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【アーカイブス#66】リチャード・トンプソン *2015年2月

 2月26日の夜、ビルボードライブ東京で行われたリチャード・トンプソンのライブを見に行った。ビルボードライブ東京は六本木の防衛庁跡にできたとてもお洒落な東京ミッドタウンの中にあり、ガーデンテラスの4階にあるお店もまた実にお洒落な感じなので、そんなところでかしこまって音楽を聞くなんてと、つい敬遠してしまう人もいるかもしれない。ぼくも最初は敷居の高さが気になったが、何度も足を運ぶうちお店の雰囲気やシステムにも慣れて、気持ち良くライブを楽しめるようになった。 
 何よりも音が素晴らしく、うまくいけばステージ間近の席に案内されることもあって、大好きなミュージシャンの演奏をかぶりつきで見ることができる。ワインもちょっと高いが、とてもおいしいものを選んで提供してくれる。それにビルボードライブ東京には、リチャード・トンプソンをはじめとして、ぼくの大好きなミュージシャンがいっぱい登場してくれるのだ。今年になってマーサ・ウェインライトやジュリア・フォーダム、シャロン・ヴァン・エッテンを見に行ったし、この先も5月にはジョン・ハイアット、6月にはJ.D.サウザーがやって来る。去年以降の古い話になると、ここで見たエリック・アンダースンやエディ・リーダー、ヴァシュティ・ヴァニヤンなどのステージも忘れがたい。

 リチャード・トンプソンは2014年の夏に『アコースティック・クラシックス』というアルバムを発表した。それはタイトルどおりこれまでの代表曲をアコースティック・ギターのソロで新たに録音し直しているものだが、今回のビルボードライブ東京のステージは、リチャードとベースのタラス・プロドヌーク、ドラムスのマイケル・ジェロームの三人編成で、リチャードはおもにエレクトリック・ギターのストラトキャスターを弾きまくり、何曲かはローデンのアコースティック・ギターに持ち替え、アコースティック・ギターのソロでは聴衆のリクエストに応じて即座に演奏する場面もあった。
『アコースティック・クラシックス』の前作が2013年の春に発表された『エレクトリック』で、そのアルバムはリチャードがタラスとマイケルのリズム・セクションをバックにエレクトリック・ギターを弾きまくって歌っている。今回のビルボードライブ東京のステージはまさにその再現というか、それ以降に誕生した新曲もいっぱい披露して、より進化した“エレクトリック”の世界を存分に楽しめるものとなっていた。

 ビルボード・ライブ東京のステージは、エレクトリック・トリオで新しい曲を積極的に演奏したいというリチャードの姿勢がしっかりと伝わってくるものだった。ミュージシャン歴48年、この4月で66歳になるリチャードは、過去の代表曲、人気曲もいっぱい持っているが、過去の栄光だけに寄りかかったり、懐かしの名曲を演奏して昔からのファンを満足させることだけを考えるようなことは決してなく、とにかく今の自分を見てほしい、聞いてほしいという彼の強い思いがはっきりと伝わってきた。その姿勢や思いこそが、リチャードの音楽を永遠に若々しいもの、新しいものにしているとぼくには思えた。
 とはいえ「Shoot Out The Lights」や「I Want See The Bright Light Tonight」、それに1969年のフェアポート・コンヴェンションのセカンド・アルバム『What We Did On Our Holidays』の中の名曲「Meet On The Ledge」なども、決して「懐メロ」としてではなく、今のみずみずしい歌として聞かせてくれた。

 ライブでは一曲目からバリバリ弾きまくるリチャード・トンプソンのエレクトリック・ギターに圧倒され、その指に目が釘付けになっている人たちがたくさんいたが、それは当然というものだろう。リチャードのギターはテクニックがすごいだけでなく、そのフレーズや音の出し方も常軌を逸しているというか、とにかく斬新で、彼にしかできない独自のスタイルを確立している。アコースティック・ギターに持ち替えてもそうで、リチャードならではの力強くも繊細で表情豊かな音を紡ぎだす。微妙にチュニングが狂っていたりすると、歌って弾きながらどうってことないという感じできちんと合わせてしまう技にも脱帽だ。
 ぼくもリチャードのギター・テクニックに心を奪われ、目がその指に釘付けになってしまった一人だが、ライブでは彼の見事なギタリストぶりを堪能するだけでなく、シンガーとしての、ソングライターとしての素晴らしさにも改めて感動させられてしまった。彼の歌は重いメッセージを運ぶこともあれば、興味深い物語を伝えることもあり、そこには何とも洒脱なユーモアが込められていることもある。そうした歌をリチャードは自分の肉体の中に完全に沈めてから、それを外に向かってぶつける。彼の歌い方の力強さ、誠実さ、揺るぎなさ、溢れる説得力の秘密はそんなふうにひとつひとつの歌を完全に自分のものとして消化吸収しているところにあるのではないだろうか。
 そしてリチャードの歌とギターを支えるというか、一緒になって攻めてくるマイケル・ジェローム(ジョン・ケール、ブラインド・ボーイズ・オブ・アラバマ、ベター・ザン・エズラなどと活動)のドラムス、タラス・プロドヌーク(マール・ハガード、ドゥワイト・ヨーカム、ルシンダ・ウィリアムスなどと活動)のエレクトリック・ベースもお見事で、コーラス・ハーモニーも美しく、完全に三位一体のリチャード・トンプソン・トリオとしての演奏になっていた。

 ビルボードライブ東京でのリチャード・トンプソン・トリオの演奏を楽しみながら、ぼくがふと思い出したのは、1980年代や90年代、ぼくがせっせと音楽の原稿を書いていた音楽ライター時代の頃のことだった。当時はコンサート評も書くことが多く、時には海外までコンサートを見に行くこともあったが、まだインターネットが発達していない時代、見に行ったコンサートのミュージシャンがどんな曲を演奏したのか、どんなふうに演奏したのか、曲の合間に何を喋ったのか、誰と一緒に演奏したのかなど必死でメモしたものだ。もちろん新曲をやられたりするとタイトルなどはまったくわからないし、早口での喋りやメンバー紹介は聞き取れないことも多々あった。客席の暗闇の中でせっせとメモを取っているぼくを見て、「いったい何をやっているの?」と聞かれることもあった。
 ところが今はインターネットを検索すれば、ライブ会場で聞き取れなかったメンバーの名前も、それがどんな人物なのか、いつ頃から一緒にやっているのかといったことがすぐにわかる。ミュージシャンによってはコンサートの演奏曲、セット・リストを自分のページで発表している人もいるし、ファンがアップしていることもある。新曲にしても時間をかけて調べれば、どこかで引っかかってくることが多い。
 何て便利な時代になったのだろうと思う。あらゆる情報はあらゆる人たちの前に平等に開かれているのだ。あとは調べればいいだけだ。これはコンサートだけでなく、あるミュージシャンについて、その経歴について、新しいアルバムについて、ツアーについてなどを調べる時にもすべてあてはまる。
 ぼくはもう昔のように音楽の原稿をたくさん書かないようになってしまったし、コンサート評を依頼されることもまったくなくなってしまったが、あらゆる情報が誰もに等しく開示されているこんな時代だからこそ、今の音楽ライターたちは単なる情報を伝えるだけではない、もっと深くて濃い原稿を書くことを要求されるようになっているのではないだろうか。そして音楽の原稿を書く者にとっては、より厳しくとも、より面白い時代になって来ているように思った。

 最後にもう一度話をリチャード・トンプソンに戻そう。『アコースティック・クラシックス』に続くリチャードの最新アルバムは2014年11月に発表された『Family』というものだ。これは厳密に言えばリチャードのアルバムではなく、リチャード・ファミリーのアルバムで、アルバムのアーティスト名もリチャード・トンプソンではなくトンプソンとなっている。
 アルバムにはリチャードをはじめ、1972年に結婚し、1980年代はじめに離婚するまで、リチャード&リンダ・トンプソンの夫婦デュオとして活動していたリンダ・トンプソン、二人の間に誕生し、今はどちらもミュージシャンとなっているテディ・トンプソンとカミ(カミラ)・トンプソン、カミの夫のジェイムズ・ウォルボーン(カミとジェイムズはザ・レイルズという夫婦デュオでも活動)、リチャードとリンダの長女の息子のザック・ホブス、リチャードと二人目の奥さんナンシー・コヴェイとの間の息子、ジャック・トンプソン、そのほかにもジャケットのファミリー・ツリーの絵には、ポーリーナ、ブルック、ムナといったトンプソン・ファミリーの名前が書かれている。実はこのアルバムは注文したばかりでまだ手もとに届いていなくて、トンプソン・ファミリーの全貌は明らかになっていないのだ。アルバム(CDとCD+DVDの二枚組)の到着がとてもとても楽しみだ。
 それにしても二人で音楽活動をしていた元奥さんとまた一緒にアルバムを作れるなんて、とてもうらやましいし、すごくいいなと思う。自分のことを振り返ると、そんなことってできるんだろうかとつい考えてしまう。しかし『アコースティック・クラシックス』のP-VINEレコードから発売された日本盤の五十嵐正さんの解説を読むとこんなふうに書かれている。
「(トンプソン・ファミリーの)面々が勢揃いするファミリー・アルバムの制作が進行中なのだが、全員がひとつの部屋に集まって作るのではなく、それぞれが数曲ずつ録音したものをテディのところに送り、プロデューサーを務める彼がそれらに他の家族の歌や演奏を加えるという方法で進められているとのこと」
 なるほど、なかなか微妙で複雑な感じがする。そういえば最近のリンダ・トンプソンのアルバムにリチャードも参加してはいるのだが、何となく浮いているような気がしていた。
 いずれにしても今はまず一日も早い『Family』の到着をひたすら待ち続けることにしよう。

中川五郎(なかがわ・ごろう)
1949年、大阪生まれ。60年代半ばからアメリカのフォーク・ソングの影響を受けて、曲を作ったり歌ったりし始め、68年に「受験生のブルース」や「主婦のブルース」を発表。
70年代に入ってからは音楽に関する文章や歌詞の対訳などが活動も始める。90年代に入ってからは小説の執筆やチャールズ・ブコウスキーの小説などさまざまな翻訳も行っている。
最新アルバムは2017年の『どうぞ裸になって下さい』(コスモス・レコード)。著書にエッセイ集『七十年目の風に吹かれ』(平凡社)、小説『渋谷公園通り』、『ロメオ塾』、訳書にブコウスキーの小説『詩人と女たち』、『くそったれ!少年時代』、ハニフ・クレイシの小説『ぼくは静かに揺れ動く』、『ボブ・ディラン全詩集』などがある。
1990年代の半ば頃から、活動の中心を歌うことに戻し、新しい曲を作りつつ、日本各地でライブを行なっている。

中川五郎HP
https://goronakagawa.com/index.html

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