死を超越しているように思える、彼ならではの鮮やかでしなやかな死生観をこのアルバムの中で浮かび上がらせているのだ。

『ポピュラー・プロブレムズ』に収められているレナードの多くの歌は、彼の息子のアダム・コーエンのレコーディングに参加したことがきっかけとなって父親とも知り合うようになったアメリカのミュージシャンのパトリック・レナードとの共作となっている。恐らくはレナードが作ったシンプルな曲をパトリックがコンピューター・プログラミングやキーボードを使って最終的なかたちに仕上げていったのだろうが、そういうプロセスゆえに最近のレナードのアルバムのサウンドはどこか「チープ」な感じがしないでもない。
 しかし「コーエンのレコードでは、音楽はあくまで詩を伝えるための環境のようなものだとぼくは思う」、「あるコーエン愛好家は『コーエンのレコードはマネキン人形のようだ。スタジオ・ヴァージョンをコーエンがライヴ・パフォーマンスで色付けするように、聞き手もそれぞれ自分好みに着飾らせればいい』とどこかで書いていたが、その通りだと思う」と、やはり日本盤の解説で菅野ヘッケルさんが書かれているように、ぼくも最近のレナードのアルバムの「チープ」さや「ライト」さは、逆に聞き手に自由や想像力や刺激を与えるもので、聞き方次第でどんどん深くなって広がっていく素晴らしい「アイディア」ではないかと受けとめている。

 また日本盤の解説のブックレットにはレナードの歌詞を対訳された三浦久さんの「訳者ノート」も収録されているが、そこにとても面白いエピソードが書かれているので、最後にそれを紹介しておきたい。
 アーヴィング・レイトンはカナダの有名な詩人で、日本ではエリック・アンダーソンが名盤『ブルー・リバー』のレコードの内袋に彼の詩を引用していることでもよく知られている。
「コーエンが彼の年上の友人であり詩の師でもあるアーヴィング・レイトンを訪問したときの会話が残っている。そのときレイトンは90近くだったというから、コーエンは67か68だった。レイトンが『レナード、君は性欲の減少に気づいているか』と聞くと、レナードは『ああ、気づいているよ』と答える。レイトンが言う『それを聞いて安心したよ』」
 何だかとてもいい話ではないか。90歳と68歳の性欲についての会話。ぼくもこれから先、もっと歳をとった時に、もっと年上の人とぜひそんな話をしてみたい。

そんなわけで、というか何だか強引な展開になってしまっているが、レナード・コーエンの新しいアルバム『ポピュラー・プロブレムズ』は、たくさんの人にぜひ聞いてほしいアルバムだ。そして聞いてみたいという方は、三浦久さんの素晴らしい対訳や丁寧な「訳者ノート」、そして菅野ヘッケルさんの詳しい解説が付けられた日本盤を手に入れられることを強くお奨めする。

中川五郎(なかがわ・ごろう)
1949年、大阪生まれ。60年代半ばからアメリカのフォーク・ソングの影響を受けて、曲を作ったり歌ったりし始め、68年に「受験生のブルース」や「主婦のブルース」を発表。
70年代に入ってからは音楽に関する文章や歌詞の対訳などが活動も始める。90年代に入ってからは小説の執筆やチャールズ・ブコウスキーの小説などさまざまな翻訳も行っている。
最新アルバムは2017年の『どうぞ裸になって下さい』(コスモス・レコード)。著書にエッセイ集『七十年目の風に吹かれ』(平凡社)、小説『渋谷公園通り』、『ロメオ塾』、訳書にブコウスキーの小説『詩人と女たち』、『くそったれ!少年時代』、ハニフ・クレイシの小説『ぼくは静かに揺れ動く』、『ボブ・ディラン全詩集』などがある。
1990年代の半ば頃から、活動の中心を歌うことに戻し、新しい曲を作りつつ、日本各地でライブを行なっている。

中川五郎HP
https://goronakagawa.com/index.html

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