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始まりがあれば終わりがあるように

謹賀新年

新年早々、想定していなかった事象が連続で起きていますが、現実から目をそむけずこれからの行く末を考えるべき時代だと再確認しました。

災害で被災された方々が、また元気な姿で生活できることを心から願っています。

さて、僕らが丹波たんばに移住して一瞬で1年間が経ちました。
当たり前ですが、これを10回繰り返せば10年経つと思ったらゾッとしました。

この1年間は僕にとって、田舎暮らしをする上でのノウハウをインプットアウトプットの繰り返しとなりました。

全ての事象が新鮮でとても大変でしたが、新たな仲間も増え一歩一歩着実に進んでいることを実感しました。

また、体重が人生で一番軽くなるという現象が起きました。
何故なら毎日筋トレして走ってるような感じだからです。

田舎暮らしはスローライフではなくハードライフですが、安心してください、元気です。

その中で、僕の性格なのか野良仕事のらしごとを焦るように進めていると、散歩をしている村の人がいつも決まってこう言ってくれます。

「ボチボチやんない」

僕があまりにも家を含め、庭やその周辺の土地を手入れするから村の人が驚き、頑張りすぎだと心配してくれるのです。

僕はこの言葉にいつも救われる。

それもそのはずで、僕は酉年とりどしのバタバタ男。
せっかちな性格で、超落ち着きのない性格。

挙動不審きょどうふしんで怪しまれることもしばしばです。
小さい頃は狂ったようにハシャいでいました。

この性格のメリットは何事も行動が早く、とにかく作業が早いことです。
一度何かをやり出したら、完了するまで止まりません。

デメリットは山のようにあるので、割愛かつあいします。

では、何が僕をそうさせる原動力になっているのか。
深層心理を探るとやはりそれは夢と家族。

自分を追い込めば追い込むほど、その像が思い浮かび、その度に僕の背中を押してくれます。
漫画でよくそういった描写があるけど、あれは本当にあります。

間違いなく、僕はこのために生きている。
つまり、ここが最終地点だと認識しました。

それを目的とするならば、目標を沢山設定し、そこに全力を注ぎ必死に生きるだけ。

しかし、この「必死に生きる」という言葉は必ず死ぬのに生きると矛盾しています。

これは生まれてきたら常に死と隣り合わせであり、そして必ず死んでゆくということです。

生まれてくる時はオギャーと口を開ける「あ」
死ぬ時は声が出なくなり口を閉じる「うん」。

つまり、始まりであり終わり。

日本語の50音がこの事に当てはまることも、僕ら日本人は気づくべきだと神話を学んで感じました。
その事がわかっているのなら、生きている人間全てが悔いの残らない生き方をするべきではないだろうか。

「必死に”後悔のないように”生きる」。

これを考えた時に、連日メディアで放送されている芸能スキャンダルの話をしてる場合じゃないなと感じます。

人間の脳はHDDハードディスクと同じで容量が決まっていて、もっと生きるためのインプットする事は沢山あるはずです。

でないと余計なデータで溢れ大切なことをインプットできず、死にぎわに後悔することになるかもしれません。

また、自分にとって大切な記憶も思い出せなくなる。

あの事も…

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今年は新たな仲間と色々な動きがありそうな年になりそうです。
想像するだけでワクワクが止まりません。

また、自分の古民家で何かのサービスを展開するまでは、まだまだ時間はかかりそうですが、「ボチボチ」やっていこうと思います。

昨今の世界情勢せかいじょうせいや自然災害はいつどこで何があるかわからない。
僕らの想像を上まる想定外の事は必ず起きる。

だから、今年も「後悔が残らないような1年にする」そう心に誓いました。
今年も何卒よろしくお願いいたします🙏

※下記の写真は1年かけてDIYや剪定せんていなどをしたビフォーアフターです

Before 庭1
Before 庭1
Before 庭1
After 庭1
After 庭1
After 庭1


Before 庭2
Before 庭2
Before 庭2
After 庭2
After 庭2
After 庭2
After 庭2


Before 庭3
Before 庭3
Before 庭3
Before 庭3
After 庭3
After 庭3
After 庭3
After 庭3



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