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【アーカイブス#99】ジャスティン・ラトレッジの高く澄んだ歌声が運ぶ長く続く道の詩。*2019年12月

一年に二、三度ぼくがライブをやらせてもらう東京のお店に御茶ノ水のWoodstock Cafeがある。つい最近、今年2019年の12月にもそこでライブをやらせてもらった。Woodstock Cafeの店主の阿部俊典さんはアメリカやイギリスのシンガー・ソングライターのアルバムのコレクターでもあり、お店に行くといろんなミュージシャンの新しいアルバムや珍しいアルバムがたくさん並べられている。それらを確かめるのもぼくにとってはWoodstock Cafeに行く楽しみのひとつとなっている。というか、自分のライブそっちのけで、いろんなアルバムに興味が行ってしまうこともある。

この12月に行った時も、カウンターの奥の新しいCDが置かれている場所にぼくの大好きなカナダのシンガー・ソングライターのジャスティン・ラトレッジ(Justin Rutledge)の最新アルバム『Passages』が置かれていた。そこから目を離せないでいると、「五郎さん、スポティファイ(Spotify)って知っていますか?」と、阿部さんがいきなり聞いて来た。
「知っていますよ」と、ぼくが答えたら、阿部さんはジャスティンの『Passages』を手にして、「このアルバムもその前のアルバムの『East』も全部スポティファイで無料で聞けるんですよね。何だかこうやってアルバムを買うっていうのはもういいかなという気持ちになります。でも自分の好きなミュージシャンのアルバムはいくらただで聞けてもやっぱりCDやレコードというかたちで持っていたいですよね」と言う。
ぼくはスポティファイではなく、それと同じように音楽を無料で配信してくれるアマゾンのミュージック・アンリミテッドの方を今はさかんに利用していて(年会費を少しは払わなければならないが)、新しい音楽も古い音楽もただでいっぱい聞くようになっている。しかしいくらただでふんだんに聞けるとしても、阿部さんの言うことにはまったく同感だった。自分の好きなミュージシャンのアルバムは、やっぱりCDやレコードというかたちで持っていたいのだ。

実はジャスティン・ラトレッジの最新アルバム『Passages』は、ぼくはアマゾンのミュージック・アンリミテッドで何度も何度も繰り返し耳を傾けていた。覚え込んでしまうぐらい何度も繰り返し聞いていたので、CDを買うのはもういいかとさえ思えるようになっていた。しかしその夜自分のライブを終えて、やっぱり阿部さんの言うとおりだ、好きなミュージシャンのアルバムはCDで持っていたいと、早速『Passages』のCDをネットで注文してしまった。
もしかしたらCDには素敵なブックレットが付いていて、歌詞もちゃんと載っているかもしれないではないか。しかし翌日届いた『Passages』のCDにはブックレットも付いていなければ、歌詞も載っていなくて、見開きの紙ジャケットにプラスティックのトレイが貼り付けられていて、ミュージシャンやスタッフのクレジットが書かれているだけだった。2016年の前作『East』もその前の2014年の『Daredevil』も、ジャスティンのCDの装幀はすべてこのシンプルこの上ないかたちだった。
残念ながら期待していた歌詞は付いていなかったものの、やはり配信で聞くのとジャケットを手にしてCDプレイヤーに盤をセットして聞くのとでは、何だか印象が違ってくるし、おかしな話だがCDで聞く時はつい居住まいを正してしまう。
Woodstock Cafeで阿部さんと話したことで、少し遅れてしまったが、ぼくの家にもジャスティン・ラトレッジがこれまでに発表した8枚のアルバムがCDで全部揃った。

ジャスティン・ラトレッジのデビュー・アルバム『No Never Alone』(この時はJustin Rutledge And The Junction Fortyという名義だったが)がカナダのSix Shooter Recordsからリリースされたのは2004年の5月のことだった。どういうきっかけだったかは忘れてしまったが、そのアルバムを聞いてすっかりジャスティンの歌や声の虜となってしまったぼくは、彼が新しいアルバムを発表するたびに買い求め、気がつくとその存在を知ってから15年、手に入れた彼のアルバムも遅ればせながら最近CDを買った最新アルバムも含めて全部で8枚となった。

うんと気に入っているシンガー・ソングライターだから、これはもうこの『グランドティーチャーズ』の連載でジャスティンのことを取り上げていても絶対におかしくないのだが、どういうわけか今までその機会を逸したままだった。ただ、今から9年近く前の2011年3月、連載第23回目となる「また出会ったよ。カナダの素敵なシンガー・ソングライター。」という記事でダグ・ペイズリー(Doug Paisley)というカナダのシンガー・ソングライターを取り上げた時、ぼくはその中でこんなことを書いていた。
「ぼくがダグの音楽を聴いていて思い浮かべたのは、同じカナダの、それもトロントをベースに活躍する32歳のシンガー・ソングライター、ジャスティン・ラトレッジのことだった。
(中略)
もちろん二人の音楽性やスタイルなど、それぞれ個性的で一緒くたにするようなものではないが、音楽の誠実さや余計な虚飾を峻拒する歌ということで、ぼくは二人の音楽に何か相通じるものを見てしまう。
恐らくダグとジャスティンは同じトロント、しかもほぼ同世代ということで、知り合いなのかもしれない。しかしきっとすごく仲がいいか、すごく仲が悪いかのどちらかなのかもしれない。何となくそんな気がする」
そしてそれに続けてぼくは「ジャスティン・ラトレッジの音楽もほんとうにいいので、今度機会を見つけてこの連載で彼の音楽のこともしっかり紹介したいと思っている」と書いている。その機会を見つけるというか、その機会をちゃんと作るまで9年近くの歳月を要してしまったというわけだ。当時32歳だったジャスティンは今では40歳となり、当時は2010年に発表された4枚目の『The Early Windows』が彼の最新アルバムだったが、その後4枚ものアルバムがリリースされている。
さあ、ようやくジャスティン・ラトレッジについて書くことができる。
ジャスティン・ラトレッジは1979年1月3日生まれで、トロントのアイリッシュ・カトリックの家庭で育った。作家になりたいという大望を抱き、トロント大学に進んで英米文学や現代詩を学んでいたが、文学以上に音楽の魅力に取り憑かれてしまい、大学をドロップ・アウトして音楽の道を選んだ。もしもそのまま文学を勉強し続けていたら、作家や詩人、英米文学者となっていたかもしれないが、ジャスティンの歌は鋭く鮮やかな歌詞で綴られた文学性が豊かなものばかりなので、表現のかたちこそ少し変わったとは言え、少年の頃に抱いていた作家になりたいという大望はそのまま見事に叶ったと言うことができるだろう。

バーテンダーをして生活費を稼ぎながら曲作りやレコーディングに励み、ジャスティンは2004年にデビュー・アルバムの『No Never Alone』を完成させた。アメリカのウィキペディアの記事によると、このアルバムは本国カナダよりもイギリスで高い評価を受けたということだ。
そのデビュー・アルバムも含めて、ジャスティンは現在まで全部で8枚のアルバムを発表している。残りの7枚のアルバムは以下のとおりだ。
『The Devil On A Bench In Stanley Park』(2006, Six Shooter Records)
『Man Descending』(2008, Six Shooter Records)
『The Early Windows』(2010, Six Shooter Records)
『Valleyheart』(2013, Outside Music)
『Daredevil』(2014, Outside Music)
『East』(2016, Outside Music)
『Passages』(2019, Outside Music)

再びアメリカのウィキペディアの記事によると、ジャスティンはレナード・コーエンやハンク・ウィリアムス、リチャード・ブローティガンやE.E.カミングスなど、音楽と文学の両方の分野から影響を受けているということだ。サウンド的にはアメリカのオルタナティブ・カントリー・ミュージックと通じるようなところもあるが、何よりも美しいメロディ・ラインと優しく繊細で高く澄んだその歌声が彼の音楽の大きな魅力になっているとぼくには思える。
それに前述したように文学的で奥深い歌詞の世界もとても味わい深い。できることならジャスティンの歌詞をここでいくつか訳して紹介したいところだが、権利関係でそれは難しいので、いつかまた別の機会にどこかで、ジャスティン・ラトレッジの歌詞の世界とじっくり向き合ってみたい。

最新アルバムの『Passages』にはジャスティンがカナダの有名な詩人で作家のマイケル・オンダージ(Michael Ondaatje)の詩に曲をつけた「Boats」という曲が収録されている。ジャスティンがマイケルと共作するのは、『The Early Windows』に収録されている「Be Ä Man」に続いて二度目となる。また3枚目のアルバム『Man Descending』は、カナダの作家Guy Vanderhaegheが1982年に発表した短編小説集と同じタイトルで、アルバムの中に収めた曲にはその短編小説集に通じる世界が織り込まれているとジャスティンはコメントしている。
6枚目のアルバムとなる『Daredevil』は、ジャスティンが自作曲を歌っているものではなく、1980年代半ばに結成されたカナダの人気ロック・バンド、ザ・トラジカリー・ヒップ(The Tragically Hip)の曲だけを取り上げて歌っている。ザ・トラジカリー・ヒップは2017年10月にリード・ヴォーカリストのゴード・ダウニー(Gord Downie)がこの世を去り、活動休止状態になった。そしてジャスティンの最新アルバム『Passages』のレコーディングには、ザ・トラジカリー・ヒップのギタリストのロブ・ベイカー(Rob Baker)が参加している。

最後に、9年近く前ぼくは「おそらくダグ(・ペイズリー)とジャスティンは同じトロント、しかもほぼ同世代ということで、知り合いなのかもしれない。しかしきっとすごく仲がいいか、すごく仲が悪いかのどちらかなのかもしれない。何となくそんな気がする」と書いたが、たとえお互いにライバル意識を激しく燃やしていたとしても、よく考えてみれば仲がすごく悪くなるようなことまずないだろう。そしてそれを証明するかのように2013年のジャスティンの5枚目のアルバム『Valleyheart』では、ダグ・ペイズリーがレコーディングに参加して、「Four Lean Hounds」という曲でエレクトリック・ギターを弾いている。そのトラックからは何だか和気藹々とした雰囲気が伝わって来る。

中川五郎(なかがわ・ごろう)
1949年、大阪生まれ。60年代半ばからアメリカのフォーク・ソングの影響を受けて、曲を作ったり歌ったりし始め、68年に「受験生のブルース」や「主婦のブルース」を発表。
70年代に入ってからは音楽に関する文章や歌詞の対訳などが活動も始める。90年代に入ってからは小説の執筆やチャールズ・ブコウスキーの小説などさまざまな翻訳も行っている。
最新アルバムは2017年の『どうぞ裸になって下さい』(コスモス・レコード)。著書にエッセイ集『七十年目の風に吹かれ』(平凡社)、小説『渋谷公園通り』、『ロメオ塾』、訳書にブコウスキーの小説『詩人と女たち』、『くそったれ!少年時代』、ハニフ・クレイシの小説『ぼくは静かに揺れ動く』、『ボブ・ディラン全詩集』などがある。
1990年代の半ば頃から、活動の中心を歌うことに戻し、新しい曲を作りつつ、日本各地でライブを行なっている。

中川五郎HP
https://goronakagawa.com/index.html


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