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【アーカイブス#57】リンダ・トンプソン *2014年3月

 去年2013年の秋に発表されたリンダ・トンプソン(Linda Thompson)の6年振りのアルバム『Won’t Be Long Now』(Pettifer Sounds CD PET 1001)がとても素晴らしく、ここのところ何度も繰り返し聴き続けている。今月はこのアルバムのこと、リンダ・トンプソンのことを書いてみたい。

 ぼくがリンダ・トンプソンの存在を気にするようになったのは、1972年にサンディ・デニーやリチャード・トンプソン、アシュレー・ハッチングスといったブリティッシュ・フォーク・シーンの人気者たちが集まってザ・バンチ(The Bunch)というスーパー・バンドを組み、1950年代のオールディズを演奏するアルバム『Rock On』を発表した時、そこにリンダも参加して「Locomotion」や「When Will I Be Loved」などを歌っていたからだ。その頃ぼくはブリティッシュ・フォークにもとても興味があり、フェアポート・コンベンションやスティーライ・スパン、リンディスファーンなどのアルバムに熱心に耳を傾けていた。
 すぐにもリンダはサンディ・デニーのアルバムやフェアポート・コンベンションのアルバムにヴォーカルで参加したり、リチャードとサイモン・ニコルと三人でHokey Pokeyという名前のトリオで活動したりと、その名前をよく見かけるようになるのだが(その頃彼女はリンダ・ピータースと名乗っていた)、すぐにもリチャードと結婚してリチャード&リンダ・トンプソンという夫婦デュオとして活躍するようになった。
『Rock On』に参加する前も、リンダは60年代の中頃からサンディ・デニーなどと一緒にロンドンのフォーク・シーンで歌っていて、ポール・マクニールと一緒にポール&リンダというデュオを組んでシングル盤も発表していたりと、よく知られていた存在だということも後でいろいろと調べてわかった。

 1972年に結婚したリチャードとリンダは、公私共のパートナーとして、1974年の『I Want to See the Blight Lights Tonight』を1枚目に、『Hokey Pokey』(1975)、『Pour Down Like Silver』(1975)、『First Light』(1978)、『Sunnyvista』(1979)、『Shoot Out The Lights』(1982)と、6枚のスタジオ録音アルバムを発表し、バンドでのツアー活動も盛んに行なった。もちろんリンダはリチャード&リンダ・トンプソン・バンドの歌姫として、素晴らしいソロ・ヴォーカルやリチャードとの見事なハーモニー・ヴォーカルを聞かせ、その中心的存在だったが、バンドのイニシアティブは、ほとんどの曲作りを手がけ、音楽の方向性も決めていたリチャードが握っていたように思う。
 リチャードは1973年にイスラムの神秘主義のスーフィー教の熱心な信者となり、リンダも夫と一緒にコミューン生活に入り、リチャードは音楽活動からの引退を宣言したりもしたが、数年後には二人で音楽シーンに復帰している。リチャードとリンダは、長女のムナ、長男のテディ、次女のカミラ(カミ)と三人の子どもを儲けたが、1983年にカミラが生まれてすぐに、新しいパートナーができたリチャードはリンダのもとを去っている。

 ソロとなってからのリチャード・トンプソンの活躍ぶりはめざましく、ぼくはそれを大喜びしながらも、その一方でリンダのことが気になって仕方がなかった。リチャードが書いた曲を中心に歌っていたリンダは、もしかすると公私共のコンビの解消と共に歌うことをやめてしまうのではないかと不安になったりもした。
 話はちょっと脱線するが、ぼくは夫婦のデュエットにとても興味があり、しかもそのデュエットが別れたりすると、男性よりも女性の方のその後の活動がとても気になってしまう。もちろんそれはぼく自身の個人的な体験とも重なっているのだが(詳しくはまた別の機会に書こう)、夫婦デュオ解散後、恐らくはデュオ時代に夫に牛耳られていたと思える女性が、のびのびと羽ばたいて歌っていたりすると、何だかとても嬉しくなってしまうのだ(稀に逆のケースもあるが)。
 しかしリンダの場合は、破局のストレスからか発声障害を患って2年ほど歌えなくなってしまった。とてもつらく厳しい時期を過ごすことになったが、リンダは芝居の舞台で歌うことからまた徐々に音楽シーンに復帰し、85年には初めてのソロ・アルバム『One Clear Moment』をワーナーから発表した。ところがそのアルバムはどこか無理をして作ったというか、リンダ本来の魅力が発揮されていないような出来映えで、案の定またしても彼女は歌うことをやめてしまい、今度はその時期は15年近くの長きに及んだ。その間彼女は、ロンドンのボンド・ストリートでアンティーク・ジュエリーの店を経営したり、アメリカ人のレコード契約関係のエージェントと再婚をしたりしている。

 1999年には母親の死をきっかけにして、リンダはまたまた歌い始める決意をするが、この時も彼女は発声障害を患ってしまい、その思いを叶えることはできなかった。
 リンダ・トンプソンのシンガーとして、そしてソングライターとしての本格的な復活は、2002年の17年振りのセカンド・アルバム『Fashionably Late』からで、その後間隔はかなりあるものの、2007年の『Versatile Heart』、そして昨年の『Won’t Be Long Now』と、彼女は同じ路線というか、確たる自分の世界を見つけ、それを固め深めるかたちで着実な音楽活動を展開している。
 アルバム作りだけではなく、ライブ活動も行なっているようだが、それほどしょっちゅうではないようだ。2003年夏にはまさに奇跡とも言える来日公演が決まったが、その時もまたリンダは突然声の調子が悪くなって歌えない状態になり、同行していた息子のテディ・トンプソンが無料のライブを行い、歌えないもののリンダもその場に立ち会っていた。しかしその年の12月には雪辱ライブが敢行され、再びテディと一緒に来日したリンダは日本各地7か所を回り、素晴らしい歌声を聞かせてくれたのだ。

 2002年の『Fashionably Late』以降、リンダが見事に甦ったのは、自らの原点であるブリティッシュ・フォークの昔の仲間との絆を取り戻すと同時に、1976年に生まれた息子のテディやその妹のカミ、あるいは昔の親しい仲間だったカナダのケイト&アナ・マクギャリグルのケイトの子どもたちのルーファス・ウェインライトやマーサ・ウェインライトといった、自分の子ども、自分の子どもの世代と手を組んで曲作りや演奏を行なうことによってだった。『Fashionably Late』以降、リンダのアルバムでは、マーティン・カーシー、デイヴ・マタックス、デイヴ・スワーブリック、ジェリー・ドナヒュー、ダニー・トンプソン、ジェリー・コンウェイ、ジョン・カークパトリック、ロバート・カービーといったかつてのブリティッシュ・フォーク時代の仲間、そしてテディ、カミ、ルーファス、マーサ、イライザ・カーシー(マーティン・カーシーの娘)、ジェニ・マルダー(ジェフ&マリア・マルダーの娘)、エイミー・ヘルム(リヴォン・ヘルムの娘)、サム・アミドン(1981年生まれ)、ジョン・ドイル(1971年生まれのアイルランド出身のギタリスト)など自分の子どもや子どもの世代のミュージシャンたち、すなわち親子の世代がひとつに交わり、その中でリンダは自分の原点に立ち返ると共に新しい世代の斬新な感覚をも採り込んだ、大胆で過激で独創的な温故知新の世界を作り上げている。最新作の『Won’t Be Long Now』では、初めて長女のムナ・トンプソンが参加しているだけでなく、孫のザック・ホッブスもギターとマンドリンを弾いている。

 微妙なのがかつての夫のリチャード・トンプソンの存在で、『Fashionably Late』では1曲目の「Dear Mary」1曲だけでエレクトリック・ギターとバッキング・ヴォーカルで参加し、『Versatile Heart』では「Blue & Gold」というテディとの共作曲で「リチャード・トンプソンのアイディアがもとになっている」とクレジットされ、リンダは彼のことを「あまり知られていないけど、とんでもなく役に立つギタリスト」と、皮肉たっぷりに紹介している。
 そして『Won’t Be Long Now』でも、リチャードは1曲目のリンダがルーファス・ウェインライトのために書いた「Love’s For Babies and Fools」1曲だけでアコースティック・ギターを弾いている。これがリンダの歌とリチャードのギターの二人だけの演奏なのだが、めちゃくちゃ素晴らしい。しかも歌詞が自分はひどい仕打ちを受け、愛に傷つき、もう自分のことしかかまわないことにした、恋なんて子どもや愚か者のためのものという痛烈な内容なのだ。それを別れた夫婦が歌とギターとの真剣勝負で演奏していて、そこにはまさに鬼気迫るものがある。
 そういえばリンダの歌は、男に裏切られたり、騙されたり、約束を信じて待ち続けたものの自分のもとには帰って来なかったといったような不実な男の歌がとても多く、そうした歌を歌う彼女はほんとうに素晴らしい。もちろん彼女が今もリチャードとの別れにこだわっているからだなどとは絶対に言ったりはしないが…。
『Won’t Be Long Now』のリリースに合わせて行なわれたイギリスの音楽雑誌『Uncut』のインタビューでリンダは「『Love’s For Babies and Fools』では、リチャードとてもうまくいった。また一緒にやってもいいかもね。まさかそんなことはなくて、今は彼のことを家族の一部(part of the family)して見ているだけよ」と語っている。

 またアメリカのNPR(National Pubric Radio)のレビューでは、「『Won’t Be Long Now』には時を超越しているようなところがある。収められてる曲は百年も前に歌われていたようでもあり、つい先週作られてレコーディングされたようでもある」と書かれているが、まさにそれこそが温故知新、故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知るだけではなく、古い友と再会し、新しい子どもたちとも一緒になって作り上げるリンダ・トンプソンの旧くて新しい歌の世界の最大の魅力なのだと思う。願わくばリチャードももっとその世界に混ぜてあげてほしい。

中川五郎(なかがわ・ごろう)
1949年、大阪生まれ。60年代半ばからアメリカのフォーク・ソングの影響を受けて、曲を作ったり歌ったりし始め、68年に「受験生のブルース」や「主婦のブルース」を発表。
70年代に入ってからは音楽に関する文章や歌詞の対訳などが活動も始める。90年代に入ってからは小説の執筆やチャールズ・ブコウスキーの小説などさまざまな翻訳も行っている。
最新アルバムは2017年の『どうぞ裸になって下さい』(コスモス・レコード)。著書にエッセイ集『七十年目の風に吹かれ』(平凡社)、小説『渋谷公園通り』、『ロメオ塾』、訳書にブコウスキーの小説『詩人と女たち』、『くそったれ!少年時代』、ハニフ・クレイシの小説『ぼくは静かに揺れ動く』、『ボブ・ディラン全詩集』などがある。
1990年代の半ば頃から、活動の中心を歌うことに戻し、新しい曲を作りつつ、日本各地でライブを行なっている。

中川五郎HP
https://goronakagawa.com/index.html

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