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【アーカイブス#79】ジェイムズ・ヨークストン*2016年8月

ジェイムズ・ヨークストン・アンド・ジ・アスリーツ(James Yorkston and The Athletes)のデビュー・アルバム『Moving Up Country』がロンドンのドミノ・レコードから発表されたのは2002年のことで、何とそのアルバムはその年の12月にP-VINEレコードから日本盤が発売された。光栄なことにぼくはその日本盤の解説を書く機会に恵まれ、その文章を当時のイギリスのさまざまなプレスに登場した絶賛の言葉の引用で書き始めている。
「タイムレスであると同時に完璧なまでに同時代的」(The Observer)、「グラスに吹きかけた息の曇りのような愛と恍惚」(Mojo)、「時々、どこからともなく現れて、その素晴らしさに驚喜してしまうようなレコードがある」(NME)、「時代と流行を超えた美しさと力強さがある」(Muzik)などなど。そして解説の文章の最後は、「この傑作デビュー・アルバムの登場と共に、ジェイムズ・ヨークストン&ジ・アスリーツの人気と評判はますます高まっていくことだろうが、だからといってジェイムズのこれからの活動が守りに入るようなことは決してないように思える」、「『タイムレスであると同時に同時代的』なジェイムズ・ヨークストンの音楽は、まさに『時代と流行を超え』て、世界中に広がっていくことだろう」と締めくくっている。

日本盤の解説でぼくが書いたとおり、ジェイムズ・ヨークストンはそれから現在までの14年間、人気と評判を着実に高めつつ、決して守りに入ることもなく、その音楽を世界中に向けて発信し続けている。しかし「オーセンティックでありながら極めて今日的なアコースティック・ミュージックの形を鮮やかに示す、例えようもなく美しいアルバムが誕生した」というキャッチ・コピーがオビに書かれて発売されたジェイムズのデビュー・アルバムは残念なことに日本ではほとんど話題になることはなかった。その後コンスタントに発表され続けている何枚ものジェイムズのアルバムも、日本でちゃんと紹介されることはもうなかった。デビュー・アルバムでジェイムズの存在を知り、彼の音楽の虜となって、その後も彼を追いかけ続けた人間は、ぼくも含めてかなり少数しかいなかったのかもしれない。しかしその後もジェイムズの音楽を追いかけ続けている人たちは、彼の音楽がスコットランドのフォーク・ソングという小さな枠の中には決してとどまることのない、実に豊かで大きくて、鋭くて変化に富み、決して守りに入ることのない、ポジティブで攻撃的なものだということを、すなわちまさに「タイムレスであると同時に同時代的」なものであるということを十二分に理解し、その面白さ、痛快さに心を躍らせ続けていることだろう。そしてこんなにもユニークで面白いシンガー・ソングライターはそうそういるものではないと、彼のことをもっとみんなに知ってもらいたいと願う一方、あまりにも素晴らしすぎて自分だけの秘密の宝物にもしておきたいと、複雑な思いにもとらえられているに違いない。

さて、今から14年前にデビュー・アルバムが日本盤で発売されたジェイムズ・ヨークストンとはどういう人物なのか? その日本盤の解説にぼくが書いた彼を紹介する文章をここに再録してみることにしよう。
「ジェイムズ・ヨークストンはスコットランド東部の旧州、ファイフにある小さな村、キングスバーンズで生まれた。幼い頃から音楽に興味を抱いていたようで、8歳の時には早くも村の友だちと一緒に歌を歌ったり演奏をしたりしている。『自分の娯楽は自分で作れ、っていうような土地柄で、それはそれでよかったんだけど、物足りないところもあった』と、ジェイムズは語っている。15歳の頃になると、彼は当たり前のものとして与えられた情報の外にある音楽への関心を強めていった。テレビやラジオを通して一方的に流されるはやりのポップスや商業音楽だけでは、自分は決して満たされることがないということに、聡明で感覚も鋭いジェイムズはすぐにも気がついたのだ。そして彼はブリティッシュ・トラッドのアン・ブリッグスやワールド・ミュージックのブンドゥー・ボーイズなどに耳を傾けるようになっていった。そして17歳の時には、ガールフレンドを追いかけてエジンバラへと移り住み、このスコットランドの首都で新しい生活を始める中、より幅広い音楽を吸収しながら、自分の思いを託した歌を次々と書き綴っていった」
ウィキペディアによると、ジェイムズは1971年12月21日生まれとなっているので、彼がエジンバラへ出て行ったのは1988年のことだ。ちなみにウィキペディアの本文では彼はファイフ出身、プロフィール欄ではイングランドのストラットフォード・アポン・エイヴォン生まれとなっている。

エジンバラでジェイムズはミラクルヘッドやそれが発展したハックルベリーといったガレージ・パンク・バンドでベーシストを務め、同時にシンガー・ソングライターとしてアコースティック・ギターでの弾き語りもやったりしていたが、やがてハックルベリーは解散となり、「耳が聞こえなくなるところだった」と、彼はアコースティック・ギターでの曲作りに専念するようになった。
やがて「この曲がすべての始まりだった」とジェイムズがいう「Moving Up Country, Roaring The Gospel」が誕生し、イギリスの著名なDJ、ジョン・ピールにその曲の音源を送ってみたところ、気に入った彼がラジオでかけ、それがインディーズ・レーベルからのシングルでのリリースへとつながった。やがてジェイムズはイギリスの大物シンガー・ソングライター・ギタリストのジョン・マーティンの2001年の全英及びアイルランドのツアーのオープニング・アクトにも抜擢された。そのツアーでのジェイムズのステージを見て強く心を動かされたのがロンドンのレーベル、ドミノのローレンス・ベルで、彼はすぐにもレコーディング契約の話を持ちかけた。
「ジョン・マーティンとのツアーを終えたジェイムズは、自分のバンドのメンバー集めに取りかかった。『まるで異なるバックグラウンドを持った友だち同士がバンドになったような感じなんだ』と、ここでも彼の柔軟でジャンルにこだわることのない音楽指向が反映されている。ルーベン・テイラーはクラシック出身のピアニスト、ファイサル・ラーマンはもとジャズ・ドラマー、ドゥーギー・ポールは打ち込み系の音にのめり込んでいるベーシスト、ヴァイオリンのウェンディ・チャンもクラシック畑、パイプやウィッスル、マンドリンを演奏するホリー・テイラーがトラディショナル・ミュージックのエキスパートといった具合だ」
かくしてジ・アスリーツのラインナップが整い、ジェイムズたちは2002年のデビュー・アルバム『Moving Up Country』のレコーディングへと突入していった。
日本盤が発売された(しつこい!!)2002年の『Moving Up Country』以降、現在までにジェイムズ・ヨークストンは9枚のアルバムを発表し、そのほかにもさまざまなシングルやレコード盤だけでのリリース、数枚のコンピレーション・アルバムへの参加、それに2013年にはアイルランドのシンガー・ソングライターのエイドリアン・クロウリーと組んでダニエル・ジョンストンの曲だけをカバーした『My York Is Heavy』というアルバムもケミカル・アンダーグラウンドから発表している。

『Moving Up Country』以降、ジェイムズ・ヨークストン・アンド・ジ・アスリーツの名前で発表されたのは、2004年のセカンド・アルバム『Just Beyond The River』だけで、その後はジェイムズ・ヨークストンのソロ・アルバムとなっているが、2006年の『The Year Of The Leopard』も2007年の未発表曲を集めた『Roaring The Gospel』も2008年の『When The Harr Rolls In』も、ルーベン・テイラーやファイサル・ラーマン、ドゥーギー・ポールなど、ジ・アスリーツのメンバーがレコーディングに参加している。
またジェイムズの幅広く柔軟な音楽指向を証明するかのように、彼はアルバムごとにザ・コクトー・ツインズのサイモン・レイモンド、フォー・テットのキーラン・ヘブデン、ポーティスヘッドのベス・ギボンズと一緒に仕事をしたラスティ・マンなど、異なるジャンル、異なるバックグラウンド、異なる感性のプロデューサーと組んでアルバム作りをしている。

2009年に発表された6作目のアルバム『Folk Song』は、そのタイトルどおりザ・ビッグ・アイズ・ファミリー・プレイヤーズ(メンバーはジェイムズ・グリーン、ナンシー・エリザベス、ポール・フレッチャー、エリー・ボンド、ルーク・ダニエルズ、ピップ・ディラン、デヴィッド・レンチ)と共にイギリスのフォーク・ソングを取り上げて、大胆な編曲を施して歌い、演奏しているもので、それに続く2012年の『I Was a Cat from a Book』ではザ・ビッグ・アイズ・ファミリー・プレイヤーズのデヴィッド・レンチが共同プロデューサーに加わり、2014年の『The Cellardyke Recording and Wassailing Society』は、シンセ・ポップ・バンド、ホット・チップのアレクシス・テイラーがプロデューサーとミュージシャンで加わり、シンガー・ソングライターとして活躍するKT・タンストールもヴォーカルでほぼ全曲に参加している。
そして今年2016年に発表された最新アルバムの『Everything Sacred』は、ジェイムズ・ヨークストン、ジョン・ソーン(Jon Thorne)、スハイル・ユスフ・カーン(Suhail Yusuf Khan)のトリオ名義の作品。ジョンはジャズ系のダブル・ベーシスト、スハイルはニューデリーで8世代続くインドの弦楽器サーランギの演奏者で、ギターやニッケルハルパ、ハーモニウム、ヴォーカル担当のジェイムズと三人で、曲によってはリサ・オニールがピアノやヴォーカルで加わり、ジェイムズやジョンやスハイルの曲、あるいは共作曲、はたまたスコットランドの詩人でシンガー・ソングライターでユーモリストのアイヴァー・カトラーやイングランドのフォーク・シンガーのラル・ウォーターソンの曲をカバーしている。『Everything Sacred』は、あらゆる音楽の枠をしなやかに飛び越えたこれまででいちばん自由で大胆かつ創造的な内容のアルバムで、「タイムレスであると同時に同時代的」なジェイムズ・ヨークストンの魅力と醍醐味、まさにここに極まれりと、熱い感動と激しい興奮に襲われてしまう。

2002年のデビュー・アルバム『Moving Up Country』以降、日本ではほとんど話題に上ることもないスコットランドのジェイムズ・ヨークストンだが、いつの時代も、どのアルバムも、形にとらわれず、守りの姿勢とは無縁て、絶えず何か新しいことを、何か面白いことをしようとしていて、聞く者にとんでもなく大きな刺激を与えてくれる。
ということは、いつの時代でも、どこから聞いてもいいということだ。ジェイムズ・ヨークストンのすぐに手に入りそうなアルバムがあったり、面白そうだと思えるアルバムがあったりしたら、まずはそこから聞いてみてほしい。いつの時代でも、どこを聞いても、そこではいつでも新鮮で独創的で刺激的な音楽が奏でられていること間違いなしだから。
またジェイムズ・ヨークストンは今年『Three Craws』という小説を発表し、小説家としてもデビューしている(以前にも『It’s Lovery To Be Here』というツアー日記が出版されている)。そしてジェイムスのホーム・ページのバイオグラフィーのページをチェックしてみると、そこにはほとんど何も書かれていなくて、彼のお気に入りの10枚のアルバムのリストが載っているだけだ。しかしこれが彼の幅広く、奥深い音楽性を知る上でとても興味深い。最後にその10枚を書き写しておこう。

Linton Kwesi Johnson/Tings an’ Times
Michael Hurley /Sweetkorn
Jacques Brel /Brel
Leo Ferre /Le Temps De Roses Rouges
Anne Briggs /Classic
D’Gary /Mbo Loza
Can /Tago Mago
Lal Waterson & Oliver Knight /Once In A Blue Moon
Nic Jones /Penguin Eggs
John Strachan /Songs From Aberdeenshire

中川五郎(なかがわ・ごろう)
1949年、大阪生まれ。60年代半ばからアメリカのフォーク・ソングの影響を受けて、曲を作ったり歌ったりし始め、68年に「受験生のブルース」や「主婦のブルース」を発表。
70年代に入ってからは音楽に関する文章や歌詞の対訳などが活動も始める。90年代に入ってからは小説の執筆やチャールズ・ブコウスキーの小説などさまざまな翻訳も行っている。
最新アルバムは2017年の『どうぞ裸になって下さい』(コスモス・レコード)。著書にエッセイ集『七十年目の風に吹かれ』(平凡社)、小説『渋谷公園通り』、『ロメオ塾』、訳書にブコウスキーの小説『詩人と女たち』、『くそったれ!少年時代』、ハニフ・クレイシの小説『ぼくは静かに揺れ動く』、『ボブ・ディラン全詩集』などがある。
1990年代の半ば頃から、活動の中心を歌うことに戻し、新しい曲を作りつつ、日本各地でライブを行なっている。

中川五郎HP
https://goronakagawa.com/index.html

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