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【アーカイブス#51】ガイ・クラーク*2013年6月

 前回のこの連載では1970年代の中頃にぼくがよく聞いていたカントリー系シンガー・ソングライター、ミッキー・ニューベリーのことを書いたが、今回も同じ頃に存在を知ってたちまちのうちにその歌の虜となってしまったもう一人のカントリー系シンガー・ソングライター、ガイ・クラーク(Guy Clark)のことについて書いてみたい。
 ぼくのように1970年代のシンガー・ソングライター・ブームの波をまともにかぶった世代の人間にとっては、ガイ・クラークはよく知られた存在だが、今の若い音楽ファン、あるいは自分で歌を作って歌っている若い人たちの間で、70歳を過ぎた今も素敵な歌を書き、元気に活躍している彼のことを知っている人はあまりいないのではないだろうか。世代が違うからと言ってしまえばそれまでだが、このいぶし銀の魅力に満ちたシンガー・ソングライターにしてグランド・ティーチャーの存在を知らないままでいるのはあまりにももったいない。聞けば絶対に刺激を受けるし、多くのことが学べるはずだ。
 しかもこの7月の終りに発売されたばかりのガイの最新アルバム『My Favorite Picture of You』(Dualtone)がほんとうに素晴らしい作品で、ここのところぼくはそのアルバムばかり繰り返し聴き続けている。この夏の二週間以上に及んだ自分の歌のツアーでも、彼の歌がいちばんの旅の友となった。そんなわけで、老婆心ならぬ老爺心ということはよく承知しているが、今回は若い世代の人たちにもぜひ知ってもらいたいと、ガイ・クラークを取り上げることにした。

 ぼくがガイ・クラークの存在を知ったのは、一足先に人気者になったやはり1970年代のカントリー系シンガー・ソングライター、ジェリー・ジェフ・ウォーカーによってだった。名曲「Mr.Bojangles」の作者として知られる彼が1970年代前半に発表した自分のアルバムで、「L.A. Freeway」、「That Old Time Feeling」、「Desperados Waiting For A Train」といったガイ・クラークの曲を相次いで取り上げて歌い、それがまたどれも激しく心を揺さぶるすごい曲ばかりだったので、このガイ・クラークという人物はいったい何者なのかと気になってしかたなくなってしまった。もちろんぼくのまわりでも、彼のことはたちまちのうちに話題の的となった。
 アメリカからの情報がすぐに伝わることのなかった時代だったので、ガイ・クラークはジェリー・ジェフ・ウォーカーのテキサスやナッシュヴィルでの歌い手仲間みたいだ、いやギター職人でギターを作りながら歌も作っているらしいなど、さまざまな噂が飛び交っていたが、1975年にRCAからガイのデビュー・アルバム『Old No.1』がリリースされ、そこで彼がただのソングライターやギター作りの名手だけではなく、実に味わい深い歌を聞かせる魅力的なシンガーでもあることがわかったのだ。しかもジェリー・ジェフ・ウォーカーが1942年3月生まれで、ガイ・クラークが1941年11月生まれと、ガイの方が歳上だったことも明らかになった(日本流に言えば学年は同じだけどね)。
 作者本人が歌う「L.A. Freeway」や「That Old Time Feeling」、「Desperados Waiting For A Train」が入ったガイ・クラークのデビュー・アルバム『Old No.1』のジャケットは、ガイの奥さんで曲作りのパートナーでもあるスザンナ・クラークが描いたシャツの絵の前に立つガイのポートレート写真で、ジェリー・ジェフ・ウォーカーがライナー・ノーツを寄せていた。

 ガイ・クラークはテキサス州北東部のモナハンズという人口7000人にも満たない小さな町の出身だが、やがてはナッシュヴィルが生活の拠点となり、多くの歌い手たちにその曲を取り上げられるようになってからは、まさにそのミュージック・シティの主のような存在となり、彼の家は多くのシンガーやミュージシャンのとても居心地のいい溜まり場となっていた。自分の歌を作る上で最も影響を受けたとガイが言うタウンズ・ヴァン・ザント、そしてガイを世に出すきっかけとなったジェリー・ジェフ・ウォーカー、逆にガイのことを師と仰ぐステーィヴ・アールやロドニー・クロウェルなど、ガイの家に行くといつもそこには誰かとんでもない客人がいた。
 ガイ・クラークの歌は、ジェリー・ジェフ・ウォーカーのほかにも、ジョニー・キャッシュ、デヴィッド・アラン・コー、ヴィンス・ギル、リッキー・スキャッグス、ジョン・デンヴァー、ジミー・バフェット、ボビー・ベアなど多くの歌い手たちに取り上げられ、その中には大ヒットしたものもたくさんある。そしてシンガー・ソングライターとしてのガイは、デビュー・アルバム以降もコンスタントにアルバムを発表し続けていて、その数はライブ盤やベスト盤も含めると20枚以上になると思う。日本では1992年にアサイラムからリリースされたアルバム『Boats To Build』あたりを最後に、彼のアルバムは発売されなくなってしまったのではないだろうか(1995年のアサイラムからの『Dublin Blues』も日本発売されたような気がするが…)。
 こんなことを書くと、ガイ・クラークの以前のアルバムを買う人がますます少なくなってしまうかも知れないが、ガイ・クラークのこれまでの多くの作品は、彼のオフィシャル・ウェブサイトの「Music」のページで全曲聞くことができる。

 ガイ・クラークの最新アルバムのタイトルとなっている『My Favorite Picture of You』、すなわち「ぼくがいちばん気に入っているきみの写真」の「きみ」とは、2012年6月27日にこの世を去った彼の奥さんで曲作りの大切なパートナー、そして画家でもあったスザンナ・クラークのことだ。生活費を稼ぐためだけの仕事なんか辞めて、二人で一緒に曲を書いて生きていこうと、彼を励まして音楽の道へとガイを引き込んだのが彼女だった。二人は40年間連れ添った。
 アルバムのジャケットは自分がいちばん気に入ってるスザンナの写真を持っているガイの写真で、そのお気に入りのスザンナの写真はジャケットの裏にも、そしてブックレットの表紙にも使われている。ブックレットの表紙では、ガイの愛用のギターの弦の間に写真が挟まれている。腕を組んで怒った表情でカメラのレンズをじっと見つめているスザンヌのかなり色褪せたポラロイド写真だ。
 アルバムの2曲目には「My Favorite Picture of You」というアルバムのタイトル曲が収められている。ある日のこと、ガイの曲作りのパートナーの一人のゴーディ・サンプソンが、一緒に曲作りをしようといろんな歌詞のフレーズや曲のタイトルのアイディアを持って彼の家にやって来た。椅子に座ってそのリストを見ていたガイの目が「My Favorite Picture of You」という一行で止まり、彼は突然椅子の向きを変えた。目の前の壁には彼のいちばんお気に入りのスザンヌの写真が貼られていた。
 その写真は30年以上も前にガイの家の前で彼の友人が偶然撮影したものだ。その時ガイはタウンズ・ヴァン・ザントと一緒に飲んで、べろべろに酔っ払っていた。それに業を煮やしたスザンヌが怒って部屋を飛び出したところ、そこに友人がいて、持っていたポラロイド・カメラで怒り心頭に発している彼女を撮ったというわけだ。
 椅子の向きを変えていちばん気に入っているスザンヌの写真と向き合ったとたん、ガイがずっと心の中に溜めていた思いが歌詞になって湧き上がり、あっという間に曲が生まれた。20分ほどで曲ができたということだ。

 とはいうものガイ・クラークの最新アルバム『My Favorite Picture of You』は亡くなったばかりの愛妻に捧げられたコンセプト・アルバムではない。ガイに言わせると、「最近作ったいろんな曲の中でいちばんいいものを10曲集めただけ」ということで、アルバムにはガイがショーン・キャンプやレイ・スティーヴンスン、ロドニー・クロウェルやゴーディ・サンプソンなど、さまざまなソングライターたちと共作した曲が10曲とガイの親しい音楽仲間ライル・ラヴェットの「Waltzing Fool」の全部で11曲が収められている。
 ガイ・クラークの新しいオリジナル曲は、トウモロコシの粉が撒き散らされたフロアーの上を老若男女が楽しくワルツを踊るガイ・クラーク版「Brand New Tennessee Waltz」とも言える「Cornmeal Waltz」、自分の持ち物すべてを段ボール製のスーツケースに入れ、行きずりの恋をしながら放浪する女性のことが歌われた「Rain In Durango」、まるで若者のように激しく燃え上がる恋をして失恋に向かってまっしぐらというラブ・ソング「Hell Bent On A Heartache」、正しい忠告は受け容れられないし、悪い習慣は断ち切れないと歌われる「Good Advice」など、さまざまなテーマ、さまざまなスタイルの曲が収められていて、変化に富む内容だ。
 新しいアルバムには今のアメリカ社会が抱える問題が歌われた時事的な歌も2曲収められている。そのひとつはイラクの戦争から帰還したものの、そこでしたこと、そこで見たことが、自分の身の上にあまりにも重くのしかかり、生きていけなくなってしまう兵士のことが歌われた「Heros」という曲で、ガイは「誰もが英雄を必要としているが、英雄だって助けてもらわなければ生きていけない/英雄はどんな時だって英雄でいられない/誰が英雄を助けてくれるのか?」と問いかけている。
 そしてもう一曲の「El Coyote」は、18人のメキシコ人労働者がバンの中にすし詰めになって不法入国しようとしていた時、密入国させようとしていた業者が危険を察して逃げ去ってしまい、灼熱のテキサスの太陽の下、全員が閉じ込められたまま置き去りにされて死んでしまったという、 メキシコとテキサスの国境で実際に起こったできごとが歌われている。 時代や状況は違うが、ウディ・ガスリーの名曲「Deportee」(メキシコからの季節労働者を乗せた飛行機が墜落した時、犠牲者の彼らは一人一人名前で呼ばれることなく、「追放された者」という言葉だけで片づけられてしまったことが歌われている)を思い起こさせる曲で、ガイもこの曲は敬愛するウディのことを意識して書いたということだ。

 ぼくが初めてガイ・クラークの歌を知ったのは、まだ20代の前半の頃だった。そしてその時ガイは多分30歳になったばかりだった。年老いた人のことを優しく、あたたかく歌っていたガイの歌にぼくは強く心を揺さぶられたが、きっとその時彼は70歳になっても歌っている自分のことなど想像すらしていなかったのかもしれない。
 気がつけばガイは70歳を過ぎ、さすがに声は涸れてやたらと渋くなったが、それでも豊かで鋭くて瑞々しい歌を今も作り続けている。そしてもうすぐ60代なかばになろうかというぼくが、それを聞いて自分もまだまだこれからだぞと何だかやたらと熱くなってしまっている。
 そしてこんなに素敵な歌を、こんなに素敵な歌い手を、自分たちの世代が独占するのではなく、もっともっと若い人たちにも聞いてほしいとぼくは強く思わずにはいられない。世代とか歳とか、そんなことは関係がなく、16歳だろうが61歳だろうが、いいものはいい、伝わるものは伝わると、共に分かち合い、共に楽しめるのが音楽のいちばんいいところなのだから。

 中川五郎(なかがわ・ごろう)
1949年、大阪生まれ。60年代半ばからアメリカのフォーク・ソングの影響を受けて、曲を作ったり歌ったりし始め、68年に「受験生のブルース」や「主婦のブルース」を発表。
70年代に入ってからは音楽に関する文章や歌詞の対訳などが活動も始める。90年代に入ってからは小説の執筆やチャールズ・ブコウスキーの小説などさまざまな翻訳も行っている。
最新アルバムは2017年の『どうぞ裸になって下さい』(コスモス・レコード)。著書にエッセイ集『七十年目の風に吹かれ』(平凡社)、小説『渋谷公園通り』、『ロメオ塾』、訳書にブコウスキーの小説『詩人と女たち』、『くそったれ!少年時代』、ハニフ・クレイシの小説『ぼくは静かに揺れ動く』、『ボブ・ディラン全詩集』などがある。
1990年代の半ば頃から、活動の中心を歌うことに戻し、新しい曲を作りつつ、日本各地でライブを行なっている。

中川五郎HP
https://goronakagawa.com/index.html
 

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