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【アーカイブス#1】 聴かないとその日の体調がおかしくなってしまうベン・ソリーのアルバム *2009年4月

こんにちは、midizine編集部です。これまでミディに関する情報をマガジンとして自社サイトにアップしてきましたが、今後は媒体名を「midizine」と改め、noteより発信していきます。中川五郎氏による連載「Grand Teachers」も引き続き、更新されていきます。

リニューアルに合わせて、中川氏に許可を頂き、これまでの記事を【アーカイブス】として初回から順にnoteに転載していきます。中川氏が10年間かけて発信してきた素晴らしきTeachersたちの音楽を一緒に振り返りませんか。
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古くからの友人で、2001年には二人で音楽についての対談集『友人のような音楽』という本をアスペクトから出したこともある永井宏さんが、「素晴らしい、素晴らしい、すごくいい」と前々から絶賛していたベン・ソリー(Ben Sollee)のアルバム『Learning To Bend』を、ようやく手に入れて耳を傾けた。

これが素晴らしい。すごくいい。確かに永井さんがしつこいほど褒めちぎっていた理由がよくわかる。CDを手に入れてからというもの、毎日のように聴いていて、聴かないとその日の体調がおかしくなってしまう、それくらいの耽溺度になっている。

ベン・ソリーといっても、日本ではまだ知らない人がほとんどだと思うが、彼は今年で24歳か25歳くらいになるケンタッキー出身のチェリスト。チェリストといえば、椅子に座って大股を開き、チェロを抱えて弓でクラシックを奏でるという「固定観念」を誰もが持っているが、ベンの場合はそうした決まりきったチェリストの小さな枠の中に収まるような人物とはまったく違う。

弓でチェロを弾くというオーソドックスなスタイルだけでなく、ピッチカート奏法で弦をはじいたり、あるいはフィンガー・ピッキング・スタイルでまるでギターやマンドリンのように弾いたり、ベースのように弾いたりと何でもありで、しかも彼はチェロを弾きながら、自作の歌を歌うのだ。要するに世の中に稀なチェロ弾き語りのシンガー・ソングライターと言ってもいい。

しかもベンの書くオリジナル曲は、生まれ故郷のケンタッキーの調べが濃厚に漂っているものから、カーター・ファミリーの世界にも通じるフォーク・ソング、あるいはブルーグラス・ミュージックに通じるもの、そうかと思えばソウル・ミュージックの影響を強く感じさせるものなどがあって、これまたひとつの枠やスタイルの中に収まるものではなく、自由奔放に独創的に、ベン・ソリーだけの個性的な音楽を作り上げている。

もちろんベン・ソリーはクラシック音楽を熱心に学び、その中でチェロの腕を磨いていったのだろうが、彼はクラシックの優れたチェリストを目ざすのではなく、この素晴らしく魅力的な楽器を相棒にして、自分にしかできない音楽を探求しようとしたのだ。

そしてベン・ソリーは、アバンギャルドなブルースマンのオーティス・テイラーと共演したり、歌とバンジョーのアビゲイル・ウォッシュバーン、バンジョーの名手ベラ・フレック、バイオリン・プレイヤーのケイシー・ドリーセンと共に2005年にザ・スパロウ・カルテットを組んで活躍したり、はたまたフォーク・シンガー、マイケル・ジョナソンがホストを務める有名なラジオ番組、「ウッドソングス・オールド・タイム・ラジオ・アワー」に出て評判になったりして(500近いラジオ局でオンエアされ、100万人にも及ぶリスナーがいる)、境界線や壁を作ることなく、何年にもわたってあらゆる音楽の世界に飛び込んでいく中、独自の音楽を熟成させてきたのだ。

そして昨年6月、ほとんど自主制作のようなかたちで発表されたのが最初に書いた『Learning To Bend』で、これがベン・ソリーの記念すべきソロ・デビュー・アルバムとなる。

ラーニング・トゥ・ベンド、日本語にすれば「たわむことを身につける」、「曲がることを覚える」となり、これはまさにベン自身の生き方やスタイルを象徴する言葉となっている。すなわち、型にはまったり、しゃちほこばったり、威張ったり、いつも堂々と立っているのではなく、さまざまな「固定観念」や常識、あるいは形式にとらわれることなく、しなやかに、自由に、時にはたわむことも、曲がることもいとわず、自分のやりたいことをやっていくという生き方だ。

アルバムの中には「Bend」という歌が収められていて、そこでベンは「強風が吹きつける中、我慢して立っていたらぼろぼろになってやっつけられてしまう。あなたにはたわむだけの強さがあるか」と歌いかけている。もちろんこの歌はベンの生き方の決意表明でもあるが、同時に彼が生きる自分の国に対しての厳しく、鋭い問いかけにもなっている。

自分たちが世界一強いと思い込み、どんな強風にも立ち向かえると過信し、たわむことや曲げることを決して学ばず、彼の国はこれまでとんでもなくばかげたことや愚かなことを、懲りもせず繰り返してきたのだ。

ベン・ソリーの自分の国を愛するがゆえの鋭いまなざしは、「Bend」一曲にかぎったことではない。アルバムのオープニング・ナンバーの「A Few Honest Words」で、彼は「この国をリードしたいのなら、必要なのは誠実さ。ほんとうのことを正直に言っておくれ」、「ぼくらが自分たちのリーダーを選んだわけじゃない、彼らが勝手に選んでいる、今一度民主主義の意味を教えておくれ」と歌い、「Bury Me With My Car」では、「死んだら車と一緒に埋めておくれ、車がないと死んでから行きたいところに行けないからね。アメリカじゃ、みんな車と一緒に埋葬されることになるだろう」と、アメリカの車社会を痛烈に皮肉っている。

またサム・クックの1964年の名曲「A Chang Is Gonna Come」も、ベンは自分なりの解釈でアダプトしていて、そこでも「この戦争をやることで平和が実現するのだろうか/武器が増えれば増えるほど安全ではなくなっていく」と、ストレートなメッセージをぶつけている。

『Learning To Bend』には、美しいラブ・ソングも多く収められている。それらの曲にしても、「男は泣かないものだ」という「固定観念」に疑問をぶつけている「It’s Not Impossible」やありったけの誠実さが込められた「Copper And Malachite」など、常套文句や凝り固まった発想で作り上げられたありきたりのラブ・ソングからはほど遠い、しなやかにたわんでいるものばかりだ。

話はちょっと脱線するが、ユニークなチェロといえば、二年ほど前に手に入れたベサニー&ルーファス(Bethany & Rufus)の『900 Miles』というアルバムもすごく面白かった。ピーター・ポール&マリーのピーター・ヤローの娘のベサニー・ヤローとルーファス・カッパドゥシアのデュオで、ルーファスが五弦チェロをこれまたかたちにとらわれないスタイルで弾きまくり、それに合わせてベサニーがアメリカの有名なフォーク・ソングやブルースを歌っていて、その唯一無二の世界には強く心をひかれた。

それにしなやかなチェリストということでは、日本には我らが橋本歩さんがいる。彼女もジャンルや形式やさまざまな「固定観念」にとらわれることなく、何とぼくのような者とも共演してくれたのだが、彼女の音楽や彼女がやっているair plantsというトリオのことは、またの機会にぜひ書いてみたいと思う。そうだ、グラインダーで火花を散らす我らが坂本弘道さんのことも忘れてはならない。脱線、終了。

ベン・ソリーのしなやかさ、見事なたわみ方からぼくが学ぶことはすごく多い。生き方はもちろんのこと、音楽のやり方、そして聴き方に関しても、いろんなことを考えさせられる。

つまり、ぼくらはいろんなことを言っていても、やっぱり固定観念にとらわれ、ジャンルや形式、ジェネレーションなどにこだわって、つい音楽を聴いてしまっていることが多い。

ジャンルだけで聴かず嫌いになっていたり、何も聴かずに決めつけてしまう人がまわりにはたくさんいる。若者の音楽だからと、それだけで敬遠するぼくと同世代の人もいれば、年寄りの音楽だから面白いわけがないと、ぼくらの世代の音楽にまったく関心を持たない若者たちもいる。

年長者が自分は歳月を生きているから、年上だから、先輩だからということだけで威張って、若者たちを見下しているのは悲しく寂しいことだし、若者たちが、もう若くないから、古くさいから、凝り固まっているからと、年寄りたちを寄せつけようとしないのも悲しく寂しいことだ。

ぼくはあらゆる「固定観念」に縛りつけられることなく、しなやかにいろんな音楽と触れ合いたい。もちろんそれは音楽だけでなく、あらゆるもの、あらゆることに関して言える。学ぶべきことは、年長者や先達の中にだけあるのではない。むしろぼくは自分の子供たち、あるいは孫の世代の中にも学ぶべきことが山ほどあると思っている。

60歳になるぼくにいろんなことを教えてくれる、そんないろんな音楽のことを、ジャンルや地域、世代を越えて、これから毎回ここで取り上げて書いていきたいと思っている。

ベン・ソリーはぼくに「たわむこと」を教えてくれたが、ぼくはいくつになっても「Learn To Learn」、つまり学ぶことを学んでいきたいと考えている。

中川五郎
1949年、大阪生まれ。60年代半ばからアメリカのフォーク・ソングの影響を受けて、曲を作ったり歌ったりし始め、68年に「受験生のブルース」や「主婦のブルース」を発表。
70年代に入ってからは音楽に関する文章や歌詞の対訳などが活動も始める。90年代に入ってからは小説の執筆やチャールズ・ブコウスキーの小説などさまざまな翻訳も行っている。
最新アルバムは2017年の『どうぞ裸になって下さい』(コスモス・レコード)。著書にエッセイ集『七十年目の風に吹かれ』(平凡社)、小説『渋谷公園通り』、『ロメオ塾』、訳書にブコウスキーの小説『詩人と女たち』、『くそったれ!少年時代』、ハニフ・クレイシの小説『ぼくは静かに揺れ動く』、『ボブ・ディラン全詩集』などがある。
1990年代の半ば頃から、活動の中心を歌うことに戻し、新しい曲を作りつつ、日本各地でライブを行なっている。

中川五郎HP
https://goronakagawa.com/index.html

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