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【アーカイブス#8】Keep The Faith トニ・チャイルズ *2009年12月

 今からもう20年以上も前のことになるが、1980年代後半から90年代の前半にかけて、アメリカやイギリス、そしてカナダなどから新進気鋭の女性シンガー・ソングライターが続々と登場して来て、女性シンガー・ソングライター好きのぼくとしては、大いに心を躍らされていた。
 どんな女性たちが登場して来たのか、思いつくままにその名前を挙げていってみよう。トレイシー・チャップマン、ナタリー・マーチャント、メリッサ・エスリッジ、エディ・ブリッケル、ヴィクトリア・ウィリアムス、ソフィー・B・ホーキンス、トーリ・エイモス、リズ・ファー、シェリル・クロウ、ポーラ・コール、シネイド・オコナー、タニタ・ティカラム、PJ・ハーヴェイ、ジェーン・シベリー、アーニー・ディフランコ、サラ・マクラクラン、ビョークなどなど。それこそ挙げていったらきりがない。
 そんな80年代後半からどわーっと登場して来た女性シンガー・ソングライターたちの中で、ぼくがとりわけ気に入っていたのがトニ・チャイルズだった。

 トニ・チャイルズ(Toni Childs)は、1957年カリフォルニア州の南にあるオレンジ生まれで、小さな農場の町で幼い頃を過ごし、その後アーカンソー、カンザス、オクラホマ、ネバダと移り住んだ。
 厳格な家庭で、子供たちは映画を見ることやロックやポップスに耳を傾けることを禁じられていて、トニは15歳の時に家出し、ヒッチハイクで西海岸にやって来て、ブルース・バンドで歌うようになった。
 すぐにも彼女はピンク・フロイドのコンサートを見て、本格的に音楽の道に進む決心をし、70年代後半にはロサンジェルスで、初めての自分のバンド、トニ・アンド・ザ・ムーヴァーズを結成。そのバンドには、後にレッド・ホット・チリ・ペッパーズやバングルズのメンバーになるミュージシャンも参加したが、二年間の活動の後、解散。
 その後、ナディア・カピチェ(Nadia Kapiche)というバンド名で、自らの音楽を模索するも、自分がどんな曲を書き、何を歌いたいのか、その答をはっきりと掴むことはできなかった。
 80年代に入って、トニは心機一転ロンドンに移り住み、そこで次なるバンドを結成する。そのバンドにもナディア・カピチェという名前がつけられた。メンバーはピータ・ゲイブリエル・バンド、シュリークバック、ワールド・パーティなどで活躍する実力派ミュージシャンばかりで、トニはそのロンドンでの四年間で、ワールド・ミュージックとの出会いも体験し、自らの音楽の根っことなるものをしっかりと吸収していった。

 80年代半ばにトニはロサンジェルスに戻り、A&Mレコードとレコーディング契約を結び、デヴィッド&デヴィッドのデヴィッド・リケッツとコンビを組み、二年以上の歳月を費やして、デビュー・アルバムの『Union』を完成させた。1988年にリリースされたそのアルバムで、トニは一躍世界で広く知られる存在となる。
 もちろんぼくもそのアルバムでトニの虜となってしまった。当時のぼくは音楽ライターとしての仕事が中心で、彼女のことはいろんなところでいっぱい書きまくった。あの頃は洋楽業界も勢いがあったので、ぼくはトニへのインタビューや彼女のコンサートを見るために、ロサンジェルスに取材に行ったりもした。実際にトニに会って話を聞けたり、とても自然で、生々しく、エモーショナルな彼女のコンサートを見ることができたりして、実に貴重な体験をさせてもらった。

 その後もトニは1991年に『House of Hope』、1994年に『The Woman’s Boat』と、メジャー・レーベルからアルバムを発表し、ぼくはそれらのアルバムについての原稿を書いたり、歌詞の対訳をさせてもらったりして、トニの音楽と関わり続け、熱心なファンであり続けた。
 トニは日本でもとても人気があったので(オーストラリアやニュージーランドでの彼女の人気は絶大だ)、80年代の終わりから90年代の中頃にかけて、彼女の歌を聴いたり、アルバムを手に入れたりした人は、きっとたくさんいることと思う。
 ところが『The Woman’s Boat』を発表した後、しばらくするとトニはレコード・レーベルとの契約も打ち切られ、音楽シーンから姿を消してしまう。『The Woman’s Boat』は、フェミニズムに共鳴するトニの世界をそれまで以上に強く突き進め、音楽面でも内容面でも、実に意欲的で挑戦的な作品だったが、セールスの面では芳しい結果を得ることができなかった。

 それから15年の歳月が過ぎた。最初の頃こそ、トニ・チャイルズはどうしているのかな、まだ歌っているのかな、新しいアルバムは出さないのかなと、しょっちゅう気になっていたものの、次々と登場してくる新しい女性シンガー・ソングライターに夢中になったりしているうち、ぼくは彼女のことをすっかり忘れてしまっていた。
 大ファンだと言いながら、何と冷たいことよ。音楽に関しても、ぼくは薄情で浮気者ではないか。「去る者は日々に疎し」ではないけれど、いなくなってしまうと、もうまったく気にもかけなくなってしまうというのか。嗚呼、情けない。

 そんな薄情で浮気者のぼくだが、どういうわけか今年の秋になってトニ・チャイルズのことを突然ふと思い出し、もしかして音楽活動を再開しているかもしれない、再開していればいいなと、いろいろと調べてみた。すると嬉しいことにぼくの予感は的中し、彼女は14年ぶりに新しいアルバムを発表し、ライブ活動も行っていることがわかったのだ。
 もちろんぼくがトニの最新アルバム『Keep The Faith』をすぐに手に入れたことは言うまでもない。そしてトニがまた歌ってくれていること、彼女の健在ぶりを心から喜びつつ、ぼくにとっては空白だったトニ・チャイルズの15年間にも探りを入れてみた。

 1994年に三枚目のアルバム『The Woman’s Boat』をリリースして三年後の1997年の終わり、トニ・チャイルズはバセドウ病(英語圏ではグレーヴズ病と呼ばれている)と診断され、音楽活動を休止するよう何人もの医師から宣告された。病気だけでなく強烈なストレスにも苛まれていた彼女は、ロサンジェルスからハワイのカウアイ島へと移り住み、それまでとはまったく違う生活を送るようになった。
 トニは『House of Hope』をレコーディングしている時にも、地球環境問題と取り組む国際NGO「アースウォッチ」の企画に参加して、ホノルルのケワロ湾にあるドルフィン・インスティチュートを訪れていて、そこで末期ガンの子供がイルカと泳ぐことで喜びを見出していることに強く感銘を受け、その後チャリティー団体の「ドリーム・ア・ドルフィン」を立ち上げている。
 カウアイ島で病気と闘いながら、トニは徐々に自分を取り戻していったが、しかし彼女が最も愛すること、すなわち歌を歌うことを再開するまでには至っていなかった。そんな彼女に重大な転機が訪れたのは、カウアイ島に移り住んで5年目の2003年の2月のことだった。

 カウアイ島のYWCAの女性への性暴力の治療センターの資金を集めるために、イヴ・エンスラーの『ザ・ヴァギナ・モノローグ』がカウアイ・シアターで上演され、それにトニも出演することになった。
 1996年にニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジの小さな劇場で初演された『ザ・ヴァギナ・モノローグ』は、さまざまな女性が自分の性器について語るという内容で、最初はイヴの一人芝居だったが、やがては多くの女性が登場して語るというものに発展し、これまでに120カ国で上演され、原作となった本は45カ国で翻訳されている。
 有名人が登場して語るということでも話題を集め、これまでにジェーン・フォンダ、ウーピー・ゴールドバーグ、スーザン・サランドン、グレン・クローズなどが『ザ・ヴァギナ・モノローグ』に出演している。そのカウアイ版にトニも出演したというわけだ。
 
 実は1953年ニューヨーク生まれのイヴ・エンスラーは、トニ・チャイルズの歌の大ファンで、彼女がとても落ち込み、何をすればいいのか方向も見失っていた時、唯一の救いとなったのがトニ・チャイルズの歌だった。トニの歌に勇気づけられ、力をもらい、イヴは生き延びることができた。イヴにとってトニはまさに命の恩人なのだ。ただし、トニのことをよく知らなかったイヴは、その歌を聞いてトニは黒人だとすっかり思い込んでいた。

 カウアイでの運命の出会いが実現したものの、イヴは命の恩人のトニが歌っていないことに衝撃を受け、「どうして歌わないの」、「歌わないあなたなんて信じられない」とトニに激しく迫った。そしてイヴはその時製作中だったドキュメンタリー作品『Until the Violence Stops』のための曲、女性や少女に対する性暴力を永遠に終らせるようみんなで確かめ合う賛歌を必要としていた。
 そして「それを書いて歌うのはあなたしかいない。あなたならできる」と、イヴはトニに告げ、音楽活動から離れて自信をなくしているトニが「自分にやれるかどうか」と躊躇すると、「やらなければならない」と、強く言い切った。それでもう決まりだった。

 それがきっかけとなり、トニは『Until the Violence Stops』のラフ・カットを見たり、女性への性暴力の根絶を目ざし、そのための資金を集める、『ザ・ヴァギナ・モノローグ』と連動したイヴ・エンスラーのV-Dayの運動にも深く関わりながら、一年近くの歳月をかけて「Because You’re Beautiful」という曲を書き上げた。


 そしてこの曲がまたトニ・チャイルズを音楽の道へと戻す大きなきっかけとなった。「Because You’re Beautiful」を一緒に作ったデヴィッド・リケッツやギタリストのエディ・フリー、そしてイギリスのプロデューサー/エンジニアのデヴィッド・ティックルなどと共に、トニは十数年ぶりのアルバム製作に取り組んだのだ。デビュー・アルバムをトニと一緒に作ったデヴッド・リケッツやデヴィッド・ティックルが、彼女の再出発のためにまた結集したというのも嬉しいかぎりだ。
 そして完成したのが、ぼくがこの秋に遅ればせながら手に入れた『Keep The Faith』で、最初は自主制作盤というかたちでリリースされたようだが、2008年の夏にニュージーランドやオーストラリアのレコード・レーベルから発売され、今年の初めにはアメリカでも429 Recordsから改めて発売されるようになった。

 『Keep The Faith』は、信条を守るというアルバム・タイトルが象徴するように、トニ・チャイルズの生きる姿勢、歌への思いや志が正直に表われている作品だ。
 90年代前半のアルバムのような、ワールド・ミュージックへの濃厚な傾倒は薄らぎ、音楽的にはシンプルなアメリカン・ロックとなっているが、生きること、愛すること、信じること、世界のこと、地球のこと、そして女性への性暴力のことなどが、ひとこと、ひとこと、言葉をじっくりと噛みしめながら、熱い思いを込めて歌われていて、やっぱりトニ・チャイルズはトニ・チャイルズだ、変わることなく信念を貫いたト二がここにいると、薄情で浮気なファンではあったが、ぼくは改めて彼女の世界にすっかり引き込まれてしまっている。

 『Keep The Faith』を聴きながら、以前に読んだ『ザ・ヴァギナ・モノローグ』の岸本佐知子さんが訳した白水社からの日本語版を読み直し(書名は『ヴァギナ・モノローグ』)、『Until the Violence Stops』のDVDも手に入れ、80年代後半から90年代前半にかけてのトニの三枚のアルバムも聴き返してと、今ぼくの中ではトニ・チャイルズへの思いが再燃している。
 日本では忘れ去られたミュージシャン、「あの人は今?」状態になってしまっているかもしれないが、今年で52歳となったトニ・チャイルズという素晴らしいシンガー・ソングライターの、人生や人となりが滲み出た歌に、かつての彼女を知る人も、彼女のことをまったく知らない人も、ぜひとも耳を傾けてほしい。

 キープ・ザ・フェイス、トニ・チャイルズの歌を聴いてぼくはそのことの大きさと大変さを再確認する。歌にとって、歌うことにおいて、そのことがどれだけ重い意味を持つのかということを。
 本気で歌っている人なら、誰もがいつもそのことと真っ正面から向き合っているはずだ。そしてトニ・チャイルズの新しい歌は、ぼくに多くの大切なことを教えてくれる。

中川五郎(なかがわ・ごろう)
1949年、大阪生まれ。60年代半ばからアメリカのフォーク・ソングの影響を受けて、曲を作ったり歌ったりし始め、68年に「受験生のブルース」や「主婦のブルース」を発表。
70年代に入ってからは音楽に関する文章や歌詞の対訳などが活動も始める。90年代に入ってからは小説の執筆やチャールズ・ブコウスキーの小説などさまざまな翻訳も行っている。
最新アルバムは2017年の『どうぞ裸になって下さい』(コスモス・レコード)。著書にエッセイ集『七十年目の風に吹かれ』(平凡社)、小説『渋谷公園通り』、『ロメオ塾』、訳書にブコウスキーの小説『詩人と女たち』、『くそったれ!少年時代』、ハニフ・クレイシの小説『ぼくは静かに揺れ動く』、『ボブ・ディラン全詩集』などがある。
1990年代の半ば頃から、活動の中心を歌うことに戻し、新しい曲を作りつつ、日本各地でライブを行なっている。

中川五郎HP
https://goronakagawa.com/index.html

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