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【アーカイブス#2】 これらの素晴らしい言葉 *2009年5月

こんにちは、midizine編集部です。これまでミディに関する情報をマガジンとして自社サイトにアップしてきましたが、今後は媒体名を「midizine」と改め、noteより発信していきます。中川五郎氏による連載「Grand Teachers」も引き続き、更新されていきます。

リニューアルに合わせて、中川氏に許可を頂き、これまでの記事を【アーカイブス】として初回から順にnoteに転載していきます。中川氏が10年間かけて発信してきた素晴らしきTeachersたちの音楽を一緒に振り返りませんか。
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去年、2008年の6月に、インディーズ・レーベルのオルターポップから『フランソワ・ベランジェ・トリビュート〜これらのひどい言葉〜/Tous Ces Mots Terribles Hommage A Francois Beranger』(ERPCD-17000)というアルバムが発売された。その簡単な紹介記事がある音楽雑誌に出ていて、ぼくはそれを読んでこのフランソワ・ベランジェという人物にとても興味を引かれ、早速下北沢のCDショップに出かけて行って、そのアルバムを買い求めた。

寡聞にしてぼくはフランソワ・ベランジェのことをまったく知らなかったのだが、雑誌の紹介記事によると、彼は「60年代から70年代にかけてプロテスト・フォーク・シンガーとして注目され、70年代フランス反体制フォークの潮流を導きだした」人物だとされている。そういう人の歌ならば聞かないわけにはいかない。

もちろん規模やレベルはまったく違うとしても、ぼくも同じ時代、この日本でプロテスト・ソングや反体制の音楽の可能性を追究していて、アメリカやイギリスのそうした音楽はもちろんのこと、フランスの音楽にも熱心に耳を傾けていた。しかしその頃フランソワ・ベランジェというシンガー・ソングライターは、情報量も少なかったし、ぼくの努力不足ということもあって、ぼくのアンテナにはまったく引っかかって来なかった。

フランスの歌手といえば、ジャック・ブレルやレオ・フェレ、ジュルジュ・ブラッサンスやボリス・ヴィアンといったうんと前の時代の人たち、あるいは同世代ならイヴ・シモンといった人たちの歌に耳を傾けるだけで終ってしまっていた。

『フランソワ・ベランジェ・トリビュート〜これらのひどい言葉〜』は、そのアルバム・タイトルからもわかるように、フランソワ・ベランジェへのトリビュート・アルバムで、今現在フランスの音楽シーンで、それもどちらかと言えばオルタナティブな音楽シーンで活躍しているアーティストたちが、彼の曲を取り上げて歌っている。

フランソワは残念なことに2003年に66歳でこの世を去ってしまっているが、ここ最近フランスの若いミュージシャンたちの間で彼は再評価されていて、2000年にサンセヴェリーノがフランソワの曲「憂鬱のタンゴ」をカバーして話題を集め、それがひとつのきっかけとなっているようだ。

このトリビュート・アルバムを企画したのは、1960年に生まれたフランソワの長女のエマニュエル・ベランジェで、彼女はミュージシャンではないが、アルバムでは「頑固な母」という父の歌を歌っている。

アルバムに付けられている向風三郎さんによる解説によると、

「フランソワ・ベランジェ(1937〜2003)は、組合活動家でレジスタンス闘士だった父が、戦後国会議員として選出され、自分が良い環境で勉学の道を進めるとわかった時に『実存の危機』を感じ、学校をやめてルノー自動車の工場労働者となった。ブロレタリアを経験した後、旅回りの劇団に入り、ギター弾語りで歌い始める。劇団はまずまずの成功でフランスのみならずヨーロッパ各地に巡演できるようになり、フランソワは自作レパートリーを増やしていく。しかし1958年兵役で独立戦争の只中のアルジェリアを19ヶ月間体験し、『汚い戦争』が彼をブロテストシンガーとして大変身させてしまう」

となっている。

そして60年代後半のフランスの五月革命の中、31歳となったフランソワは、一人の労働者の生涯と恨みつらみを綴った「生の断面(Tranche de Vie)」を歌って注目を集め、それがレコード・デビューに繋がり、その後35年間、「フランスの反体制シンガー」として、ライブやレコーディングで音楽活動を続けていた。そんなすごいシンガー・ソングライターのことを、このトリビュート・アルバムが日本で発売されるまで、まったく知らなかったなんて、まがりなりにも同じ志で歌を歌い続けたいと思っているぼくとしては、ほんとうにほんとうに恥ずかしいかぎりだ。

そこでフランソワ・ベランジェの歌だが、実は『フランソワ・ベランジェ・トリビュート〜これらのひどい言葉〜』は、日本発売されたアルバムといっても、フランスからの輸入盤に解説とオビが日本で付けられているだけのもので、オリジナルのCDジャケットには歌詞が掲載されていなくて、日本盤の解説のカードもたった4ページの薄いもので、歌詞の対訳はもちろん載っていなかった。

ということは、ということは、フランソワ・ベランジェの歌で何が歌われているのか、フランス語がまったくわからないぼくには、まったく理解できないということだ。向風さんの解説の中には、2曲ほど歌詞の中の一部だけが簡単に紹介されていて、それでフランソワの歌はメッセージ色が強く、とても硬派なものだということは見当がつくが、だからといってそれで歌の中味が把握できるわけではない。つまりぼくにとって『これらのひどい言葉』は、それよりも何よりも『これらのわからない言葉』だったわけだ。

歌詞はまったくわからないものの、サンセヴェリーノ、ユベール・フェリックス・ティエフェーヌ、ジェラール・ブランシャール、ジャンヌ・シェラル、ミッシェル・ビューレールなど17組のアーティストによって歌われる、「ブレジル」、「生の断面」、「これらのひどい言葉」、「ラシェル」、「老人」といったフランソワ・ベランジェの歌は、どの曲もとても深く鋭いメッセージを投げかけていることは確実だ。「ああ、歌詞が知りたい」、「フランス語がわからない」と、まわりのみんなに訴えたり、自分のホームページの『徒然』というコラムに書いたりしていた。

するとこれまで何度かライブで一緒になったりしたことがあるフランス語に堪能なぼくの音楽仲間の女性が、このアルバムを聴いてフランソワの歌にぞっこんとなり、何と彼女はアルバムの中の歌詞がインターネットなどで入手できる曲を中心に、10曲ほど歌詞の対訳をしてくれ、それだけでなく歌の背景についての詳しい解説も書いてくれたのだ。それでフランソワ・ベランジェの歌の世界が、彼がどんなことを歌っているのか、限られた曲だが、一気に光が当たることになった。しかも彼女はアルバムのブックレットに収められている、トリビュート・アルバム参加ミュージシャンのすべてのコメントも日本語にしてくれた。それを読めば、それぞれのアーティストのフランソワとの繋がり、フランソワへの思いがとてもよくわかる。

ほんとうに感謝感激雨霰だが、その女性とは京都で音楽活動をしながら、笠木透さん(あの中津川フォークジャンボリーを始めた人)の雑花塾のメンバーでもある山本幹子さんだ。そもそもはぼくが「フランソワ、フランソワ」と騒いでいるのを聞きつけて、くだんのフランソワ・ベランジェのトリビュート・アルバムを手に入れた、やはりぼくのとても親しい音楽仲間、岡山のOZAKI UNITの尾崎ツトムさんが、山本さんに同じアルバムをプレゼントしたのだが、フランス語が堪能な彼女にそのアルバムをあげるとは、これはやっぱり歌詞を訳してほしいという素敵な下心が尾崎さんにはあったのに違いない。

というわけで山本幹子さんから送られて来た力作『山本幹子訳 フランソワ・ベランジェ作品集』の中から、「これらのひどい言葉」を紹介させてもらう。

これらのひどい言葉

歌をつくっているこれらのひどい言葉
不幸を、退屈を、刑務所を語っている
僕たちの悪魔を釣り上げるためのおとりでしかない
恐怖に猿ぐつわをする、少しの間

歌うこと、それは生きることじゃないけど、何かを望むこと
歌うこと、それは空っぽにされたときも生き残ること

幻想を空っぽにされ、丸裸で、ばかで
絞り取られ、途方にくれ、破壊され、踏みにじられ

僕はあなたより優れても無く、悪くもない
万難を排して、すべてに逆らって
僕は、決して希望を失わない、幸せへの夢を
いつか新しいことが生まれ、僕の悲しみを追い出すことを

ひとつの動き、ひとつの視線、ひとりの友
空にそびえる2本の木、月と夜
その親と同じようにする畑の恋人たち
はるか遠くの旅から戻ってくる娘

これらのひどい言葉が歌をつくっている

はるか遠くの旅から戻ってくる娘

いろんなアーティストがフランソワ・ベランジェの歌を歌っている『フランソワ・ベランジェ・トリビュート〜これらのひどい言葉〜』を聴いていると、当然それらの曲をフランソワ本人の歌で聴いてみたくなるし、もちろんそれ以外のフランソワ本人の歌も聴きたくなる。

フランソワはフランスのいくつかのレコード・レーベルから35年間で30枚近いアルバムを発表している。そしてどれか一枚ということになると、没後2004年にリリースされたCD3枚とDVD1枚の4枚組ボックス・セット『Le vrai changement, c'est quand ?』しかないだろうと思い、インターネットで注文したのだが、これがいろいろあって未だに入手することができない。日本、アメリカ、そしてフランスのいろんなところに注文したのだが、どうしても手に入らず、注文、キャンセル、返金の繰り返しだったその顛末はすさまじいものがあり、同時にとんでもなく面白いもので、そのことはいずれぼくのホームページの『徒然』で詳しく書いてみたいと思っている。

結局ぼくが手に入れたフランソワ・ベランジェのアルバムは、1999年にリリースされたライブ・アルバム『en public 98』というもので、1998年11月4日にリルで行なわれた彼のコンサートが二枚のCDに収められている。全25曲で、『フランソワ・ベランジェ・トリビュート〜これらのひどい言葉〜』に収められているほとんどの曲をフランソワ本人の歌で聞くことができる。
その歌は渋く、深く、そして熱くて、ひとつひとつの言葉が噛みしめられるように歌われていて、ほんとうに素晴らしい。ピアノ、アコーディオン、ギター、ドラムスの四人編成のバンドの演奏も、フランソワの歌をしっかりと支えていて、これまた感動的だ。

というわけで、最近のぼくは遅ればせながらフランソワ・ベランジェの歌に夢中で、できることなら彼の歌を日本語で歌ってみたいという大それたことを、またしても考えたりしているのだ。

中川五郎
1949年、大阪生まれ。60年代半ばからアメリカのフォーク・ソングの影響を受けて、曲を作ったり歌ったりし始め、68年に「受験生のブルース」や「主婦のブルース」を発表。
70年代に入ってからは音楽に関する文章や歌詞の対訳などが活動も始める。90年代に入ってからは小説の執筆やチャールズ・ブコウスキーの小説などさまざまな翻訳も行っている。
最新アルバムは2017年の『どうぞ裸になって下さい』(コスモス・レコード)。著書にエッセイ集『七十年目の風に吹かれ』(平凡社)、小説『渋谷公園通り』、『ロメオ塾』、訳書にブコウスキーの小説『詩人と女たち』、『くそったれ!少年時代』、ハニフ・クレイシの小説『ぼくは静かに揺れ動く』、『ボブ・ディラン全詩集』などがある。
1990年代の半ば頃から、活動の中心を歌うことに戻し、新しい曲を作りつつ、日本各地でライブを行なっている。

中川五郎ホームページ
https://goronakagawa.com/index.html

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