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【アーカイブス#47】ビリー・ブラッグ *2013年4月

 ぼくにとって歌の師=ティーチャーとなるのは、ぼくより上の世代のミュージシャンやバンド、すなわち大先輩ばかりではない。ぼくよりも下の世代、時にはうんと若い世代のミュージシャンやバンドからも、いろんなことを教えられ、大いなる刺激を受けることが多々ある。
 ビリー・ブラッグ(Billy Bragg)は、1957年12月にロンドン郊外のバーキングという町で生まれているので、ぼくよりも8年ほど年下になるが、彼の歌はぼくにとってはインスピレーションの塊で、ほんとうに多くのことをいっぱい学ばせてもらっている。

 ビリーが本格的に音楽活動を始めたのは1970年代後半、リフ・ラフ(Riff Raff)というパンク・ロック/パプ・ロック・バンドのメンバーとしてだったが、このバンドはあまり注目されることなく終り、彼は81年にたった三か月だけだったがイギリスの軍隊に入隊するというまったく別の道を選んでしまう。
 除隊後ビリーは音楽活動を再開し、今度はソロのシンガー・ソングライターとして、歌える場所があればパブでもクラブでもホールでも路上でも、エレクトリック・ギター片手に背中にアンプを背負って出かけて行った。このユニークなスタイル、そして政治的、社会的なメッセージをストレートに伝える歌の数々が話題となり、1983年の夏にはデビュー・アルバムの『Life’s Riot with Spy Vs. Spy』がリリースされ、ビリーはその存在を広く知られるようになっていった。
 ぼくがビリー・ブラッグを知ったのもそのアルバムによってで、7曲入りで収録時間は20分にも満たない短い作品集だったが、そこに収められていた「The Milkman of Human Kindness」、「New England」、「The Man In the Iron Mask」といった曲に強く心を打たれ、たちまちのうちに彼の歌の虜となってしまった。
 エレクトリック・ギターをかき鳴らしながら、強烈なロンドンのコックニー訛りで歌われるビリーの歌は、その頃ぼくが好んで聞いていたアメリカのフォーク・シンガーやシンガー・ソングライターの歌とは異質のものだった。しかし表面的なスタイルの違いはあっても、ビリーの歌の底に流れている精神というか歌の根っこになっているものは、ウディ・ガスリーやピート・シーガーが切り拓き、築き上げて来たフォーク・ソングと共通し、共鳴し合うものだとぼくは確信することが出来た。

 それから30年、ぼくはビリー・ブラッグの熱心な聞き手であり続け、これまで10数枚発表されたオリジナル・アルバムは一枚も欠かすことなく耳を傾けている。そして自分自身の歌を探し、作っていく上で、大きな影響を受け、ほんとうに多くのことを教えてもらっている。
 1980年代の半ばから90年代の半ばにかけては、日本の洋楽シーンもまだまだよかった時代で、ビリー・ブラッグの新作が出れば、必ず日本盤が登場していた。そして嬉しいことにぼくは何枚かアルバムの解説を書かせてもらったことがある。
 その後ビリーのソロ・アルバムはしばらく発表されなくなり、ウディ・ガスリーの残した歌詞や詩に曲をつけたウィルコと一緒のセッションが『Mermaid Avenue』というタイトルのもと何枚か出たり、ザ・ブロークス(The Blokes)という新しいバンドと一緒に作ったアルバム『England, Half English』が出たりしたが、久しぶりのソロ・アルバムとなった2008年の『Mr. Love and Justice』もソニー・ミュージックから日本盤がリリースされ、その時もぼくが解説や歌詞対訳を担当させてもらった。 

 ビリーは何度も日本にもやって来ていて、小さなライブ・ハウスから大きなフェスティバル、クラブやレコード・ショップの店頭ライブなど、いろんなところで歌っているが、もちろんぼくは可能なかぎり足を運び、彼の生演奏にも触れている。
 また音楽活動だけでなく、ビリーは1984年の炭鉱夫たちのストライキに連帯するミュージシャンたちの集まり「Red Wedge」のオーガナイズ、マーガレット・サッチャー保守政権への抵抗運動、原子力発電所やレイシズムに反対するさまざまな運動など、社会的な活動にもミュージシャンとして、そして一個人として積極的に関わり続けていて、まったくぶれることのないその姿勢も、ぼくにとっては大きなお手本となっている。

 そんなぼくにとっての偉大なるティーチャー、ビリー・ブラッグの新しいアルバムが登場した。オリジナル・ソロ・アルバムとしては2008年の『Mr.Love and Justice』に続くもので、5年ぶりの作品となる。タイトルは『Tooth & Nail』というもので、ぼくはイギリスのCooking Vinylから発売されたCDとDVDの二枚組、そして36ページの大判ブックレット付きの限定版ブックパック・エディションを手に入れた。CDには新曲12曲、DVDには1968年から2002年までの10曲のプロモーション・ビデオが収められ、ブックレットには歌詞やレコーディング風景の写真に加えて、ビリーがイギリスの音楽雑誌『Q』に2008年12月から2011年3月にかけて寄稿した9篇のコラム原稿も収録されている。

 ビリーの新しいアルバム『Tooth & Nail』は、ここ最近名プロデューサーとしてジャンルや世代を超えて素晴らしい作品を生み出し続けているジョー・ヘンリーによってプロデュースされていて、カリフォルニアはサウス・パサディナにあるジョーのホーム・スタジオで、五日間ぶっ続けでレコーディングが行なわれて完成している。
 レコーディング・セッションにはグレッグ・リーズ(ギターやペダル・スティール・ギター、ドブロ、マンドリンなと)、パトリック・ウォーレン(ピアノ、オルガン、オートハープなど)、デヴィッド・ピルチ(アップライトとエレクトリック・ベース)、ジェイ・ベルローズ(ドラムスとパーカッション)といった名うてのミュージシャン四人が集められ、そこにアコースティック・ギターを弾きながら歌うビリーが加わって、恐らくスタジオ・ライブのようなかたちで録音が進められていったと思える。どの曲の演奏もとても自然なグルーブがあって、ライブ感覚に溢れ、気心の知れた音楽仲間が集まってこその親密であたたかな雰囲気が楽しめるからだ。

 ビリー・ブラッグのことを政治的、社会的なメッセージをストレートに伝える歌を歌っていると最初に書いたが、そしてもちろんそれは事実なのだが、だからといって彼は頭でっかちでドグマティックな、スローガンのようなプロテスト・ソングを作って歌っているわけでは決してない。どんなに政治的なことを歌っても、彼が作って歌う歌にはあたたかな心が宿っていて、彼個人のとてもパーソナルな視点も持ち合わせている。そんなパーソナルでハートフルなメッセージ・ソングを歌っているというところがビリーのいちばんの魅力であり、彼の個性であり、特色だと言えるだろう。
 前作『Mr.Love & Justice』もそうだったが、最新作の『Tooth & Nail』でも、ビリーはあからさまに政治的な歌を歌うことがなくなり、その歌は愛や感謝、希望や信念、日々の大切な営み、そして喪失の悲しみなどを歌ったヒューマンでパーソナルなものが中心になっている。しかしその歌を底でしっかりと支えているのは、独裁や圧政、差別や欺瞞、搾取や陰謀、戦争や人命軽視を決して許すことなく、どんな時も弱い者や持たざる者と一緒にいようとする、彼の揺るぎのない政治観だ。
 この新しいアルバムを聞いて、あたたかく落ち着いたサウンドに、ビリーも丸く穏やかになったという印象を思わず抱いてしまう人もいるかもしれないが、30年ずっとビリーの歌を聞き続けてきた熱心な生徒のひとりのぼくとしては、それはまったく逆で、彼はこれまで以上に強く逞しく、そして熱く深く激しくなっていると思う。何度も何度も聞き返せば、誰もがきっとぼくの意見に同意してくれるはずだ。

 自分はとても無器用で家の中の雑用は何ひとつとしてまともにできないけれど、歌を作ったり詩を書いたりすることは得意だよと歌われる「Handyman Blues」、別れた人と縒りを戻したいのにプライドが邪魔してそれができない男の気持ちが歌われた「Swallow My Pride」、自分がしてもらいたいように相手にもしておやりという聖書の言葉が歌い込まれた「Do Unto Others」、希望を捨てないことの大切さを歌う「Tomorrow’s Going To Be A Better Day」、『Mr.Love & Justice』の日本盤にボーナス・トラックに収められていた、親しい友だちに別れを告げてこの世から去って行く男の歌「Goodbye, Goodbye」、ジョー・ヘンリーの歌詞にビリーが曲をつけた「Over You」と「Your Name On My Tongue」の2曲、そしてあっと驚くスロー・テンポのアレンジで朗々と歌われるウディ・ガスリーの「I Ain’t Got No Home」のカバーなどなど、聞くほどにビリーの歌が心の奥に染み込んで来るほんとうに素晴らしいアルバムだ。
 アルバム・タイトルの『Tooth & Nail』は、英語の慣用句で、何かを得ようと、何かを成就しようと、全力を尽くして必死になるという意味で、まさにビリー・ブラッグの生き方を、彼の歌を象徴する言葉ではないか。

中川五郎(なかがわ・ごろう)
1949年、大阪生まれ。60年代半ばからアメリカのフォーク・ソングの影響を受けて、曲を作ったり歌ったりし始め、68年に「受験生のブルース」や「主婦のブルース」を発表。
70年代に入ってからは音楽に関する文章や歌詞の対訳などが活動も始める。90年代に入ってからは小説の執筆やチャールズ・ブコウスキーの小説などさまざまな翻訳も行っている。
最新アルバムは2017年の『どうぞ裸になって下さい』(コスモス・レコード)。著書にエッセイ集『七十年目の風に吹かれ』(平凡社)、小説『渋谷公園通り』、『ロメオ塾』、訳書にブコウスキーの小説『詩人と女たち』、『くそったれ!少年時代』、ハニフ・クレイシの小説『ぼくは静かに揺れ動く』、『ボブ・ディラン全詩集』などがある。
1990年代の半ば頃から、活動の中心を歌うことに戻し、新しい曲を作りつつ、日本各地でライブを行なっている。

中川五郎HP
https://goronakagawa.com/index.html

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