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西武園

 今年はいつもとは違う梅雨である。コロナではなくて、単に天気だ。関東は早めの梅雨入りか、と言われたが、結局その宣言は6月半ばと例年より一週間ほど遅くなった。しかし晴れ間はそれなりにある。洗濯物がそんなにはたまらないのだ。東京が緊急事態宣言から蔓延防止等重点措置に移った先週も私が住む処では、朝は北西に青空が望めることも少なくない。が、東は雨雲も見える。それでも雲の合間から陽が差し、午前中に洗濯物は乾いたりもする。そして午後は天気雨も多いし、この前も車の運転中に陽が落ちて突然の強い雨もあった。夕立の様な雨だが、すぐにやむ。家に戻ると部屋が蒸しているので窓を開けると、風が涼しい。もうすぐ秋か、なんて思ってしまうが、夏はこれからなのだ。そんないつもと違う梅雨時だが、ちょいとした晴れ間に緊急事態宣言も解除されたということもあり、湖まで足を延ばしてみた。 私が住む町は思いのほか鉄道の駅が多い。かと言って、便利というほど頻繁に電車が運行されているわけでもない。一番便利な駅は最も遠い。そういう鉄道事情の場所だが、つい最近最寄り沿線の終点駅の駅名が変わった。正確に言うと、40数年ぶりに前の駅名に戻ったのだ。何故に駅名が変わったのか、どうやら隣接する遊園地の大幅なリニューアルが関係しているらしい。その駅名が変わった多摩湖駅から西武球場前に至る山口線の一つ目が実は最も遊園地に最寄りで遊園地西駅から西武園ゆうえんち駅となった。多摩湖駅の前の駅名は西武遊園地駅だったのだが、遊園地の正式名称には”園”がつくらしい。おそらくこれまた近所の西武園駅とその最寄りの西武園競輪との差別化だったのだろう。
 まずはリニューアルした遊園地を少し覗く、と言っても入場するわけではなく、近くの高台から遠目の様子見だ。

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 どうやらこの建物は昔の映画館を模した外観だが、内部は最新とのことだ。その下がおそらく入場ゲートだろう。そこで鳴り響いている音楽がここまで聞こえてくる。笠置シヅ子の買い物ブギー、そして小林旭の自動車ショー歌。噂には聞いていたが、今回の遊園地リニューアルは昭和ノスタルジックをイメージした作りになっているらしく、そしてこの選曲だ。きっと入場すればそれなりには楽しむだろう。映画『三丁目の夕日』も覚えてはいないが、なんだかんだと最後までは観た。(それよりか山野一『四丁目の夕日』は何度読んだことか)さて、遊園地に背を向け、交差点を渡りコンビニエンス・ストアに向かう。まだ、それなりに晴れている。喉も渇いた。ビールを買うことにするが、その冷蔵棚の扉に「公園では飲まないで下さい」との張り紙。いや、飲むよ、緊急事態宣言はひとまず解除だし、店側も一応の対策だろう。だいたい公園に人はそんなにいない。が、こちらも遠慮して350mlにする。

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 ここに来たのは久しぶりだが、気持ちが良い。やはり500mlにすれば良かったと思ったが、二口ほど喉をうるわして、草むらのベンチに落ち着く。ベンチから南側の森をただ眺めているとビール半分くらいでなんとなく昼寝をしても良い気にもなるが、持って来ていた届いたばかりのミュージックマガジン7月号をめくってみる。特集は昭和歌謡ベスト・ソングス100 [1970年代編] 。今日の私の行動と妙にマッチするではないか。1~3位は「また逢う日まで」「喝采」「真夏の出来事」。完璧とも言える、どれもイントロから口ずさめ、歌詞も結構覚えているのだ。しかしこれらの曲を自分から進んで聴いたことはないし、レコードも持っていない。これらに限らずこの時代の歌謡曲はほぼレコードでは聴いていない。ラジオ、テレビ、はたまた街中で流れていたのに印象が濃いのだ。さてと、読み進んでいく。これは懐かしいぞ、となんかレコード・コレクターズみたいだが、その前にもう一本ビールを調達すべく公園を抜ける坂道を登りながら色々な曲を思い浮かべ、そして同じベンチへ戻り記憶を整理するが、1970年代というのが私の年齢だと微妙にずれる。あの頃はヒットが長い期間だったので、1967年くらいからだと私にはドンピシャだっただろう。あと70年台半ば以降、これはもうニューミュージックだよな、というのも結構あったりして、その辺り選者の年齢も関係するのは仕方がない。
 このサッポロビール園、外で飲むにはなかなか良い。もう一本と言いたいところだが、ここではこの辺にして私も思い出の歌謡曲を選んでみることにする。あえて今回のミュージックマガジンの特集ではほとんど取り上げられていない曲を意識した訳ではないし、ましてや伊集院光のアレコードみたいな知られざるものでもない。レコードも持っていないのによく知っているというこの歌謡曲という沼を湖を前にして考えさせられたのだ。


 まずはこれ。もしかしたら音楽というパファーマンスに感動した初めての曲だったのかもしれない。だが口ずさめない、歌詞も覚えていない、全てを凌駕する歌唱でテレビの前で唖然として釘付けになってしまったのだ。

雪村いづみ / 涙(1970年)

 ただ、子供の私は圧倒されすぎた。そして媒体ではあまり聞くことはなかった。この後の「私は泣かない」の方が親しみやすかったと記憶する。
 そして、雪村いづみとくれば、この人。

江利チエミ / 酒場にて(1974年)

 おそらく江利チエミ最後のヒット曲。これはよくラジオで耳にした。こういう6/8は案外歌謡曲特有の感じもある。ちなみにこの連載のタイトルはもちろんここから。

ヒデとロザンナ / 愛は傷つきやすく(1970年)

 このAメロのフォーク調からのBメロの大きさがたまらない。いまだにグッとくる。出門英は素晴らしい歌手だ。

和田アキ子 / あの鐘を鳴らすのはあなた(1972年)

 なんでこれが今回の特集には無いのだ? スケールでかいよ。

朱里エイコ / 北国行きで(1972年)

 10歳の少年でも女性が一人で北国に行くということは余程のことなのだ、ということぐらいはわかる。この曲に限らず、人生の岐路の表現がなんと希望に満ちていることか。

由紀さおり / 故郷 (1972年)

 手紙、生きがい、挽歌、夜明けのスキャット、等々名曲が多いが、これが一番好きで、しかもシングルも持っている。1コーラスだけだと主人公はもはや故人なのか、と思わせる美しさがあるが、いや大丈夫ちゃんと生きている。

 とりあえず6曲挙げてみたが、やはり’70年代前半が殆どだ。他にも思い出深いものはあったが、調べてみたらやはり’60年代後半がとても多い。あの頃の子供は2~3年は平気で同じ歌を歌っていたりしたのだ。ここではもう好みはちっぽけなもので、喜びも悲しみも皆が共有する力があるからこその流行歌なのだ。
 子供の頃の床屋での音楽経験もなかなか重要だった。ラジオはもとより店主が好きな曲を店でかけていて、覚えてしまったものも多い。ある日店主が鋏を持ちながら、最近は変わった曲が流行ってるね、なんて言ってかかっていたのが「神田川」だった。一聴した時はメロディを認識できず、語りのように聞こえていた。しばらくして、ギターを弾きながら歌う人たちであることを知るが、わたしにとってそれは「走れコウタロー」以来で、このブルーグラス・フォーマットのコミックソングとはえらく違う肌合いでしんみりしてるな、と思ったものの、当時自分が暮らしていた東京の下の下町で見かける兄さん姉さんたちの日常の姿とマッチしているような気もした。
 その「神田川」は1973年だった。今にして思えばそのあたりから歌謡曲も変わっていったのだろうが、’74年くらいから洋楽を聴き始め、図書館やエアチェックで自分から音源を求めに行くので、当然流行歌には疎くなる。とはいえ、印象的なものもあった。

あべ静江 / コーヒーショップで(1973年)

 73年にもなれば、歌詞が軽くなっているように感じるが、これは設定の妙。このちょっとしたフォーク感が味わい深い。

加藤登紀子 長谷川きよし / 灰色の瞳 (1974年)

 これはラジオでよくかかっていた。当時叔父がシングルを買って、ジョルジュ・ムスタキと一緒に聴かせてくれた。なので私の中では歌謡曲とは一線を画すが、よく口ずさんでいた。ウニャ・ラモスの曲。

麻生よう子 / 逃避行 (1974年)

 妙に暗いな、と印象に残っているのだが、今聞くと結構メロディのつぎはぎ感が面白い。出だしは Circle Game と Day After Day で後半は Yesterday Once Moreかな。

西崎みどり / 旅愁 (1974年)

 こういう流行歌もまだまだあったし、これは大ヒットしたはず。ただ当時を反映してか表現はライト。「津軽海峡冬景色」はこの3年後になるが、そうなると覚悟はすでに並大抵のものではなくなっていた。
 「旅愁」はテレビドラマの主題歌だった。多分親が見ていたのであろう。そんなことを思い出していたら「だれかが風の中で」「耳をすましてごらん」「昭和ブルース」も出てきた。もちろんアニメの曲も続々続く。そうなるとキリがない。


 当時はもちろんアレンジや編曲を気にしたことはないが、たとえば「喝采」ならトレモロ奏法はフェンダーのエレキマンドリンだし、「昭和枯れすすき」のガットギターとエレキシタールの役割はナッシュビルAチームの影響か?と今聴いても十分面白い発見がそこかしこにあるが、その考察はまた別の機会にしよう。

 とりあえず10曲あげてみたが、気がつけば1974年まで。私が12歳なので、まあ小学生までということだ。
 そういえば5~6年前に宝塚OG達が歌謡曲を歌いまくるコンサートがあって、オケの一員として演奏したのだが、メドレー形式で譜面をめくっている間に次の曲のカウントが入り、もう本当に次から次で大変だった。今回当時のテレビ番組をYoutubeで見ていたが、アイドルの新曲初披露でいろいろ失敗している演奏もあった。リハーサルも少なく、いつもほとんど新曲の生収録、そして時間もタイトな’70年代当時のテレビショーがより大変だったことは想像に難く無い。

 今回はこのくらいで終えることにするが、さっきからYoutubeを流しっぱなしにしていて自動的に南沙織特集になってしまった。こんどハードオフの7インチも漁ってみることにするかな。

桜井芳樹(さくらい よしき)
音楽家/ギタリスト、アレンジやプロデュース。ロンサム・ストリングス、ホープ&マッカラーズ主宰。他にいろいろ。
official website: http://skri.blog01.linkclub.jp/
twitter: https://twitter.com/sakuraiyoshiki

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