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【アーカイブス#39】クリアウォーター・フェスティバル 2012 その2*2012年8月

 ニューヨークのグランド・セントラル・ステーションから北へ列車でおよそ一時間、ハドソン川沿いのクロトン・ポイント・パークで毎年6月に開かれるクリアウォーター・フェスティバル(正式名はClearwater’s Great Hudson River Revival Music & Environmental Festival)。そのフェスティバルに去年に続けて今年も6月16日と17日の二日間行って来た報告は、7月の連載で「今年も行って来ました! クリアウォーター・フェスティバル」というタイトルのもと詳しく書かせてもらった。
 フェスティバルでの演奏は、全部で大小7つあるステージで、同時進行で行なわれるので、見たいミュージシャンの出番が重なったりすると、両方見たくて途中までしか見られなかったり、途中からしか見られなかったりするのだが、短い時間しか見られなかったものも含めて、ぼくは今年のフェスティバルでは、全部で20組近いミュージシャンやグループ、あるいはセッションのステージを見ることができた。
 その中で強く印象に残っているのが、アーニー・ディフランコ(Ani Difranco)とメリッサ・フェリック(Melissa Ferrick)の二人の女性ミュージシャンのステージだ。もちろん二人とも超個性的な存在だが、ぼくからすると二人にはとても共通するところがあると思える。今回はその二人のステージのことを書かせてもらおう。

 アーニー・ディフランコはすでに何度も日本でライブを行なっていて、来るたびにぼくは足を運んでいるので、彼女のライブはもう3、4回は見ているはずだ。そして熱くひたむきでパワフルな彼女のステージにいつも必ず圧倒され、感動させられる。
 今年のクリアウォーター・フェスティバルでのアーニーの出番は、二日目17日のレインボー・ステージの最後で、メイン・ステージのトリだった。彼女の持ち時間は75分で、今年発表したばかりの最新アルバム『Which Side Are You On?』の曲を中心に、以前からのとても人気のある曲も含め、ほとんど一曲ごとにギターを持ち替えながら、たった一人で次々と歌って行った。
 アーニーはギターの名手としても有名で、右手の指にフィンガー・ピックを付け、それが外れないようにとその上からテーブをぐるぐる巻きにして、それでフィンガー・ピッキングをしたり、激しいリズムを刻んだりと、独自のスタイルで演奏をする。そしてその効果を最大限発揮するため、曲ごとにチュニングの異なる6弦ギターや4弦のテナー・ギターなどを取っ替え引っ替えするのだが、ステージの途中でアーニーは「今日は6台のギターを持って来たの」と話していた。
 もちろん車での移動、ギターを次々と準備してくれるローディーがいてこそ可能となるやり方だが、曲ごとにその曲に合ったギターで演奏するというのは、演奏する方も聞く方も存分に楽しめるので、うらやましいかぎりだ。ぼくとアーニーとを比較するなんて畏れ多いも甚だしいが、一般交通機関利用、ローディーなしでツアーをするぼくの場合は、やっぱりギターとギター・バンジョーの二台が精一杯だ。それだけでいつもひいひい言っている。
 そういえばジャクソン・ブラウンは、ソロのステージでは20台ぐらいギターを並べ、「どれで歌おうかな」と、歌う前にギター選びをしているし、ブルース・スプリングスティーンもソロの時は、同じタカミネのギターをステージの袖に何台も並べていた記憶がある。みんなすごい。でもぼくは二台まで。そもそも比べるのが間違っている。

 クリアウォーター・フェスティバルのアーニーのステージで、特に強烈だったのは、2004年のアルバム『educated guess』に収められていた「Grand Canyon」だ。「詩の朗読ができる野外フェスティバルって、クリアウォーター・フェスティバルしかないものね」と言って、彼女はギターを弾きながらこの詩の朗読を始めた。アメリカの歴史と現実、虐殺や差別、そしてフェミニズムなどについて、切れ味鋭く語られるアーニーの詩の言葉が、それまでからだを揺らせ、踊りながら演奏を楽しんでいた聴衆の一人一人の心の中に、深く入り込んで行っているのがよくわかった。確かにこんな朗読ができる野外フェスティバルは、ほかにはあまりないのかもしれない。
 アーニーのステージの最後の曲は「Which Side Are You On?」で、最新アルバムのタイトルとなっているこの曲は、ピート・シーガーの歌でよく知られていて、アーニーのレコーディングにもピートが参加している。「ここで一人紹介します」と言ってアーニーはこの曲を歌い始めようとしたので、前日16日のレインボー・ステージのトリのアーロ・ガスリーのステージにもピート・シーガーが飛び入り出演したから、この日もきっとピートが飛び入りすると、ぼくは思わず駆け出してステージの前まで行ってしまった。しかし呼ばれて出て来たのは、アーニーの前にレインボー・ステージで演奏したシンガー・ソングライターのマーティン・セクストンだった。ピートの姿を見られなかったのは残念だが、アーニーとマーティンは二人でとても力強く古くから歌い継がれているこの歌を歌い、客席のみんなも一緒に歌っていた。

 アーニー・ディフランコと比べると日本ではあまり知られていないかもしれないが、メリッサ・フェリックは1970年にマサチューセッツ州のケープ・コッド湾に面するイプスウィッチの街の生まれで、1980年代後半、まだ十代の頃にアコースティック・ギターを抱えてボストンの小さなクラブなどで自作曲を歌い始めている。活動歴はすでに25年にも及ぶ、ベテランのミュージシャンだ。
 メリッサはバークリー音楽院で本格的に音楽を学んでいたが、その存在が広く知られるようになったのは、1991年彼女が20歳の時に地元ボストンの大きな劇場でモリッシーがコンサートを行った時にオープニング・アクトに抜擢されたことがきっかけとなっている。最初は別のミュージシャンがオープニング・アクトを務めることになっていたのだが、突如キャンセルとなってメリッサに白羽の矢が立てられ、彼女のステージを見て強く心を動かされたモリッシーは、そのまま彼女を自分のアメリカ・ツアー、はたまたイギリス・ツアーへと連れて行き、メリッサ・フェリックは「モリッシーのお気に入り」として騒がれるようになったのだ。

 イギリスから戻ったメリッサのもとには、メジャーのアトランティック・レコードからレコーディングの話が舞い込み、彼女は1993年の夏に著名なプロデューサーや人気ミュージシャンたちをゲストに迎え、『Massive Blur』というアルバムでデビューを果した。その後95年春にメリッサはもう一枚アトランティックから『Willing To Wait』というセカンド・アルバムを発表したが、二枚のアルバム共に内容は絶賛されたもののセールス的には芳しい結果が出ず、「売れないミュージシャンはいつまでも抱えておけない」というメジャーの常として、彼女はあっさりとアトランティックからのレコーディング契約を打ち切られてしまった。

 しかしそんなことでめげたり、落ち込んだりするメリッサではない。熱心なファンにも支えられ、彼女はまずは完全自主制作でカセット・アルバムの『Made of Honor』を完成させ、その後幾つかのインディーズから数枚のアルバムを発表し、2000年には地元イプスウィッチでライト・オン・レコーズという自分のレコード・レーベルも立ち上げた。アトランティックのデビュー・アルバムから通算すると、2011年の最新作『Still Right Here』まで、DVDも含めると、メリッサがこれまでに発表した作品は全部で17枚にもなる。
 ライブ・アルバムも数多く発表されていることからもわかるように、メリッサの活動の中心はもちろんライブで、時には一人で、時にはバンドと共に、アメリカ国内だけでなく、国外にも足を伸ばし、一年の半分以上はどこかで歌い演奏するという精力的な活動を展開している。

 このメリッサ・フェリックのアルバムだが、これまでに一枚だけ日本盤が発売されたことがある。2002年の通算9枚目のアルバム『Listen Hard』で、プロモーターのスマッシュ系列のサウンド・サーカス・レーベルから発売され、解説と対訳はぼくが担当させてもらった。
 そのオビには「FUJI ROCK FESTIVAL ‘02出演決定」と書かれているが、直前になって来られなくなったという話を聞いたような気がする。もう10年前のことなので、記憶がちょっと曖昧なのだが、フジロック・フェスティバルの公式ウェブサイトで確かめてみると、2002年のフェスティバルの出演者リストの中に彼女の名前は入っていない。

 というわけで、ぼくにとってメリッサ・フェリックは1993年のアトランティックのデビュー・アルバムからずっと追いかけ続け、アルバムの解説や対訳も手がけさせてもらったことがある、とても関心のあるミュージシャンの一人だ。機会があればそのライブをぜひ見てみたいとずっと願って来たのだが、今年のクリアウォーター・フェスティバルで遂にその願いが叶ったのだ。
 クリアウォーター・フェスティバルでのメリッサのステージは、16日土曜日のスループ・ステージのトリで、6時から7時までの一時間。アコースティック・ギターを激しく弾き鳴らしながら、複雑な人間関係に傷つく心を繊細に歌い上げる歌から、不正や欺瞞に対して激しい怒りをぶつける歌まで、疾走感溢れるメリッサの演奏は、実に逞しくて潔く、まっすぐなその姿勢に爽快感のようなものも覚えてしまった。
 信念を曲げず、たった一人になっても、この人は自分の歌いたいことを自分の歌いたいようにしか歌わないだろうなという、覚悟の強さも伝わって来て、ぼくは今一度歌うことの意味を彼女の真摯なステージから教えてもらった。

 メリッサは自らがゲイであることを公言しているし、アーニーもゲイの人たちに圧倒的に支持されている。当然クリアウォーター・フェスティバルでも、どちらのステージも前の方には女性の聴衆が陣取り、とても楽しそうに、そして曲によっては真剣に彼女たちの歌に聞き入っていた。
 日本と違ってアメリカのフォーク・ソングの動きの中では、虐げられたり白い目で見られることも多かったゲイやレズビアンの人たちの歌が、大切に扱われ、しっかりと根付いている。クリアウォーター・フェスティバルに二年続けて参加して、ぼくはそのことも強く感じさせられた。

中川五郎(なかがわ・ごろう)
1949年、大阪生まれ。60年代半ばからアメリカのフォーク・ソングの影響を受けて、曲を作ったり歌ったりし始め、68年に「受験生のブルース」や「主婦のブルース」を発表。
70年代に入ってからは音楽に関する文章や歌詞の対訳などが活動も始める。90年代に入ってからは小説の執筆やチャールズ・ブコウスキーの小説などさまざまな翻訳も行っている。
最新アルバムは2017年の『どうぞ裸になって下さい』(コスモス・レコード)。著書にエッセイ集『七十年目の風に吹かれ』(平凡社)、小説『渋谷公園通り』、『ロメオ塾』、訳書にブコウスキーの小説『詩人と女たち』、『くそったれ!少年時代』、ハニフ・クレイシの小説『ぼくは静かに揺れ動く』、『ボブ・ディラン全詩集』などがある。
1990年代の半ば頃から、活動の中心を歌うことに戻し、新しい曲を作りつつ、日本各地でライブを行なっている。

中川五郎HP
https://goronakagawa.com/index.html

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