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【アーカイブス#96】バハマスはアフィー。カナダとフィンランドとバハマと日本が繋がる。*2019年5月

「ヘイ、ゴロー! 今夜は大阪にいる。明日が東京で、それからいなくなってしまう。東京にいるのかな? 会えたら最高。明日の夜ツタヤのO-nestでバハマスでライブ」
ドン・カーからこんなメッセージが届いたのは、5月21日の午後のことだった。ドン・カーはカナダのミュージシャンで、ロン・セクスミスとは1987年からの音楽仲間というか親友で、1996年にロンが日本で初めてライブを行った時も、彼はバンド・メンバーとしてドラムスやチェロを担当していた。
1995年のロン・セクスミスのデビュー・アルバム『Ron Sexsmith』を聞いてロンの大ファンになったぼくは96年の初来日公演にももちろん足を運んだ。その頃はまだ音楽の原稿を書く仕事が中心だったので、ロンにインタビューをしたり、コンサートに行ったらバック・ステージに顔を出したりもしていた。それでドン・カーとも知り合った。その後、ロンが日本にライブにやって来る時は、いつでもドンがバンド・メンバーとして一緒で、そのたびにぼくはドンと会って一緒に食事をしたりし、時にはロンの来日に合わせてドンが自分のライブを東京ですることもあり、それを手伝ったりもして、ぼくはドンととても親しい仲になったのだ。
2012年4月にロンたちが来日した時も、ぼくは27日に六本木のビルボード・ライブで行われた公演を見に行き、翌日からは自分のライブ・ツアーがあったので大阪へと移動した。そして29日に大阪は阿倍野にあるザ・ロック食堂でライブをやっていたら、ドンがロンのバンドのキーボード・プレイヤーのデヴィッド・マシスンやサウンドマンのイヴァン・トンプソンと一緒にやって来て、飛び入りで演奏もしてくれた。彼らは30日のロンの大阪公演の前乗りで大阪に到着していたのだ。

今回ドンからのいきなりのメッセージに、ぼくは「明日行きます!! バハマス見たい」とすぐに返事をした。でも実のところぼくはバハマスをそれまで聞いたこともなければ、どんなバンドなのかもまったく知らなかった。しかしドンが一緒に演奏しているならよくないわけがないだろうと、微塵も疑うことなく、「行きます!!」とすぐに返事をしたのだ。そして5月22日の夜、渋谷のO-nestに向かった。
ライブを見て初めて知ったのだが、バハマス(Bahamas)は実はバンドではなくシンガー・ソングライター・ギタリスト、アフィー・ジャーヴァネン(Afie Jurvanen)のソロ・プロジェクトだった。アフィーがすべての曲を作り、レコーディングやツアー、さまざまなライブに合わせて、その都度一緒に演奏をするミュージシャンが選ばれている。そして今回とアフィーと一緒に日本にやってきたのが、ドン・カーとベーシストのマイク(苗字もドンに教えてもらったのだが、失念してしまった。ごめんなさい)の二人だった。

ライブで初めて聞くバハマスの音楽はファンキーでソウルフルで、アフィーの深く潤った歌声や奔放なエレキ・ギターのスタイルは、曲によってはトニー・ジョー・ホワイトにも通じるアメリカのスワンプ・ロックの匂いを感じさせたりもするのだが、どこまでもユニークで、彼独自の世界を作り上げていた。フロリダの先にある南の島のバハマの雰囲気はその音楽からはあまり感じられず、アフィーはどうしてそんな名前で音楽をしているのか、実に不思議だった。
アフィーは年代物のギルドのアリストクラットを、ほとんどコード・ストロークをすることなく、歌の合間に絶妙なフレーズを巧みに弾きこなす。そして深く渋い歌声を聞かせる。その歌には皮肉たっぷりのユーモアや鋭い毒気も混じっていて、歌う前にはその歌ができたエピソードを面白おかしく語っていく。全然バハマではバハマスの世界にぼくはたちまちのうちに引き込まれていってしまった。

バハマスは先にも書いたように、アフィー・ジャーヴァネンのことで、アフィーは1981年4月28日にカナダのトロントで生まれ、オンタリオ州南東部のバリー(Barrie)という街で育っている。その名前からもわかるようにフィンランド系のカナダ人で、本名で演奏活動をしていると、「名前は何て発音するの?」、「どこの国の出身?」と絶えず質問されるので、説明がいらない単純な名前にしようと、フロリダ半島の先にある諸島の名前にしたということだ。しかしこの名前もまた「どうしてバハマなの?」と質問攻めは免れないのではないだろうか。
10代の前半にアフィーはギターを覚え、曲も書くようになり、やがてはトロントの音楽シーンに登場し、ブロークン・ソーシャル・シーンのメンバーでもあるジェイソン・コレットやファイストのギタリストとして活動するようになった。そして2008年にトロントの田舎の丸太小屋で自作曲を録音し、翌2009年にバハマスという名前でデビュー・アルバムの『Pink Strat』を発表した。その後2012年2月に『Barchords』、2014年8月に『Bahamas Is Afie』、2018年1月に『Earthtones』と、現在までにバハマスとして4枚のアルバムを発表している。
ライブ活動も活発に行い、ジャック・ジョンソンやウィルコ、ロバート・プラントなどのコンサートのオープニング・アクトも務めていて、ジャック・ジョンソンにはとても気に入られたのか、バハマスのアルバムはジャック・ジョンソンのレコード・レーベルのブラッシュファイアー(Brushfire)にディストリビュートされて販売されている。

ライブでバハマスの魅力にすっかり取り憑かれてしまったぼくは、後日アルバムを次々と手に入れて耳を傾けた。最新アルバムの『Earthtones』は、ベースにピノ・パラディノ、ドラムスにジェームス・ガドスンと超有名なセッション・ミュージシャンも参加し、女性コーラスもフィーチャーされて実にファンキーでソウルフルな音作りがなされている。それに比べると2008年のデビュー・アルバム『Pink Strat』は、素朴で内省的とも言える穏やかな音作りで、曲も古いフォーク・ソングのメロディや歌詞にインスパイアされているものがあったり、どこかロン・セクスミスの曲調を思わせるクールで抑制の効いた歌があったりと、アルバムごとにバハマスの世界は大きく揺れ動いている。

そしてぼくが見た渋谷O-nestのライブでは、古い曲から最新曲まで、どの曲もかなりファンキーでソウルフルなサウンドにアレンジし直され、アフィーの歌声も渋みと凄みが増している。そして艶やかな音色でギルドのアリストクラットを自在に弾きまくりながら、いちばん新しい2019年のバハマスの世界をたっぷり堪能させてくれた。

今回のバハマスの日本での公演はインディ・アジア(Indie Asis)の主催で、5月21日に大阪のコンパス(Conpass)、22日に渋谷のO-nestで、たった二回だけのライブを行い、アフィーとドンとマイクは、翌23日、韓国ソウルでのフェスティバルに参加するため日本を旅立っていった。
22日のステージでアフィーが言っていたのだが、韓国の人気バンド、BTS(防弾少年団)のメンバーがバハマスの曲をとても気に入っているとツィッターでつぶやき、それでバハマスは韓国でうんと注目されるようになったらしい。5月23日のバハマスが出演するソウルでのフェスティバルもかなり大きな規模のものだったのではないだろうか。
日本ではまだまだ知る人ぞ知る存在のバハマスだが、またすぐに、そして次はもう少し大きな規模で、日本に歌いにやって来てくれることを強く期待している。最新アルバムの『Earthtones』には、「Show Me Naomi」という曲も入っているが、アフィーの奥さんはナオミ・ヤスイさんという名前で、現在は二人の子供たちと一緒にノヴァ・スコシアで暮らしているということだ。名前からするとナオミさんは日本人、あるいは日系のカナダ人に間違いないようで、そうだとするとバハマズと日本の間には強力な繋がりがあるわけで、再来日の可能性もうんと高くなってくるのではないだろうか。
カナダとフィンランドとバハマと日本。全部ひとつに繋がっている。

中川五郎(なかがわ・ごろう)
1949年、大阪生まれ。60年代半ばからアメリカのフォーク・ソングの影響を受けて、曲を作ったり歌ったりし始め、68年に「受験生のブルース」や「主婦のブルース」を発表。
70年代に入ってからは音楽に関する文章や歌詞の対訳などが活動も始める。90年代に入ってからは小説の執筆やチャールズ・ブコウスキーの小説などさまざまな翻訳も行っている。
最新アルバムは2017年の『どうぞ裸になって下さい』(コスモス・レコード)。著書にエッセイ集『七十年目の風に吹かれ』(平凡社)、小説『渋谷公園通り』、『ロメオ塾』、訳書にブコウスキーの小説『詩人と女たち』、『くそったれ!少年時代』、ハニフ・クレイシの小説『ぼくは静かに揺れ動く』、『ボブ・ディラン全詩集』などがある。
1990年代の半ば頃から、活動の中心を歌うことに戻し、新しい曲を作りつつ、日本各地でライブを行なっている。

中川五郎HP
https://goronakagawa.com/index.html

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