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【アーカイブス#22】新しい「街」を追い求めて。アビゲイル・ウォッシュバーン *2011年3月

 ここ最近毎日何度も繰り返して、この1月に出たアビゲイル・ウォッシュバーン(Abigail Washburn)の二作目のソロ・アルバム『City of Refuge』(Rounder 11661-3289-2)を聴いている。ほんとうに素晴らしい作品で、何度繰り返して聴いても飽きることはまったくなく、むしろどんどんその世界に引き込まれていってしまう。

 アビゲイル・ウォッシュバーンは、1979年11月10日、アメリカはイリノイ州、シカゴの近くのエヴァンストンという街で生まれていて、ワシントンD.C.やミネソタ、コロラドなどアメリカ国内を転々とし、しばらく中国でも暮らし、またアメリカに戻ってからはヴァーモントで三年間過ごし、それからテネシー州ナッシュヴィルへと移っている。まさに彼女のファースト・アルバムのタイトル『Song of the Traveling Daughter』どおり、旅する女性なのだ。

 アビゲイルはバンジョーをクロウハンマー奏法というスタイルで見事に弾きこなしながら、自作曲、あるいはフォーク・ソングやオールド・タイム・ミュージックなどのトラディショナルをアレンジして歌っている。ジャンルやスタイルにこだわる人たちから見れば、彼女はオールド・タイム・ミュージックやブルーグラスのミュージシャンということになるのだろう。
 そんなアビゲイルのバンジョーやオールド・タイム・ミュージックとの出会いだが、都会育ちの彼女ゆえ、恐らくは親がそうした音楽が好きで、その影響を受けて自分でもやるようになったのだろうとぼくは勝手に想像していた。しかし調べてみると、かなり変わったというか、彼女しかいないだろうというようなユニークな出会い方をしている。

 コロラドのカレッジに進んだアビゲイルは、そこで東アジア研究と標準中国語を専攻して卒業した最初の学生となった。彼女は子供の頃から中国への憧れが強くあり、17歳の時に初めてその国を訪れ、しばらく中国でも暮らし、カレッジでは中国の歴史や文化、言葉も学んで、2003年には北京大学に留学して中国で国際法を学ぶことになっていた。
 そこで何年間か中国暮らしをすることになるだろうから、何かアメリカらしいものを携えて行こう、自分がどこの出身なのか絶えず忘れないようにしようと、彼女はバンジョーを買ったのだ。もちろんそれ以前にもバンジョーやオールド・タイム・ミュージックに少しは興味があったのかもしれないが、何とも珍しいきっかけではないか。

 そしていつもバンジョーを持ち歩くうち、アビゲイルは幾つかのコードを覚えてその楽器が弾けるようになり、弾けると同時に曲も作れるようになっていた。レパートリーが3曲になった時、彼女は勇敢にもケンタッキーで開かれたブルーグラスのコンベンションに赴き、ホテルのロビーで演奏していたところ、演奏後にひとりの男性から声をかけられた。その人物はレコード会社の社長で、彼から直々デモ・テープを送ってほしいと頼まれたのだ。
 話はとんとん拍子に運び、アビゲイルは生まれて初めてレコーディング・スタジオに向かったが、その時も彼女の心はプロのミュージシャンになるべきか、それとも中国で法律の勉強をすべきか揺れ動いていた。そして悩みに悩み抜いた末、彼女はひとつの答を見つけ出す。その結論とは、「中国語でブルーグラスの曲を書けばいいじゃないか」というものだった。

 その解決策どおり、2005年の夏にネットワーク・アメリカからリリースされたアビゲイルのファースト・ソロ・アルバム『Song of The Traveling Daughter』には、彼女が中国語で歌うブルーグラスが2曲収められている。「迷途的羔羊/The Lost Lamb」と「游女吟/Song of The Traveling Daughter」の2曲だ。また中国のトラディショナルをバンジョーで演奏しているインストゥルメンタル・ナンバー「Backstep Cindy/Purple Bamboo」も収められていた。

『The Song of The Traveling Daugther』のレコーディングに前後して、アビゲイルは1999年に結成された女性ミュージシャンばかりのオールド・タイム・ミュージック・バンド、アンクル・アール(Uncle Earl)の中心人物、KC グローヴス(KC Groves)とテネシーで出会う。アビゲイルはそのバンドに加わり、五年間活動を共にし、2005年の『She Waits for Night』に2007年の『Waterloo, Tennessee』(こちらはレッド・ツェッペリンのジョン・ポール・ジョーンズがプロデュース)と、アンクル・アールの二枚のアルバムにも参加している。

 実はぼくはその頃からというか、アビゲイルがデビューした頃から、彼女の音楽を聴いていたわけではない。ぼくがアビゲイルに注目するようになったのは、この連載の第一回で紹介したベン・ソリー(Ben Sollee)の2008年のファースト・ソロ・アルバム『Learning to Bend』に参加して、3曲でハーモニー・ヴォーカルをつけていた彼女の歌に強く心を惹かれたからだ。
 アビゲイル・ウォッシュバーンの名前は前から知っていたが、その歌に感動して改めて彼女のことを検索し、ソロ・アルバムを発表していることを知り、それで早速『Song of Traveling Daughter』を手に入れ、素晴らしい歌手だけでなく、見事なバンジョー・プレイヤーにして優れたソングライター、そして中国語でブルーグラスを歌う稀有な人物だということに気づかされた。
 リリースからかなり遅れて手に入れた『Song of The Traveling Daughter』も、手に入れた当時はそれこそ毎日のように何度も繰り返し耳を傾けていた。

 アビゲイルの歌とバンジョーを中心に、ギターのジョーダン・マッコネル、チェロのベン・ソリー、フィドルのケイシー・ドリーセン、アップライト・ベースのアマンダ・コワルスキ、パーカッションのライアン・ホイル、アコーディオンのティム・ラウアー、バンジョーのベラ・フレックなどが参加して作られた『Song of The Traveling Daughter』は、ぼくはジャンル分けが嫌いなのだが、敢えて言うなら「オールド・タイム・ミュージック」の範疇に収まるような作品だった。
 とはいえ既成の枠組みの中におとなしく収まっているわけではなく、メロディや楽器編成など、昔から伝わるものを尊重しつつも、そこに新しい感覚や手法を取り込んで作られた斬新で意欲的な「オールド・タイム・ミュージック」のアルバムだった。だからこそぼくは毎日そのアルバムに夢中になってしまったのだ。

 レコーディング・セッションから生まれたのは『Song of Traveling Daughter』というアルバムだけではなかった。レコーディングに参加した四人のメンバー、アビゲイル、ペン、ベラ、ケイシーの四人で、スパロウ・カルテット(The Sparrow Quartet)が結成され、彼らは中国やチベットに演奏旅行に出かけ、2008年には『Abigail Washburn & The Sparrow Quartet』というアルバムも発表している。

 ここでようやくぼくが最近毎日繰り返し聴いているアビゲイル・ウォッシュバーンの二枚目のソロ・アルバム『City of Refuge』のことになるのだが、聴く前は彼女のバンジョーやアコースティック楽器を中心にして作られた、前作『Song of Traveling Daughter』の延長線上にあるものだろうと予想していた。ところが届けられた作品はぼくのそんな予想を大きく裏切るものだった。
 それもとんでもなく嬉しい裏切りで、アビゲイルは『City of Refuge』で、オールド・タイム・ミュージックやブルーグラスを自らの音楽のルーツとしながらも、その枠内から大胆にしなやかに、どこまでも飛び出して行き、インディーズ・ロックやポップの感覚にも溢れた(カテゴライズが嫌いだと言っている割にはこうした言葉を簡単に使っていますね…)、何とも独創的で刺激的な音楽を作り出している。
 そしてこの嬉しすぎる裏切りにぼくは激しく心を躍らせながら、聴き返すほどに新たな発見があったり、それまで気づかなかった風景や表情が見えて来たりして、『City of Refuge』をエンドレスで聴き返さずにはいられない状態になってしまっているのだ。

『City of Refuge』は、ザ・ディセンバリスツやスフィアン・スティーヴンス、マイ・モーニング・ジャケットやマッドハニーなどのアルバムを手がけたタッカー・マリンがプロデュースを担当してドラムスも叩き、レコーディングに参加しているミュージシャンも、アンクル・アールのフィドラーのレイナ・ゲラートを除けば、いわゆるオールド・タイム・ミュージックのジャンルの人物は一人もいない。
 主な参加ミュージシャンは、ザ・ディセンバリスツのクリス・ファンク(ギターやダルシマー)、マイ・モーニング・ジャケットのカール・ブローメル(ギターやペダル・スティール)、ナッシュヴィルのベテラン・セッションマン、ケニー・マローン(ドラムス)といった顔ぶれで、ザ・タートル・アイランド・カルテットのジェレミー・キッテルやギタリストのビル・フリーゼルも参加している。それにチューバやトロンボーン、「Guzheng」と呼ばれる中国のチター、モンゴルのホーミーの歌い手なども登場している。

 このアビゲイルの新しいアルバムに参加し、彼女の新しい世界を作り出す上で最も重要な役割を果たしていると言えるのが、ナッシュヴィルのシンガー・ソングライターでマルチ・インストゥルメンタリストのカイ・ウェルチ(Kai Welch)だろう。ナッシュヴィルで初めてカイのステージを見た彼女は、ステージ狭しと走り回り、ピアノにトランペット、アコーディオンにギターとさまざまな楽器を持ち替えて演奏をするその姿に感銘を受け、彼と一緒にレコーディングできたらと強く思ったそうだ。
 その願いが叶い、カイはレコーディングでさまざまなキーボードやギター、トランペットを披露し、それだけでなく新しいアルバムの11曲のうちの5曲をアビゲイルと共作し、自作曲1曲も提供し、多くの曲で彼女とデュエット・ヴォーカルをしている。まさに彼こそが今回のアビゲイルの世界を一回りも二回りも大きなものにした立役者だと言える。

 ちなみにデビュー・アルバムの共同プロデューサーにしてスパロウ・カルテットの仲間、そしてアビゲイルの夫となったバンジョー奏者のベラ・フレックは今回のレコーディングには参加していない。しかし歌詞カードのクレジットをよく読んでみると、「かけがえのない人(ワン・アンド・オンリー)、あなたゆえにすべてが広がる」とアビゲイルからベラへの
感謝の言葉が捧げられている。

 アビゲイルの新しいアルバム『City of Refuge』では、既成の概念にあてはまらない、そしてまったく手垢のついていない、どこまでも個性的で創造的で勇敢な音楽が展開されている。とにかく一人でも多くの人に聴いてほしいとぼくは願うばかりだ。
 そしてぼくは何度も聞き返すうち、アルバム・タイトルの『City of Refuge』が、まさに彼女の新しい音楽を、彼女の姿勢を、彼女の世界を、見事に言い表わしていることに気づかされた。
 Refugeとは、避難、隠れ家、避難する、隠れるという意味で、さしずめCity of Refugeは、避難の街、避難できる街、逃げ込める街、頼れる街ということになるのだろう。避難という日本語はちょっとネガティブな意味が強いが、ぼくはアルバムを聴いて、アビゲイルの言うRefugeとは、自分が今いる場所に飽き足らず、ずっととどまり続けることを潔しとせず、もっと自分にぴったりの場所を何とかして探し求めようとする、とてもポジティブな行動のことではないかと思ったのだ。

 もちろんそれは実際の生活のことでもあるだろうし、例えば音楽などの創造や表現に関しても言えることだと思う。そしてアルバムに収められている多くの曲は、自分にぴったりの場所を求め、失敗を恐れることなく、旅を続けようとする人の、とても前向きなパワーに満ち溢れている。
 アビゲイル・ウォッシュバーンの新しいアルバム『City of Refuge』には夢が叶うことがなかった切ない歌も収められている。しかしぼくがそれこそ「中毒」のようにこのアルバムを聴き返さずにいられなくなるのは、作品全体に漲る前向きな姿勢、ポジティブなパワーゆえだと思う。彼女の「歌の力」がまっすぐ伝わってくる、ほんとうに素晴らしい作品だ。

中川五郎(なかがわ・ごろう)
1949年、大阪生まれ。60年代半ばからアメリカのフォーク・ソングの影響を受けて、曲を作ったり歌ったりし始め、68年に「受験生のブルース」や「主婦のブルース」を発表。
70年代に入ってからは音楽に関する文章や歌詞の対訳などが活動も始める。90年代に入ってからは小説の執筆やチャールズ・ブコウスキーの小説などさまざまな翻訳も行っている。
最新アルバムは2017年の『どうぞ裸になって下さい』(コスモス・レコード)。著書にエッセイ集『七十年目の風に吹かれ』(平凡社)、小説『渋谷公園通り』、『ロメオ塾』、訳書にブコウスキーの小説『詩人と女たち』、『くそったれ!少年時代』、ハニフ・クレイシの小説『ぼくは静かに揺れ動く』、『ボブ・ディラン全詩集』などがある。
1990年代の半ば頃から、活動の中心を歌うことに戻し、新しい曲を作りつつ、日本各地でライブを行なっている。

中川五郎HP
https://goronakagawa.com/index.html

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