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【アーカイブス#13】チョコレートとバンジョー。カロライナ・チョコレート・ドロップス *2010年5月

 バンジョーが好きだ。昔からずっと好きだ。もしかすると最初に好きになった楽器かもしれない。
 バンジョーとの出会いは、確かぼくがまだ小学生だった頃だ。西部劇の映画を見たり、ウェスタン音楽に耳を傾ける中で、その楽器の存在を知った。そして中学生になって、ぼくの音楽の興味が、カントリー&ウェスタンからブルーグラス、そしてフォーク・ソングへと移っていくにつれ、ますますこの楽器のとりことなった。
 一口にバンジョーといっても、4弦、5弦、6弦とさまざまな種類のバンジョーがある。4弦バンジョーはテナー・バンジョーとも呼ばれて、ディキシーランド・ジャズなどでよく使われ、ブルーグラスに登場するのが5弦バンジョーだ。5弦バンジョーには皮が張られたドラムのような本体の裏に、お盆のような木製のリゾネーターが付いた底付きのものと、それが付いていないオープン・バックのものとがある。ぼくはこの5弦バンジョーに夢中になった。

 バンジョーに夢中になったぼくの最初のバンジョー・ヒーローはグランパ・ジョーンズだ。どこかコメディアンの要素も持ちながら、バンジョーがやたらとうまい、その意外な組み合わせが大きな魅力で、彼の代表曲のひとつ「You All Come」を聞いては、「ヨーカン、ヨーカン」といつも大きな声で歌っていた。
 日本で手に入るグランバ・ジョーンズのアルバムを手に入れ、ラジオをFENに合わせて、よく聞こえはしないものの、彼が出演するグランド・オール・オープリーの実況番組によく耳を傾けていた。
 5弦バンジョーもほしかったが、まだ中学生の分際、ヤマハの安いウクレレしか手に入れることができず、そのボディにマジック・インクで「Nakagawa Jones」と落書きして、グランパ・ジョーンズ気取りで「ヨーカン、ヨーカン」と歌っていた。それにしてもウクレレとバンジョーはまるで違う。しかもグランパ・ジョーンズにあやかりたいのなら、グランパ中川とするのが普通だろう。もしくは百歩譲ってゴロウ・ジョーンズだ。今にして思えば中川ジョーンズなんて、何ともいい加減なネーミングをしたものだ。

 グランパからぼくの興味は(知る人ぞ知る)ストリングビーンへと広がり、それからブルーグラス音楽にどんどん深入りするようになってからは、アール・スクラッグスやラルフ・スタンレーなど、「本格的」なバンジョー・プレイヤーに熱心に耳を傾けるようになった。やがてフォーク・ソングと出会ってからは、必然的にピート・シーガーへと辿り着き、高校生になった頃には、国産のピアレス製の安い5弦バンジョーも手に入れ、当時すでに翻訳されて出版されていたピート・シーガー著の『5弦バンジョーの弾き方』も、もちろん買い求めた。
 そして1960年代後半、日本のフォーク・ソング・ムーブメントが広がっていく中で、すでに人前で歌い始めていたぼくは、いろんな仲間と出会うようになった。そしてバンジョーに魅せられている人がたくさんいることに改めて気づかされた。バンジョーはとても人気のある楽器だったのだ。

 その頃に知り合い、生涯の友となった高田渡さんもバンジョーが好きで、ギターかウクレレを改造して自家製のバンジョーを作ったことがあると打ち明けられた。フォーク・ソング仲間で知り合った最初の本格的なバンジョー弾きは岩井宏さんだったが、やがて一緒に活動することも多かった村上律さんも、バンジョーの腕をめきめきとあげていった。
 書き忘れたが、ぼくはビアレスの5弦バンジョーを手に入れ、立派な教則本も買って、この楽器に挑戦してはみたのだが、バンジョーの正しい弾き方はとても難しかった。ぼくには歯が立たず、いつのまにかぼくのピアレスは、村上律さんの手に渡ってしまったのではなかっただろうか。

 それから40年、最初に好きになったバンジョーへの思いは断ちがたく、ぼくは以前からその存在を知っていた6弦バンジョーに急接近することになった。ギター・バンジョー、バンジター(バンジョー+ギター)、ギタジョー(ギター+バンジョー)などと呼ばれることもあるこの楽器は、ボディはバンジョーだがネックはギターという混血児的な楽器で、何となくにせものっぽい感じがするが、歴史もあるれっきとした楽器だ。
 何しろネックがギターなので、ギターが弾ければ誰でも弾け、それでいて音はバンジョーというところがいい。ニール・ヤングやジェシー・ハリスも愛用している。
 ぼくはギター・バンジョーを手に入れることにした。最初は国産のアリアを手に入れたが、ぼくにはとても弾きづらく、今度はアメリカのブランドで中国製のゴールド・トーンを手に入れた。これは弾きやすく、ひじょうに気に入ったが、そのうちいちばん欲しかったアメリカ製のディーリングの6弦バンジョーがようやく手に入り、最近のぼくのライブは、ギター・バンジョーなしでは成立しないまでになってしまっている。ライブの半分くらいの曲はギター・バンジョーで演奏している。

 ギター・バンジョー熱が高まったのと時を同じくして、ぼくはまたバンジョーが入っている音楽を片っ端から聞くようになった。耳を傾けるのは、4弦だろうが、5弦だろうが、6弦だろうが、はたまた12弦だろうが(ディーリングやゴールド・トーンから発売されている)何でもOK。とにかくバンジョーが入っているというだけで、ぼくの食指は動き、ジャンルやスタイルに関係なく、そのCDを買い求めずにはいられなくなるのだ。

 前置きが長くなってしまった。というかもうこの原稿の半分近くまで来てしまった。
 そんなわけで、今回は最近のぼくのお気に入りのバンジョーの入った音楽、バンジョーを弾くミュージシャンのことを取り上げたい。最初は素晴らしい女性バンジョー・プレイヤー、アビゲイル・ウォッシュバーン(Abigail Washburn)のことを書こうと思ったが、彼女の最新アルバム『Song of The Traveling Daughter』が発表されたのが2005年とちょっと古いので、今年新しいアルバム『Genuine Negro Jig』が出たばかりのカロライナ・チョコレート・ドロップス(Carolina Chocolate Drops)のことを書くことにする。

 バンジョーはそもそもアフリカが起源の楽器だ。奴隷としてアフリカからアメリカに連れて来られた黒人たちが、ふるさとで親しんでいた楽器を思い出してバンジョーを作り出した。最初は黒人たちの間で弾かれ、黒人が奏でる伝統音楽に欠かせない楽器だった。しかしいつしか白人たちも弾くようになり、ブルーグラスやフォーク・ソングの世界での人気楽器となって、今では白人の楽器としてのイメージが強くなってしまった。そしておかしなことに黒人がバンジョーを弾いていると、もともとは彼らの楽器なのに、奇異の目で見られるようにまでなってしまった。

 カロライナ・チョコレート・ドロップスは、5弦バンジョー、4弦バンジョー、フィドル、ギター,オートハープ、ジャグ、ボーンズをはじめとするさまざまな小物のパーカッション楽器などを使って、主に地元ノース・カロライナやサウス・カロライナの山中や麓に伝わる伝統音楽を演奏する三人組だ。
 カロライナやアパラチャ山脈の伝統音楽のミュージシャンといえば、どうしても白人ばかりが思い浮かぶ。しかしカロライナ・チョコレート・ドロップスの三人は全員が黒人、しかもまだ20代後半か、30代になったばかりの若い世代だ。
 自分たちのルーツの楽器を使い、自分たちの先祖にも繋がる伝統音楽を奏でる、アメリカの黒人ミュージシャンはこれまでなかなかいなかったように思う。いたとしても、その存在が広く知られることはあまりなかった。カロライナ・チョコレート・ドロップスの活躍と共に、これまであまり顧みられることのなかったブラック・ストリング・バンドの音楽が、今新たに注目されつつある。

 カロライナ・チョコレート・ドロップスが結成されたのは2005年頃のことで、インターネットの「ブラック・バンジョー:昔と今(Black Banjo: Then & Now)」というサイトを通じて、カロライナの二人の学生、リアノン・ギデンス(Rhiannon Giddens)とジャスティン・ロビンソン(Justin Robinson)、そしてアリゾナに住んでいた学生ドム・フレモンズ(Dom Flemons)の三人が知り合うことになった。
 2005年春にノース・カロライナ州のアッシュヴィルで開かれたブラック・バンジョー・ギャザリングにドムは参加し、彼はそのままアリゾナに帰ることなく、アパラチャ山脈の東部にあるピードモント高原に住み着くことになった。
 そしてその年の夏から秋にかけ、リアノン,ジャスティン、ドムの三人は、毎週木曜日の夜にノース・カロライナ州マビン(Mebane)の町まで旅し、当時80代後半だった黒人のオールド・タイム・フィドラー、ジョー・トンプソン(Joe Thompson)の家を訪れ、彼とジャム・セッションをした。一日の厳しい労働の後、ジョーが仲間たちと一緒にバック・ポーチで奏でていた、まさにその音楽を若い三人は彼から直々学んでいった。

 彼らがカロライナ・チョコレート・ドロップスを結成したのは、まさにジョーが自分の家で奏でている音楽に光を当て、それを家の中だけに閉じ込めておくのではなく、広く世に伝えるためだった。彼らはバンド名も、1930年代に活躍した黒人三兄弟のバンド、テネシー・チョコレート・ドロップスに敬意を表し、カロライナ・チョコレート・ドロップスとした。
 いろんな町の広場やファーマーズ・マーケット、はたまたライブハウスなど、時には90歳近いジョー・トンプソンも引っ張り出して演奏活動を続けるうち、カロライナ・チョコレート・ドロップスの存在はだんだんと知れ渡るようになって行った。
 そして2006年の春にカロライナ・チョコレート・ドロップスは初めてのアルバム『Sankofa Strings』を発表し、今年2月の最新作『Genuine Negro Jig』は、彼らにとって早くも通算5枚目のアルバムとなる。5枚の中には彼らがジョー・トンプソンと共演したライブ・アルバム『Carolina Chocolate Drops & Joe Thompson』もある。またバンドでのアルバムとは別に、ドム・フレモンズはソロ・アルバムも二枚発表している。

 最新作の『Genuine Negro Jig』も、三人はバンド結成時から変わることなく、バンジョーやフィドルなどの伝統楽器で、カロライナに伝わる伝統音楽を奏でている。しかしそれだけに終始するわけではない。新たに作られた彼らのオリジナル曲があったり、1976年生まれの女性リズム&ブルース・アーティスト、ブルー・カントゥレル、それにトム・ウェイツ、はたまた1960年代から70代にかけて活躍したブリティッシュ・トラッド・シンガーのアン・ブリッグスの曲をリアノンがアカペラで歌っていたりして、伝統の再現にかまけるだけでなく、ジャンルを超えさまざまな音楽に挑戦し、吸収しようとする、若い彼らのしなやかさやしたたかさが、アルバムからはしっかりと伝わってくる。

「伝統は道案内であって、自由を奪う足枷ではない。ぼくらは昔ながらの伝統にのっとって音楽を奏でる。でもぼくらは今の時代のミュージシャンなんだ」という、ジャスティン・ロビンソンの言葉が、バンドの姿勢や、彼らがやっていること、やろうとしていることを簡潔に言い表わしている。
 カロライナ・チョコレート・ドロップスは、2008年、ナッシュヴィルにあるカントリー音楽の殿堂で開かれる、グランド・オール・オープリーに招待され、そこで演奏した初めての黒人のストリング・バンドにもなった。
 カロライナ・チョコレート・ドロップスのような存在こそが、大切なルーツにこだわりながらも、明るくバンジョーを奏で、音楽の垣根を取り払い、すべてを繋ぐ音楽の大きさを、力をぼくらに再認識させてくれるのだとぼくは思う。

中川五郎(なかがわ・ごろう)
1949年、大阪生まれ。60年代半ばからアメリカのフォーク・ソングの影響を受けて、曲を作ったり歌ったりし始め、68年に「受験生のブルース」や「主婦のブルース」を発表。
70年代に入ってからは音楽に関する文章や歌詞の対訳などが活動も始める。90年代に入ってからは小説の執筆やチャールズ・ブコウスキーの小説などさまざまな翻訳も行っている。
最新アルバムは2017年の『どうぞ裸になって下さい』(コスモス・レコード)。著書にエッセイ集『七十年目の風に吹かれ』(平凡社)、小説『渋谷公園通り』、『ロメオ塾』、訳書にブコウスキーの小説『詩人と女たち』、『くそったれ!少年時代』、ハニフ・クレイシの小説『ぼくは静かに揺れ動く』、『ボブ・ディラン全詩集』などがある。
1990年代の半ば頃から、活動の中心を歌うことに戻し、新しい曲を作りつつ、日本各地でライブを行なっている。

中川五郎HP
https://goronakagawa.com/index.html

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