【アーカイブス#54】ボブ・ディランの歌が見る世界。世界が見るボブ・ディランの歌 *2013年11月
10月の終わり頃のこと、徒然なるままにインターネットを見ていて、世界のさまざまな民族音楽のミュージシャンたち、いわゆるワールド・ミュージックと呼ばれるジャンルのミュージシャンたちがボブ・ディランの歌をカバーしている『FROM ANOTHER WORLD a tribute to Bob Dylan』というアルバムがフランスのBUDA MUSIQUE(ディストリビューションはユニバーサル)から発売されるのを知った。発売予定は11月20日頃で、早速予約をしようとオンラインCDショップをいくつかチェックしてみたが、日本ではどこも扱っていなくて、CDが発売されるフランスのamazonはどうかと訪ねてみたが、MP3のダウンロードでしか手に入らず、それではイギリスのamazonはどうかと確かめてみたところ、そこだけがCDの予約注文を受け付けていた。定価8.08ポンド、送料3.58ポンドの合計11.66ポンド(日本円にしておよそ2000円弱)。ぼくはすぐに予約注文し、CDはそれからほぼひと月後の11月23日、イギリスから世田谷のぼくの郵便ポストへと無事に届けられた。
『FROM ANOTHER WORLD a tribute to Bob Dylan』には、世界各地から13組のミュージシャンが参加していて、そのラインナップと取り上げているディランの曲は以下のとおりだ。
このコンピレーション・アルバムを企画し、プロデュースし、詳細なライナー・ノーツも執筆しているのが、アラン・ヴェベール(Alain Weber)という人物だ。『FROM ANOTHER WORLD』を販売している東京渋谷のワールド・ミュージック・ディスク・ショップのエル・スール・レコーズ(EL SUR RECORDS)のウェブサイトのこのアルバムの紹介ページを見てみると、アラン・ヴェベールは「パリの伝統音楽の殿堂として知られるテアトル・ド・ラ・ヴィルとケ・ブランリー博物館の音楽ディレクター/プログラマー」と説明されている。
ほかにもネットでいろいろと調べてみると、ほとんどがフランス語で書かれているのでよくわからなかったのだが、数少ない英語での記事などを参考にすると、アランは1969年にスイスで生まれていて、ソロ・アーティストや作曲家、DJ、あるいはさまざまなコンピレーション・アルバムの企画制作者として20年以上にわたって活躍していて、自分自身のアルバムを何枚も発表している。
それにしても『FROM ANOTHER WORLD』に耳を傾けて驚いた。もちろん中にはこれはディランのあの曲だとすぐにわかるものもあったが、参加しているミュージシャンの誰もが自分たちの文化に昔から伝わる民族楽器を使い、自分たちの伝統的な音楽スタイルで、そして自分たちの歌唱法、自分たちの言葉で(インストゥルメンタル曲もあるが)ディランの曲を取り上げているので、わかりやすいメロディや短い英語のフレーズが出て来たりするまで何の曲か皆目見当がつかなかったりするし、最後まで聞いてもわからず、ジャケットを手に取って曲目を確認して、「ああ、あの曲か、うへぇー」と仰天させられるものもあった。
もちろん参加したミュージシャンの誰一人として、敢えてディランの曲だとわからないように演奏してやろうというような意地悪な意図などまったくなく(そんなことを言えばボブ・ディラン自身が何の曲かわからないような「意地悪」なアレンジや演奏を積極的に行なっているように思える)、用いる楽器や演奏スタイル、歌唱法や言語が変われば、すなわちひとつの文化が別の文化の中に移し替えられれば、どんなに有名な曲でもまったく違ったものに聞こえるということを、このとてつもないディランのトリビュート・アルバム『FROM ANOTHER WORLD』は雄弁に物語っている。
デジパック仕様の『FROM ANOTHER WORLD』のジャケットには26ページものカラー・ブックレットが付いていて、企画者でプロデューサーのアラン・ヴェベールによるライナー・ノーツと詳細なミュージシャン紹介の文章が英語とフランス語の両方で掲載されている。それを読むとこのディランのトリビュート・アルバムに対するアランの並々ならぬ意気込みや情熱がひしひしと伝わって来る。
世界中のミュージシャンたちの中から誰に参加してもらうか、彼は苦慮に苦慮を重ねただろうし、ミュージシャンに連絡を取ったり、レコーディングをしたりと、実際に作業を進めるにあたっても、とんでもない苦労をしたに違いない。アルバムには世界各地のミュージシャンが参加しているが、13曲の収録曲のうち9曲はパリやナント、ボルドー、ブリュッセルなどヨーロッパのスタジオやフェスティバルで録音されたものが使われている。
アラン・ヴェベールのライナー・ノーツを読んでぼくがとても興味深く思えたのは、彼がボブ・ディランの歌を世界各地の伝統的な口承音楽、口承文学のコンテキストの中で捉えているところだった。
「(アルバムに参加している)アーティストが属するさまざまな集団や伝統文化の中では、詩や音楽がいまだに社会的、あるいは宗教的な儀式として重要な意味を持っていて、彼らはディランの歌に宿る普遍的なテーマを自分たちなりのやり方で捉え、掘り下げている」と、アランは書いている。「詩がそもそもは声に出して歌われる文化の中では、預言するということは、ほんの一握りの特別な人たちだけに与えられた神がかり的な才能で、その預言は聖詩や朗読、あるいは歌など、すなわち口頭で伝えられた。ディランの詩的宇宙は、ロックン・ロールの熱情、ブルースの実存的で深遠な思想、ゴスペル・ミュージックの信念と高められたフォーク・ミュージックの成熟が組み合わさり、福音書の言葉やイスラムのスーフィー教の詩、あるいはアフリカの部族の語り部であるグリオの物語などからインスピレーションを受けた預言者的ビジョンと共にすべてがひとつに溶け合っている」
先に触れたエル・スール・レコーズのウェブサイトの『FROM ANOTHER WORLD』の紹介ページには、「ディラン自身は全部この録音に耳を通したということで、中でもエジプトのヌビア音楽集団=ミュージシャン・オヴ・ザ・ニルによる“TANGLED UP IN BLUE”が一番のお気に入りだそうですよ!」と、書かれている。なるほど、ディランはこれがお気に入りなのかと、全曲をすでに聞いたぼくとしては思わずにんまりさせられてしまった。
さて、ぼくの一番のお気に入りは何だろう? 1967年にウッドストックでディランと会ったというベンガルのプールナ・ダス・バウルが息子のバピ・ダス・バウルと一緒に演奏する「Mr.Tambourine Man」も強烈だし、ルーマニアのタラフ・ドゥ・ハイドゥークスがバイオリンやアコーディオン、ハンマー・ダルシマーで攻めまくる「Corinna Corinna」もすさまじい。どこか「あまちゃんのテーマ」を思い浮かべてしまうミャンマーのビルマ・オーケストラ・サイン・ワインが民族楽器の打楽器や笛を使って演奏するほのぼのとした「I Want You」も大好きだし、ブータンのLhamo Dukpaがブータンの言葉Zongkhaの歌詞でアカペラで歌う「With God On Our Side」も心を打たれる。とにかく13曲すべてが刺激的で面白く、ぼくは何度も繰り返し聞き続けている。
残念なのはこのボブ・ディランのトリビュート・アルバムに日本のミュージシャンが参加していないことだが、日本でディランの曲を取り上げるとなると、たとえ日本語で歌ったとしても、そのほとんどはギターやピアノ、あるいはロック・バンド編成などディランと同じ西洋音楽のスタイルなので、アラン・ヴェベールのお眼鏡には適わなかったのだろう。
もしかするとみんなが知らないだけで、伝統的な日本の音楽の演奏スタイルや歌唱法、楽器編成で、あるいは沖縄やアイヌの民族音楽のやり方でディランの歌を取り上げたり歌ったりしているミュージシャンがすでにいるのかもしれない。『FROM ANOTHER WORLD』が世界各地で評判となり、続編が作られるようになった暁には、ぜひとも日本からも誰かがエントリーして、ディランの歌を通じて日本の伝統音楽のすごさを世界に向けてガツンと思い知らせてほしい。
このアルバムの日本盤は 12 月 1 日にオルターポップより発売。
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