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恋がわからなくても、


わからなくても良いんじゃないかな、というか、無理にわかろうとしなくても良いんじゃないかな。「恋愛感情」のことを考えれば考えるほど私も分からなくなってしまった。ってことは、恋愛感情なんてただの概念で、外枠で、人それぞれすきなように、都合の良いように中身を当てはめているだけの可能性が出てきた。

私も多くはないけれど恋愛みたいなことをしてきた。間違いとか正しいとかは置いておいて、一般に「付き合う」ということをしてきた。でも、それはその時々で様相が違った。

「認めてほしい」が恋愛になったこともあったし、「他の女の子よりも私とたくさん喋ろうよ」が恋愛になったこともあったし、「誰でもいいから自分を好きな人と一緒にいたい」が恋愛になったこともあったし、「かわいそう、助けてあげたい」が恋愛になったこともあった。だから私は自分の状況や気分に合わせて恋愛を都合よく解釈してきた。


今の恋人のことはとてもすきで、その「すき」は、人間的に好き、だ。異性として好きよりも、人間としてすき、が最初に来る。出会って7年になる。最初は「尊敬」「憧れ」「ここちよさ」で、付き合うとかそういうのよりもこれから先出来るだけ長く近くでその人のことを見ていられるかの方が大事だなって思ってた。でも、例えば相手に恋人ができたら、私が近くにいたらきっと相手の恋人は嫌だろうし(私自身が男女間の友情をあんまり信用していないタイプなので自分がそういうグレーゾーンにいる存在として見られるのも嫌なのだ)、この先近くで楽しく過ごしたいって思っても大人になったらずっとそういうわけにもいかないし、だからいっそのこと付き合ってしまえばもっと長く一緒にいられるかもしれないと思った。いまの恋人と恋人になる時、けっこう思い切った。私の中では、その人は恋愛よりも格上の大事な存在(学生時代は心のよりどころにしていたところもあったし)だったから、恋愛にしてしまって未来で別れることになったら終わりだなとも思った。そういう面ではこわかった。でも、もしかしたら長く一緒にいられる時間が増えるかも、そういう下心みたいな部分もあったよ。恋人を恋人にすることは、一種のギャンブルだった。この人ばかりは、恋より先に愛だった。

あと、恋愛感情の状態のことについて。私のパートナーのこと、すきなときとすきじゃないとき、もちろんある。すきじゃないって感じる時に無理にずっと一緒にいる必要はないし、私は恋人同士でも友達同士でも束縛したくないしされたくもない。だからそういう人のことは無意識に遠ざけていると思う。基本的に自由が好き。


私は元々男性というくくりが得意ではない。上司(男性)と二人で一緒にご飯、みたいなのも本当はめちゃくちゃ嫌だ。そして先述したように男女間の友情をあまり信用していない。友達だと思っていた人に恋愛感情を持たれていたと知ったら、申し訳ないけれどこわいと思ってしまう。私は異性に好意を持たれることに「気持ち悪い」と感じてしまうところがあって、それは学生の時から変わらなくて、ずっと自分のそういうところがサイテーだなと思ってきた。でも、どうしても仕方ないのだ。一度「無理」だと思ったら避けてしまう。そして最終的に疎遠になって終わる。私の中で「恋愛」はそこまで上位じゃないとういうのもあって、友達だと思っていたのに恋愛にされてしまったのか、という解釈をしてしまうのもいけないのだと思う。どっちにしても、男女間の友情に向いていないのかもしれない。

大事で大事でたまらないけど恋じゃない。それでも良いと思う。結婚は、恋愛しなくてもできる。極論、一緒に生活ができるか、それだけ。一緒にいて違和感がないか。同じ空間にいて生理的に嫌悪感がないか。お見合い結婚や政略結婚でも、次第に愛情が芽生えてくるんならそれでも良い。子どもを産んで育てたい、恋愛はしたくない、という二人が結婚して子どもを育てるのもあり。そういうものだと思う。自由。わたしたちの自由。

恋がなくても、愛だけで一緒にくらす。それは不可能じゃない。情もでてくるだろう、慣れも、心地よさもうまれるだろう。それが一緒にいる理由になるのも悪くない。恋なんてずっと続く方が稀なんだから、それ以外の心地よさや楽しさを見つけるほうがよっぽど簡単だ。


私が思うに、恋愛は、多分趣味の一つ。しないならしないでOK。私は学生の時あんまり恋愛のことがよく分からなかった(今も理解したかと言われれば謎だけど)。よくみんな次々に彼氏できて、毎回楽しそうにデートできるなって思ってた。数か月前に違う人と手繋いでたじゃんか、って内心思ってた。コイバナについていくのが難しかった。盛り上がって楽しそうだな、いいな、かわいいなって思ってた。自分の恋愛の話なんて、なにすればいいか分からなかった。そういう時期、私は、本当にサイテーだけど、告白された時に、その人とキスできるか想像して、付き合うかどうかをきめてた。できるかなあ、この人だったら多分できる。みたいな。本当にサイテー。人並みに恋愛したかったし、付き合ってみればわかるかもと少し期待したけど、結局分からなかった。実際に手を繋いで、あ、やっぱ私こういうのだめだわ、って何度思っただろう。私は向いてないんだって何度泣きそうになっただろう。noteで恋愛のことばっか書いてるけど、私は実はこういう奴なんです。

私は、自分が、きもちわるいな、って思ってしまうことに引け目を感じている。嫌な奴だなと自覚している。でも、生理的に無理って、もうどうしようもないのだ。人から向けられる好意がこわい。きもちわるい。逃げたい。そういう気持ちになることが多かった私は、きっと恋愛のことよくわかってない。

でも、だから、私みたいにそうやって悩んでる人がいるってことは、多分セフレが沢山いる人はその人で悩んでいると思うよ。別れた次の日にもう恋人をつくってしまわないと不安で仕方ないって人はその人なりに悩んでると思うよ。

私はそもそも異性間の友情が成り立つとは思ってないから、大事にしたいと思う異性は恋人にするしかない。そういう心構えでやってます。


恋愛感情、なくてもよい。実際私もどっちかというとそれかも。何度も言うけど、恋愛って趣味だよ。私がどんなに頑張っても数字とか電子機器に弱いのと同じように、恋愛だってよくわかるとかピンとこないとかがあるんだよ。私は気が変わりやすいから、ふっと気持ちも冷めることがある。そういう自分のことが一番信用できない、ぶっちゃけ。だからあんまり私との恋愛に大きな期待をしない人じゃないと重くてすぐ逃げてしまう。「付き合う」ということにかんしては、今の恋人だから上手くいっていると思う。程よく距離を保って、適度にコミュニケーションをとる。束縛はしない。連絡も気が向いたらお互いにとる。詮索や追及はしない。そういう関係。

コイバナは苦手かも。私も実はあんまり恋なんてわかってないんだと思った。今は、心のよりどころとしてた人が、たまたま、偶然、近くにいてくれることになっただけ。ラッキーなだけ。

恋ってどんな気持ちだったっけ。心臓がばくばくして吐きそうになる。顔が死ぬほどあつくなってその場を離れたくなる。恥ずかしくて相手の目が見れない。そういう記憶しかない。私のイメージする恋って、相手の目をみてにっこり微笑んだり、おそろいのものを身に付けてテーマパークに行ったり、友達とのろけ話をしたりすることだと思ってた。でも、多分恋って人それぞれなんだな。私はSNSに恋人を載せたくない、なんならSNSで恋人とつながりたくない。ひっそりたまに一緒にいる、それでいいかなって思う。自分の恋愛への優先順位が低いのもあると思うけれど。

恋愛感情がわからないって、別に悪いとかじゃないし。人に対する恋じゃなくても、私たちはいろいろなものに恋できるんだと思う。例えば、私はつきのさんの「おと」に対する向き合い方がすき。そういうきらっと光るもの、それが恋じゃん。人間以外に恋する、それも立派な恋。例えばね、私、知らない人が飼ってる犬に恋してる。世界でいちばんあの子が可愛いなって思ってる。そういうもんだよ。人間同士で「恋」することが王道みたいなところあるし、それがいちばん手っ取り早く「恋」できるから「恋」する人が多いだけで、蓋をあけてみたら人それぞれ少しずつ違う色をした「恋」を見てるんだろうなって思うよ。


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つきのさんのnoteを読んで、「恋愛感情」について考えました。考えたことをひたすら羅列したけれど、結果、恋のこと私もあんまり分かってなかったです。

これは私が抱いている「恋愛感情」についてです。もしかしたらこれを読んで不快に思う人もいるかもしれない。人それぞれ考え方があると思うから、正解も間違いもないと思うけど、こういう考えを持っている人もいるんだって思ってもらえたらありがたいです。

恋がわからないこと、ぜんぜんいけないことだと思わない。別に良いじゃん。私はつきのさんが「恋」がないと言っても、つきのさんがだいすき。つきのさんの持ってるもの、すきなところ、正座して100個言えます。ほんとだよ。





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