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つらい過去も幸せな今を生む。

(連載「木漏れ日散歩道」第8回)

こんばんは。片耳の歌うカラーセラピストのゴリィです。

カラーセラピーで「こころ」を扱うので、メンタルヘルスに関する科学的な知識を得るべく、メンタルヘルス・マネジメント試験の勉強もしています。先日の地震以降テキストを開いても全く頭に入ってこない状況ではありますが(笑)。

さて、今回は「つらい過去も幸せな今を生む」というテーマで、過去何度か生きることを諦めた僕の話をします。


現在作詞中「0時21分」という曲

昨年突発性難聴を患いましたが、実はそこで済まされず毎月関連性のない病気に次々かかりました。そこで精神的な気力を削られた僕を次に襲ったのは、主に小・中学生のときの辛い記憶です(詳細は思い出したくないので割愛)。精神科の医師からは「PTSDに近い、フラッシュバック」と説明されました。

それが最も酷くなったのが昨年12月。具体的に「どうやって命を絶つか」を具体的に考え、決めてしまいました。それが、現在作詞をしている「0時21分」という歌の冒頭です。

"0時21分に走る回送列車
そこに踏切からダイブすれば
この世から弾き飛ばしてくれるだろう"

実際、0時21分の回送列車は実在し、自宅の近所に踏切もあります。日中は近くの駅に全ての列車が停車するので踏切の列車の通過スピードはゆっくりです。しかし、回送列車は猛スピードで駆け抜けていきます。

実際にこの歌詞の通りのことを考えていましたが、これを書いている時点で、実行していないのは分かりますよね。その時間に踏切の前に佇んだこともありません。

歌自体はそこから「生きることそのものが意味」という感じにしたいんですよ。最近の僕は「ワンコーラス」で終わる曲をメインに書いていますが、これはワンコーラスで終わらないと思います(笑)。

そんなわけで今でもそんなことは考えます。が、以前は生きることを本当に諦めた瞬間もありました。


2004年、赤信号に猛スピードで突っ込む

当時在籍していた会社の顧客管理体制がグダグダだったので、それを「改革」する、ということで「上司」が変わりました。そして、僕が何故か目をつけられました。

毎日、自分の部署とは別の部署(その上司がトップを務めている部署)に呼び出され、新しい顧客管理体制(特にお金の面)の「システム」(これはコンピュータだけでなく、人や書類の動きも含め)を軟禁状態で数ヶ月考えさせられました。怒鳴り散らされ、けちょんけちょんにけなされながら。食事もまともに取る時間もなく(今なら完全にアウトですよね)。

あるとき、そんな状況や自分自身に嫌気がさして、その部署に向かう途中にある大きい交差点の赤信号を目にした瞬間、アクセルをベタ踏みしました。たまたま車が来なかったので事なきを得ましたが、自分がおかしいと気づき、心療内科にいき「うつ病」と診断されました

結果、2週間の休養を命じられ、復帰後は軟禁生活からも解放され、「システム改革」のスピードは減速しながらもなんとか軌道に乗り、その怖い上司とも冗談を言い合える関係になりました。

その後、もう一段高いレベルの管理システムを目指し第2弾の改革、となったのですが「大人の力」が働きその元怖い上司は外れてしまい、僕が事実上の責任者になってしまいなんやかんやで過労死寸前になり、「双極性障害」も発覚しました。

いつの間にか、その「怖い上司」は僕のことを守ってくれる存在に変わっていたのです。そこまで関係に変化があったのは、赤信号で死なずに、その後を辛抱して築いてきた信頼関係なんでしょうね。


2014年、OD・飛び込み・飛び降り・・・

さて、その後いい上司のもとに異動になり精神状態は落ち着いていたのですが、2011年の東日本大震災を境に精神が少しずつ崩壊し始め、あからさまにおかしいと気づいた上司から、精神科に「入院」を命じられました。そこで2カ月休職し一度は持ち直したのですが、精神崩壊は加速度的にひどくなり、それが原因で部署全体の雰囲気も悪くなってしまい、会社に居場所を失くした僕は会社に行けなくなってしまいました。

家でゴロゴロしながらSNSをしたりしていると、「そんな元気あったら会社に来い!!」といわれてみたり、僕がそのままの気持ちをブログに書くとその内容を知った上司から注意を受けたりと、どんどん身動きがとれなくなっていきました。

ある晩、家にある薬を全部飲みました。処方されてる向精神薬やら、風邪薬やら、とにかく全部。いわゆる「OD」です。今の薬は安全にできているのでそう簡単には死ねませんし、起きたらひたすら気持ち悪いだけなので、やるだけ無駄です。

翌日の晩、地下鉄の駅のホームにいました。30分以上、来る電車を見送りながら。どのタイミングで飛び込もうか、ということしか頭にはなく。ただ、その駅は終点なので電車のスピードはゆっくりで、これじゃあ大怪我で余計に苦しむ、と思い諦めました

そして、昔飛び降り自殺が実際にあった集合住宅の最上階(10階)にのぼりました。過去にそういうことがあったので通路はプラスチック板で身を乗り出せないようになっていましたが、非常階段の部分だけそれがありませんでした

10分程真下をぼーっと眺めたのち、身を乗り出しました。あと、もうちょっと前方に体を向けたら落ちる、というタイミングで職場の仲間の笑顔が次々と浮かび、思いとどまりました

翌日、それを仲のいい先輩に話したところ、その日のうちに引き継ぎ期間を置いたのち1年間休職することが決まりました。結局そのまま退職となりましたが、うまい話で「6時間勤務の契約社員」として再雇用をしてもらうことになりました。


実は全て「今」につながっている

今の僕は、給料は少ないけど「6時間勤務」という雇用形態で、一般のサラリーマンより2時間余裕のある生活をしています。しかも「テレワーク」なのである程度時間の融通も効きます。

その時間で好きな音楽をしたり、他にもいろいろやっています。

「防災」は震災で精神崩壊していく中、上司と僕以外に影響がないように担当した仕事で、それがきっかけで「防災士」となり、今、少しずつ防災のつながりもでき始めています。

「カラーセラピー」はこの経験そのまんまですね。「こころの健康を大事にしてほしい」という思いで、今やっているメンタルヘルス・マネジメント試験の勉強で得た知識を含め、これからの生きる道標にしています。

結局、「防災」にしても「こころの健康」にしても、この過程を踏んできたからたどり着いたものです。そして、契約社員になってからであったいろいろな人とのつながりも貴重なものです。それ以前の人とのつながりが全部切れたわけでもないですし。

「赤信号」と「OD」は結果論だったかもしれません。でも、「飛び降りを思いとどまった」のは自分の意思で生きることを諦めなかったわけで、その結果の今があると思えば「つらい経験」も「今、生きていることが楽しい」と思っている自分につながっていると言えます

これはカウンセリングの先生の言葉を借りると、「すべての出来事は、幸せに向かっている」といえるんです。


「突発性難聴」

昨年1月「突発性難聴」になり左耳の聴力をすべて失い、8月には回復の見込みがない旨告げられました。そりゃショックですし、自分の歌を聴きながら「こんな聴こえ方じゃない!」といって一晩泣き通した夜もありました。

「突発性難聴になってよかった」なんて言うつもりはありません。そりゃ聴こえた方がいいもん。

同じように「心臓障害になってよかった」とも「双極性障害になってよかった」とも、「生まれつき左指が奇形していてよかった」なんて口が裂けても言えません。お風呂に入って息苦しくならなくて済むし、死にたくなるほど落ち込みたくもないし、ギターを演奏できる身体でいたかったし。

話は逸れましたが、今は「突発性難聴」という経験の先に自分にどんな未来が待っているのかを考えています。すべての出来事は幸せに向かっているのであれば、突発性難聴になった僕はまた何かの幸せに向かっていると思うことにしています。ちょっと無理やりですけどねw。


「今」、つらい人へ

僕は「双極性障害」なので気分の波が激しいです。これを書いている「今」は別段なんとも思っていませんが、数日前にも「死にたい」といっていました。でも、生きることは諦めていません。

僕は多少人より波の荒い波乱万丈な人生を送っていると思います。楽しかった瞬間もあれば、今回紹介したように生きるのを諦めようとする瞬間もありました。でも、その先にある今は「生きていることは楽しい」です。

「今」はコロナ禍でもあり多くの人が「つらい」と感じていると思います。そこを乗り越えた先には、この「つらい経験を乗り越えたからこそできるもの」があると思います。それを信じて、どうか、生きることを諦めないでください。

最後に、この曲を紹介して終わります。


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