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【アーカイブス#88】キャス・マコームスはカメレオンなのかスルメなのか。*2018年1月

Amazonなどのネットショップを利用してCDを買ったりすると、「このアーティストのCDを買ったら、こちらのアーティストのCDもお薦め」と、いろんな関連作品を教えてくれる。もちろんAmazonは自分たちの商売のためにやっているのだが、このお節介というか親切は、それまで自分がまったく知らなかったミュージシャンやバンドの存在を教えてくれることがある。それで何だか面白そうだと薦められたCDを思いきって買ってみると、これが大当たりで、素晴らしい内容だったりする(もちろんまったく期待はずれやどこが同じ流れなのかと憤ってしまうこともあるが…)。すなわちAmazonのお節介や親切が時には素敵な出会いを作り出してくれるということだが、キャス・マコームス(Cass McCombs)というアメリカのシンガー・ソングライターの存在も、ぼくはこの「これもお薦め」によって初めて知った。この人は何だかすごく面白そうだぞと、まずは彼が2011年にリリースした『Wit’s End』というアルバムを買ってみると、これが何とも強烈なアルバムで、ぼくはその歌の世界にたちまちのうちに心を鷲掴みされてしまった。そしてそのアルバムから過去の作品へと遡ったり、最新作まで辿ったりしながらキャスのアルバムを次々と買い求めていった。そして全作品を入手し、キャス・マコームスの歌の世界に完全に虜となってしまった。

ウィキペディアによると、キャス・マコームスは1977年11月13日カリフォルニア州コンコードの生まれ。1990年代はベイ・エリアやパシフィック・ノースウェストで活動するさまざまなバンドを渡り歩き、その後ニューヨーク・シティで一時暮らしたこともあるが、2001年再びアメリカ西海岸のサンフランシスコに戻り、そこでデビュー・ミニ・アルバムの『Not The Way E.P.』をレコーディングし、ボルティモアのモニター・レコード(Monitor Records)からリリースした。2003年にはイギリスでジョン・ピールの有名なピール・セッションでレコーディングを行い、同年モニター・レコードから(イギリスでは4ADからのリリース)デビュー・アルバムの『A』を発表した。キャスはボルティモアのバンド、OXESと共にアメリカやイギリス各地でツアー活動を行い、2005年にはセカンド・アルバム『PREfection』をモニター/4ADから発表。
その後ドミノ・レコード(Domino Recording)に移籍して、『Dropping The Writ』(2007)、『Catacombs』(2009)、『Wit’s End』(2011)、『Humor Risk』(2011)、二枚組の『Big Wheel and Others』(2013)、レアリティーズやシングルのB面曲、スペース・ジャンクなどを集めた『A Folk Set Apart』(2015)と5枚のオリジナル・アルバムとコンピレーション・アルバム1枚をコンスタントに発表していった。そして2016年にはANTI-Recordsから最新アルバムの『Mangy Love』をリリースしている。

2011年作の『Wit’s End』をきっかけにして、ぼくはこれらのキャス・マコームスの作品を10枚全部買い集め、次々と耳を傾けていったところ、どのアルバムももちろんキャスならではのユニークで奇抜な個性が燦然と光り輝き、彼独自の世界を作り上げているのだが、アルバムごとに音楽スタイルというか、サウンドというか、その世界は大きく変化していて、その自由奔放さ、柔軟さ、変幻自在さ、多面性、揺れ幅の大きさに驚かされてしまった。
再びウィキペディアによると、キャスの音楽性について、「ロック、フォーク、サイケデリック、パンク、オルタナ・カントリーといったジャンルがブレンドされている」と説明されているが、まさにそれらすべてのジャンルの音楽、それらすべてのスタイルの音楽が彼の中に宿り、根付いていて、それが時代ごと、音楽を作る場所ごと、アルバムごとに、カメレオンのように大胆に鮮やかに変化しているのだ。
ぼくが初めて聞いた『Wit’s End』のキャスの音楽は、必要最小限の音しか使わずに作り上げられた、実に静謐で内省的なものだったが、2000年代前半の初期の作品を聞いてみるとガレージ・パンク色が強かったり、いかにも手作り然としたチープなサウンドだったりするし、カタコームス(Catacombs)というバンドと一緒に作られた2009年のアルバム『Catacombs』は、名手グレッグ・リースのペダル・スティール・ギターがとても印象的なオルタナ・カントリー色に満ちた作品となっている。そして最新作の2016年の『Mangy Love』は、ソウルやファンクの色合いを感じさせる曲もあれば、アフリカの大地の鼓動を伝えるかのような曲、はたまたクルーナーのように艶やかな歌い方をしているアーバン・ポップの雰囲気を漂わせた曲すらある。

キャス・マコームスに関する海外でのレビュー記事を読んでみると、エリオット・スミス、ニック・ドレイク、レナード・コーエンなどの名前が引き合いに出されたりしていて、その比較は十分理解できるとしても、彼の歌の色合いや肌触り、その印象はこれまでぼくが聞いてきたどのシンガー・ソングライターとも大きく異なっている。とにかく初めて体験する世界で、誰よりも陰鬱だったり、誰よりも孤独だったり、誰よりも辛辣だったり、誰よりも峻烈だったり、誰よりも悲しかったり、誰よりも落ち込んでいたり、どんな感情や感覚であれ、崖っぷちまで行ってしまうようなエキセントリックなところがある。それでいて音楽の力が彼自身を救っているというか、彼に希望を与えていて、どんなやり方やどんなスタイルを選ぼうとも、彼の奏でる音楽は、そのポジティブさゆえ聞き手を共感させ、聞き手を鼓舞し、聞き手を励ます。空元気や作り笑い、似非の和合とはまったく無縁だがで、ほんとうの意味で聞き手に勇気を与える音楽になっている。

キャス・マコームスの書く歌詞の世界は実に興味深く、叙述的や説明的なもの、単純なものではまったくなく、重層的でさまざまな解釈ができるとてもこんがらがっていて奥深いものばかりだ。例えば2003年のデビュー・アルバム『A』のオープニング・ナンバーの「I Went To The Hospital」という曲では、一週間ほど胸が痛むので病院に行ったらベッドに寝かせつけられた、いつもママの言う通り行動しているからテストの結果についてどうして嘘をつく必要があるのか、怖いのは死ぬことなのか、それとも死んでいることなのか、と歌われている。
2016年の最新作『Mangy Love/卑劣な愛、きたならしい愛』は、これまでになく社会的、政治的なテーマが歌われていると話題になっているが、もちろんキャスのこと、ありきたりなプロテスト・ソングやメッセージ・ソングを歌っているわけではない。アルバムのオープニング・ナンバー「Bum Bum Bum」は、今現在のアメリカ社会の差別問題や警察官の暴力の問題などが歌われているようだが、「自分が選んだ国会議員に手紙を書いた/クー・クラックス・クランだ/ピアスをした自分の手で/ブンブンブン/送り返されてきたのはアップル・フォンと上等な櫛/そして鐘が鳴った/ブンブンブン/電話が一度だけ鳴ってそれから通じなくなった/流れる血はすべて真っ赤で/白い犬たちは繁殖し続けていた/ブンブンブン」と歌われ、女性問題が歌われているような「Run Sister Run」は、「やつらはおまえのからだに刻印しようとあらゆる方向から襲いかかり/そんなことはしていないよと言う/チーズ・ウィズ(アメリカのチーズの商標)の最高権力者は最高裁判所の男子用便器の陰に隠れている/走れ、シスター、逃げろ/それとも男の裁判官はしゃがんで小便するのか?/不法占拠の建物で暮らすシスターたちは正義とやらに小便を引っ掛ける/正義は何もわかっていなくて女は蹴っ飛ばされる/ブーツは行進するためのものでそれもまた正義/走れ、シスター、逃げろ」といった歌詞なのだ。
キャス・マコームスのアルバムのブックレットはちゃんと歌詞が付いているものが多いが、付いていないものも彼のホームページを訪ねてみれば、そこで見ることができる。抽象的で難解で一筋縄ではいかないものばかりだが、彼の歌詞の世界はぜひともじっくりと味わってみたい。

ブックレットやアルバム・ジャケットのことを言えば、キャス・マコームスのアルバムのアート・ワークもまたとても興味深い。2007年の三枚目のアルバム『Dropping The Writ』からはアルバート・ハーター(Albert Herter)という画家の作品が使われていることが多く、これがまたキャスの歌の世界と相通じる不気味でシュールでエロチックな絵ばかりなのだ。
アルバート・ハーターと言えば1871年に生まれ1950年に没したアメリカの有名な画家がいるが、キャスに作品を提供しているアルバート・ハーターはもちろん同姓同名の別人で、ニューヨーク・シティ在住で、絵を描くと同時にラカン派の精神分析医もしているということだ。キャスの短編小説とアルバートの絵とが組み合わされたコラボレーション作品もこれまでにさまざまなメディアを通じて発表されている。アルバート・ハーターの作品は前述したキャスのホームページでも紹介されている。
このキャス・マコームスのホームページがミュージシャンのものとしてはとにかく異質で、歌詞こそ載っているものの、ミュージシャンのホームページに付き物のバイオグラフィーやディスコグラフィー、ライブ・スケジュールなどは一切なく、本人を含めて友人やバンド仲間のアート作品を紹介するギャラリーのページがあったり、やはり彼のアルバム・ジャケットで使われているザ・ダイ・セクト・フォント(The Die Sect Font)というシンボルやフォントが提供されている。ダイ・セクトというのは、キャスの楽曲を管理する音楽出版社の名前でもある。

とにかくユニークな存在のキャス・マッコームス、最新作の『Mangy Love』から1年半、そろそろ次のアルバムも登場してくる頃だろうが、それを心待ちにしながら買い揃えた10枚のこれまでのアルバムに改めて耳を傾けて、カメレオンのように変化するそのサウンドに心を預け、噛めば噛むほど味わいが増すスルメのような歌詞と格闘することにしよう。
この一文を読んでキャス・マコームスの存在やその音楽に興味を持たれた方は、どの時代のどのアルバムからでもいいので、彼の歌を聞いてその魔力にぜひとも取り憑かれてほしい。

中川五郎(なかがわ・ごろう)
1949年、大阪生まれ。60年代半ばからアメリカのフォーク・ソングの影響を受けて、曲を作ったり歌ったりし始め、68年に「受験生のブルース」や「主婦のブルース」を発表。
70年代に入ってからは音楽に関する文章や歌詞の対訳などが活動も始める。90年代に入ってからは小説の執筆やチャールズ・ブコウスキーの小説などさまざまな翻訳も行っている。
最新アルバムは2017年の『どうぞ裸になって下さい』(コスモス・レコード)。著書にエッセイ集『七十年目の風に吹かれ』(平凡社)、小説『渋谷公園通り』、『ロメオ塾』、訳書にブコウスキーの小説『詩人と女たち』、『くそったれ!少年時代』、ハニフ・クレイシの小説『ぼくは静かに揺れ動く』、『ボブ・ディラン全詩集』などがある。
1990年代の半ば頃から、活動の中心を歌うことに戻し、新しい曲を作りつつ、日本各地でライブを行なっている。

中川五郎HP
https://goronakagawa.com/index.html

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