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【アーカイブス#48】ミルク・カートン・キッズ *2013年5月

 先月のこの連載では、ぼくよりも8歳半年下、1957年12月生まれのビリー・ブラッグの生き方や歌にいろんなことを教えられ、ぼくよりも後に生まれていても、ぼくにとっては大事な先生だということを書いた。今月もぼくよりも年下、それもビリーよりもうんと若い世代ながら、ほんとうにいろんなことを教えてくれ、大きな刺激も与えてくれる若き先生ミュージシャンのことを書いてみようと思う。

 今回紹介するのは、いずれも30歳になったばかりの二人のシンガー・ソングライター・ギタリスト、ケネス・パッテンゲール(Kenneth Pattengale)とジョーイ・ライアン(Joey Ryan)のデュオ、ザ・ミルク・カートン・キッズ(The Milk Carton Kids)だ。ぼくよりも33歳ほど若く、ぼくにとってはまさに子供たちの世代だが、彼らの音楽は瑞々しくて新鮮なだけではなく、これまでのアメリカのトラディショナル・ミュージックやポップ・ミュージックの歴史も見事に吸収し消化していて、斬新であると同時にオーセンティックで、新たな音楽の魔法に心躍らされてしまう。

 ケネスとジョーイはカリフォルニア州はロサンジェルスの北東部にあるイーグル・ロックの街の出身で、二人ともソロ・ミュージャンとして恐らくは十代の頃からさまざまな場所で演奏活動をしていたが、ずっとやり続けていてもなかなか認めらることはなく、このままプロの道を目指し続けるべきかどうか厳しい局面に立たされていた。
 そんな時、地元イーグル・ロックでのケネスのソロ・ライブにジョーイが参加することになり、そこで意気投合した二人はデュオとして活動を開始するようになった。そして二人でライブを行うようになり、そのうちのひとつ、2011年の1月22日と23日の二日間、ヴェンチュラのゾーイズ(Zoey’s)というお店でのライブをレコーディングし、『Retrospect』というタイトルのもと自分たちのレーベルであるミルク・カートン・レコードから発売した。
 2011年3月のことで、二人がデュオを結成したのは2011年の初めと資料にあるので、恐らくアルバムになったライブはデュオとして活動開始をして間もない頃のものだ。アルバムのアーティスト名はまだザ・ミルク・カートン・キッズではなく、ケネス・パッテンゲール&ジョーイ・ライアンと二人の連名となっている。そして収められている14曲は半分の7曲がケネスの作品、あるいはケネスがほかの誰かと共作した作品、そして残り半分の7曲がジョーイの作品、あるいはジョーイがほかの誰かと共作した作品となっているので、それぞれのソロ時代の作品が二人で一緒に演奏されているのだろう。だからこそ二人にとっては最初のアルバムなのに、回顧や回想を意味する『Retrospect』というタイトルが付けられていて、自分たちのソロ時代をそれぞれ回顧しつつそこに別れを告げ、二人で一緒に新たに始めようとする決意がこのタイトルには込められているに違いない。

『Retrospect』を発表した後、ケネス・パッテンデールとジョーイ・ライアンは新鋭アーティストが注目を浴びる場として有名なテキサス州オースティンで毎年3月に開かれる音楽や映画などのフェスティバルにしてカンファレンスのSXSW(サウスバイサウスウェスト)に出演し、その後シンガー・ソングライターのジョー・パーディ(Joe Pardy)のオープニング・アクト兼バック・バンドとしてアメリカをツアーして回った。
 そして同じ年2011年の7月に二人は二枚目のアルバム『Prologue』をミルク・カートン・レコードから発表した。2011年5月31日から6月3日にかけてノース・ハリウッドにあるマーレイ・スタジオでライブ録音されたアルバムで、このアルバムから彼らはザ・ミルク・カートン・キッズという名前を名乗るようになった。
 収められた9曲すべての作詞作曲のクレジットがザ・ミルク・カートン・キッズとなっている。『Retrospect』でそれぞれのソロ活動を「回顧」した後、『Prologue』でいよいよザ・ミルク・カートン・キッズとしての「除幕」を行なったというわけだ。

 ちなみにミルク・カートン・キッドの意味だが、アメリカでは失踪したり行方不明になったりした子供たちの写真が、発見される手がかりになるようにと、牛乳のカートン容器に印刷されることがあり、そのような子供たちのことがミルク・カートン・キッドと呼ばれている。『Prologue』には「Milk Carton Kid」という曲も収められているが、それはそうした行方不明の子供たちのことが直接歌われたものではなく、「以前のような苦しみにもう襲われることはない/苦痛はある日牛乳のカートン容器に写真が載った子供のように突然消え去ってしまった」と、壊れてしまった男女の関係を何とか乗り越えよえようとする、ブロークン・ハート・ソングだ。果たしてザ・ミルク・カートン・キッズというバンド名はこの曲から採られたのだろうか? それとも先にザ・ミルク・カートン・キッズというデュオ名があって、それからこの曲が書かれたのだろうか?

『Prologue』を完成させ、発表した後、ザ・ミルク・カートン・キッズは今度は自分たちがメインとなってアメリカ中を歌って回り、アルバムの中の「There By Your Side」という曲がナショナル・パブリック・ラジオ(NPR)の「ソング・オブ・ザ・デイ」(今日の一曲)に選ばれたり、人気シンガー・ソングライター・ピアニストのサラ・バレリス(Sara Bareilles)が彼らのことを絶賛したりして、広くその存在が知られるようになっていった。またザ・ミルク・カートン・キッズは自分たちの二枚のアルバムの音源をホームページから無料でダウンロードできるようにしていて、その太っ腹ぶりも大きな話題となった。2011年の暮までに二枚のアルバムのダウンロード回数は六万回以上にもなった。

 ケネスとジョーイの二人が、それぞれ年代物のアコースティック・ギターを(ケネスは1954年製のマーティンO-15、ジョーイは1951年製のギブソンJ-45)、華麗に、はたまた情趣豊かに弾きまくりながら、美しいハーモニー・ヴォーカルを聞かせるザ・ミルク・カートン・キッズの音楽は、ちょっと安易すぎるし、あまりにも通り一遍の言い方のように思わないでもないが、アメリカのウィキペディアに引用されているNPRの説明がうまく言い当てているように思う。曰く、「ゴージャス・コンテンポラリー・フォークと呼びたくなるような音楽へのアプローチで、ギリアン・ウェルチ&デイヴ・ローリングスの音楽がサイモン&ガーファンクルの音楽と出会い、そこにエバリー・ブラザーズをひとふりしたかのよう…」

 そして今年2013年3月、ザ・ミルク・カートン・キッズは自分たちのレーベルのミルク・カートン・レコードではなく、エピタフ傘下のANTIレーベルから三枚目のアルバム『The Ash & Clay』をリリースした。プロデュースは自分たち二人で行ない、ザ・ミルク・カートン・キッズとして共作した11曲の新曲とケネスがローレン・ウェルズと共作した1曲の全12曲が2012年9月の四日間、カルバー・シティのスタジオでライブ録音されている。
『The Ash & Clay』のブックレットには、前作『Prologue』のブックレットと同じようにシンガー・ソングライターとしてだけでなく名プロデューサーとしても大活躍しているジョー・ヘンリーが、聞いているうちに二人の声はひとつに溶け合い、さまざまな体験をくぐり抜け、さまざまな思いを味わったただ一人の人物となって、聞き手の心に強く迫ってくると、ザ・ミルク・カートン・キッズの音楽について素晴らしい文章を寄せている。

 ザ・ミルク・カートン・キッズの最初の二枚のアルバムは、今も彼らのホームページから無料でダウンロードができる。そしてインターネットで検索すれば、彼らの素晴らしい演奏の映像がYouTubeなどに数多くアップされている。
 新しいのに妙に懐かしく、懐かしいのにこれまで見たことのない眩しい未来を感じさせてくれる音楽。ザ・ミルク・カートン・キッズ、今のぼくのいちばんのお薦めだ。

中川五郎(なかがわ・ごろう)
1949年、大阪生まれ。60年代半ばからアメリカのフォーク・ソングの影響を受けて、曲を作ったり歌ったりし始め、68年に「受験生のブルース」や「主婦のブルース」を発表。
70年代に入ってからは音楽に関する文章や歌詞の対訳などが活動も始める。90年代に入ってからは小説の執筆やチャールズ・ブコウスキーの小説などさまざまな翻訳も行っている。
最新アルバムは2017年の『どうぞ裸になって下さい』(コスモス・レコード)。著書にエッセイ集『七十年目の風に吹かれ』(平凡社)、小説『渋谷公園通り』、『ロメオ塾』、訳書にブコウスキーの小説『詩人と女たち』、『くそったれ!少年時代』、ハニフ・クレイシの小説『ぼくは静かに揺れ動く』、『ボブ・ディラン全詩集』などがある。
1990年代の半ば頃から、活動の中心を歌うことに戻し、新しい曲を作りつつ、日本各地でライブを行なっている。

中川五郎HP
https://goronakagawa.com/index.html

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