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【アーカイブス#10】どこまでもぼくをさらって行くブラインド・パイロットの歌 *2010年2月

 インターネットでCDやDVDのショッピングをしていると、ぼくの場合はAmazonを利用することが多いのだが、お目当ての品物を見つけて買おうとすると、そのページに「この商品を買った人はこんな商品も買っています」、「Customers Who Bought This Item Also Bought」というコーナーがあって、似たような傾向のアーティストの商品がずらずらと紹介されている。
 これが実に商売上手というか、危険な誘惑で、そこに紹介されている商品をあれこれチェックしているうち、最初は一枚だけ買うためにネットショップを訪れたのに、気がつくと買い物が二枚、三枚、四枚、五枚に増えてしまっていたりする。しかも紹介してくれる商品は、ほんとうに似た傾向のものが多くて、ぼくが気に入るであろうアーティストやアルバムをここぞとばかりに売りつけてくる。しかしこのおかげでそれまで知ることのなかった素敵なアーティストやアルバムに出会えたりもする。

 ぼくがブラインド・パイロット(Blind Pilot)という最高に素敵なバンドと出会えたのも、「この商品を買った人はこんな商品も買っています」のおかげで、確か大好きなイギリスの女性シンガー・ソングライター、ローラ・マーリング(Laura Marling)のニュー・アルバム『I Speak Because I Can』がリリースされたので、少しでも安い値段でCDとDVDの二枚組のスペシャル・エディションを手に入れようと、いろいろなサイトをチェックしていた時、Amazonのこのアルバムのページの「Customers Who Bought This Item Also Bought」のところにブラインド・パイロットのデビュー・アルバム『3 rounds and a sound』(expunged records ER-0007)が取り上げられていたのだ。
 何かピンと来るものを感じ(長年CD探しを続けている者の直感と言うべきか)、迷わずそのアルバムも手に入れてみると、これがもう本当に素晴らしくて、手に入れてからというもの、毎日のようにブラインド・パイロットの歌ばかり聴いている。

 ブラインド・パイロットはアメリカ西海岸オレゴン州ポートランドのバンドで、最初はヴォーカルとアコースティック・ギター、そしてすべての曲作りを手がけるイズラエル・ネベカー(Israel Nebeker)とドラマーでパーカッショニストのライアン・ドブロウスキー(Ryan Dobrowski)のデュオとしてスタートした。そして活動を続けるうちに、テナー・バンジョーやダルシマーのカティ・クラボーン(Kati Claborn)、アップライト・ベースのルーク・イドスティ(Luke Ydstie)、トランペットとハーモニウムのデイヴ・ヨルゲンセン(Dave Jorgensen)、ヴィブラフォンのイアン・クリスト(Ian Krist)が加わり、現在は六人編成のバンドで活動しているようだ。
 このユニークなアンサンブルからも想像できるように、ブラインド・パイロットの音楽は、アコースティック・ギターをジャカジャカ弾きながら歌うイズラエルに、テナー・バンジョーやトランペット、ヴィブラフォンやハーモニウムが絡んできて、得も言われぬ独特な世界を作り出す。しかもリズム・セクションがとても生き生きしているというか、表情豊かで、ドラムスもベースもイズラエルと一緒に楽しげに歌っていて、ほんとうに気持ちがいい。
 あたたかくて、優しくて、手作り感に満ち、オーガニックで、ひたむきで、ポジティブで、躍動感があって、高く舞い上がり、胸がきゅんと締め付けられるような切なさもあり、とにかく人間くさいというか、歌ったり演奏している人の体温や匂いがひしひしと伝わってくる音楽なのだ。

 ブラインド・パイロットの歴史は、2000年代なかば、イズラエルとライアンのオレゴン大学での出会いから始まる。彼らはメンバーが足りないバンドに呼ばれて一緒に演奏したりしていたが、ある夏のこと、二人でイギリス旅行に出かけた。行った先はイギリスのいちばん南西部、コーンウォールにあるニュークワイで、そこはサーファーたちが集まるのんびりとした街だったので、彼らもサーフィンを楽しみに出かけていったのかもしれない。
 ニュークワイに着いて最初の夜、二人が通りを歩いていると、一人のバスカーが開けたギターケースを前に置いて、ギターを弾きながら歌っていた。すると警官が近づいて来て、二人はてっきりバスカーがしょっぴかれるものと思ったが、警官は彼の演奏に耳を傾け、聞き終えるとギターケースに1ポンドを投げ込んで、立ち去っていった。
 それを見て自分たちもやれると二人は思い立ち、イギリスの海辺の街で、イズラエルがギターを弾いて歌い、美学生だったライアンはスケッチブックと鉛筆入れの缶で間に合わせのパーカッションを担当して、夏じゅうバスキンングをして過ごした。これがブラインド・パイロットの始まりだったと言える。

 オレゴンに戻っても二人は一緒に音楽活動を続け、2006年にはイズラエルが育った街ギアハートの近く、オレゴン州の太平洋岸のいちばん北にあるアストリアの古びた缶詰工場を見つけてそこに泊まり込み、誰にも邪魔されない環境で曲作りに励むようになった。この缶詰工場はコロンビア川が太平洋に注ぎ込む河口の中に突き出して建っていて、まさに水の中の浮かぶ建物で、世間から隔絶した環境の中、イズラエルは集中して次々と曲を生み出していった。
 工場の窓からは、川を行き来するパイロット・ポート、すなわち水先案内船が見え、ブラインド・パイロットというバンド名はその時に閃いたようだ。
 しかしブラインド・パイロットとは、目が見えない操縦士、何もわかっていない案内者、何も見えていない指導者と、さまざまな意味に受け取れる、きわめて意味深長なネーミングだ。ブラインド・パイロットという名前からは、盲人が盲人を導く、The blind leading the blind、というマタイによる福音書に出てくる有名な言葉も連想してしまう。

 缶詰工場に缶詰になって、たくさんの曲を生み出したブラインド・パイロットは、それらの曲を自分たちでCD-Rに焼き、楽器とそのCD、そして身の回りの荷物を持って、自転車で旅に出た。
 地図も持たず、スケジュールも一切決めず、ヴァンクーバーからサンフランシスコまで太平洋岸を下って行き、演奏できる場所や機会があれば、どこででも演奏していった。旅がサンフランシスコで終ってしまったのは、そこで二人とも自転車を盗まれてしまったからだ。
 2008年、ブラインド・パイロットはバンジョーのカティ、トランペットのデイヴ、ヴィブラフォンのイアン、それにバイオリンのショーン・マクレイン、ヴィブラフォンやベースといった楽器だけでなく、オーケストレーションやレコーディングやミックスのエンジニアも担当したスカイラー・ノーウッドの助けを得て、デビュー・アルバム『3 rounds and a sound』を完成させた。ブックレットのクレジットによると、ブラインド・パイロットはイズラエルとライアンの二人となっていて、後にメンバーとなるカティやイアンやデイヴは、この段階ではアディショナル・ミュージシャンズと位置づけられている。またジャケットの印象的なアートワークは美術専攻のライアンによるものだ。

 『3 rounds and a sound』が2008年7月にリリースされると、ブラインド・パイロットはまたしても自転車でのツアーに出発した。この時はメンバーもイズラエル、ライアン、カティ、ルークの四人となり、行程もアメリカ太平洋岸のいちばん南、サンディエゴまで下って行った。
 ルークはアップライト・ベース奏者だが、自転車の後ろに棺桶のようなかたちのトレーラーを繋げ、そこにアップライト・ベースを積んで、自転車ツアーを敢行した。
 しかし『3 rounds and a sound』のリリース後、ブラインド・パイロットは、テレビの人気番組に出演して注目されたり、彼らの曲がiTunesのシングル・オブ・ザ・ウィークに選ばれたり、さまざまな夏のフェスティバルにも登場すれば、イギリスにも呼ばれたりして、どんどん人気バンドになっていった。
 人気が出れば出るほど、さすがに自転車ツアーは困難となり、今はバンで回っているそうだが、近い将来また絶対に自転車ツアーをやりたいと、メンバー全員が強く願っている。

 ブラインド・パイロットの音楽の魅力については、最初に書いたように、とにかくヒューマンで、イズラエルの声はどこまでも優しくあたたかく、そこにカティとルークが美しいハーモニーをつけてくれる。そしてバンジョー、トランペット、ダルシマー、バイオリン、ヴィブラフォン、ハーモニウムといった、「普通」のロック・バンドではあまり使われないあたたかい音色の楽器が、めちゃくちゃいい味を出し、何とも言えないオーガニックな雰囲気を作り出す。
 ほんわかと入ってくるトランペットの音色など、ぼくは思わず大好きな日本のバンド、バスカルズの世界を思い浮かべてしまった。

 イズラエルが書く歌詞は、シンプルな表現ながら、実は難解で奥が深く、さまざまな受け止め方ができる。きわめて個人的な歌ばかりで、自分の眼に映った風景や過ぎ去った思い出が歌われていても、言葉の奥には深い意味が隠されている。明確ではなく、どこか摑みどころがない分、聴き手がそれぞれ自由に解釈し、自分の思いを重ね合わせて聞くことができそうだ。要するに、日本語にはなかなか移しにくい歌詞ということだ。

 ブラインド・パイロットは『3 rounds and a sound』の後、iTunesストアだけでダウンロードできる5曲入りの『iTunes Session-EP』を発表し(こんな場合も発表というのかな)、全曲ライブ録音のこの作品には(こんな場合ももちろん作品でいいんだろうな)、デビュー・アルバムから3曲とアルバム未収録曲の「Get It Out」、それにギリアン・ウェルチのカバー曲「Look Out Miss Ohio」が収められている(こんな場合もやっぱり収められているでいいはず)。
 映像もいろいろと見ることができ、YouTubeで検索してみると、注目を集めるきっかけとなったテレビ番組、カーソン・デーリー・ショウで「One Red Thread」を歌っているものや、多分曲作りで缶詰になったと思える水の上の缶詰工場で「Go On, Say It」を歌っているオフィシャル・ビデオ、それに玉突き台の上にイズラエルたちが座り、「Two Towns From Me」や「One Red Thread」などを歌っている『Laundro Matinee』プレゼンツのThe VOLLRATHというヴェニューでのライブ映像など、ほんとうにたくさんある。
 そのどれもが楽しく、面白く、ブラインド・パイロットのあたたかな魅力が伝わってくるものばかりだ。見始めると、次から次へと見ずにはいられなくなってしまい、ほかのことが何もできなくなってしまう。

 日本ではまだあまり知られていないブラインド・パイロットだが、ほんとうに素敵なバンド、ぼくがこの数年に出会った中でも最高に面白いバンドなので、CDやiTunes、YouTubeなど、どんなかたちででもいいから、ぜひ彼らの音楽に耳を傾け、映像も見て、心を奪われてほしい。ほんとうに素晴らしい。絶対に保証します。

中川五郎(なかがわ・ごろう)
1949年、大阪生まれ。60年代半ばからアメリカのフォーク・ソングの影響を受けて、曲を作ったり歌ったりし始め、68年に「受験生のブルース」や「主婦のブルース」を発表。
70年代に入ってからは音楽に関する文章や歌詞の対訳などが活動も始める。90年代に入ってからは小説の執筆やチャールズ・ブコウスキーの小説などさまざまな翻訳も行っている。
最新アルバムは2017年の『どうぞ裸になって下さい』(コスモス・レコード)。著書にエッセイ集『七十年目の風に吹かれ』(平凡社)、小説『渋谷公園通り』、『ロメオ塾』、訳書にブコウスキーの小説『詩人と女たち』、『くそったれ!少年時代』、ハニフ・クレイシの小説『ぼくは静かに揺れ動く』、『ボブ・ディラン全詩集』などがある。
1990年代の半ば頃から、活動の中心を歌うことに戻し、新しい曲を作りつつ、日本各地でライブを行なっている。

中川五郎HP
https://goronakagawa.com/index.html

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